5 竜乗りの孫娘。(副題:寒さで死にそう。)
妹とは年が離れていました。明るくて、角がない子。私の腰に頭があるくらいに小さな子で、市街地の学校に行く私の背にひっついて、いつ帰ってくる?いつ帰ってくる?ってべったりだったんです。それを可愛いなぁって思いながら、ドラさんが二回尻尾を叩いた頃だよ、とかゴーくんが十回羽をバタバタした後だよとか言って、何とか家から出るような毎日でした。
妹はすくすくと成長していって、小さい頃なんかゴーくんバタバタ十二回っ、じゅーにかいだったもん~って愚図ってたのに、今では姉さん遅い!何て眼をつり上げられちゃって。可愛いなぁって、思うんですけど。
のんびり屋で、呑気な所があったんですけど、だからなのか、色んな処で眠ってしまって。竜車の中でも本を開いたまま、揺すり起こされるまでぐっすり寝入ってしまって。よく寝るねぇ寝る子は育つねぇって、でも所構わずは辞めてよー?不安になっちゃうーって。申し訳ないなぁって、思いながらも、あんまり応えていない自分が不思議でした。夢を、眠っている時の夢を見るのが、好きだったからかもしれません。
小さい頃妹によく読んであげた本があって、今思うと私自身にもちょっと難しい、背伸びした本だったんですけど。多分、大人ぶりたかったんです、妹にイイ顔したかったんですよ。頭の良いお姉ちゃんで居たかったんです。その本をいつも手に持って、同じ情景をそれぞれ読む度に、感じる事が違うのが楽しかった。昨日思った事と今日は違っていて、ある日自分の汚さみたいなものが露見しました。
恥ずかしいと、思いました。恥だ、汚い、隠したいと。
イイ風評被害だと思います。特にこの本には。読む度にそれに囚われて、醜さみたいなものが浮いてくる私自身の駄目さ加減。責任転換も甚だしいと思います。でも、私はその思いに従い、隠しました。
そうなって久しく、夢を見なくなりました。いつ何処で眠ろうと、ただ寝ていた事実だけ残りました。時間を跳ばしただけのそれは、楽しくはなくて、少し悲しかった。夢見がちでよかったんです。でも、それもなくなってしまった、無くしてしまったんだ、自分でと酷い後悔に見舞われました。
夢に嫌われてしまったと、分からされてしまったんです。
◆◆◆◆◆
「いやおめぇまずぁ、寝ろ」
追撃込みで、垂は言及された。
黄の提案で元来た道を戻る事になった一行は、途中多比が悪食なんてモンのレベルを上げてしまったこと以外は順調に進み、黄の言う、アテの所に辿り着く。
黄の言う所まず、竜に乗れるようになろう、というのだ。垂はもちろん、多比も徒歩でやって来たため乗る事が出来ない。皆駆け出しであった。
そもそも、竜乗りとは。
“竜”のみを指す名称ではない。“竜”を含む魔物乗りの経験者を指している。古来より存在する古い竜が魔物と同一視されることを嫌ったことから、そう呼ばれるようになったと伝えられている。
移動手段、攻撃手段として冒険者が重宝する手で、特に、昔から居る古参やベテランは出来るか否かで当人の評価を決める者が多い。古来からあるものだからか、通過儀礼の関門の一つとされるきらいがある。
評価第一な冒険家稼業。乗れるに超したことはない。
地盤固めに勤しもうと、向かった訳だった。
だが実際は、垂は一端の療養生活から入る羽目になった。
体質調整のやりくりをしきれず、環境変化に耐えきれずに歩けない状況になって一日と半分。
「ごめんオレ嬉しくて、角煮貰っちゃったから必要分取れなかったんだな…」
「僕もついゴブリン相手にひゃっはーしたから手当大変だったでしょごめんねっ」
「塩漬けつまみ食いしたから塩分足りなかったんだなごめん…」
「お前かよ」
非常食を食い散らかしたハイエナに俵のように担がれながら、恨み言も言えないまま着いた先。
砂漠沿いの小さな集落。先住民たる人種が永年竜乗りの伝統を継いできた一族。腕の筋肉が非常に硬く、盛り上がっており発達している。肉体を以て闘う伝道師の一族。
藁と泥で積まれた山なりの家と、木の杭で囲われた竜舎がトタン屋根で砂風を防いでいた。
黄の言う「おっちゃん」は、その一族の一人を表していて、二人の孫娘とその両親とで暮らしている生命力溢れる爺である。旅も何もが危なっかしい黄に竜乗りを教えたお節介焼きだ。喝を跳ばしてしごく様は、鬱陶しくも、活力を引っ張り出させる。
孫娘妹に補佐を言い渡し、姉に看病を申しつけた。内巻きセミロングの茶髪に、緩やかな肢体、ふっ……、と細められる眼。女性らしさのある澄ました、ゆったりとした女だった。
黄と多比が竜車で鍛えられている中、通されたハンモックの下床、敷かれた寝床。垂は、いささか不本意そうに溜息をつく。
根っからの悪態吐きがなりを潜め、黙り込んでなるべく眼を閉じていた。
「何か食べる?」
「いえ」
「そう」
気を遣っているだろう作っている芋のクリームの話をしながら、女は話しかける。それに生返事を垂は返す。
うんっざりだ。垂はこれを言えないでいた。
不調続きで気が滅入っている。慣れるほど続うているでもない。気長に、やっていかなければならないのだが、経験をしていくしかないのだが、それの過程なだけに辛いような気がした。自分は相当軟弱だから始めはこうだというのは自明だった。当たり前。だから何だと、言っている。
「いつでも呼んで」
砂を固めて掘った炉の炭を掻き出す音。乾燥した空気の中仄かに香る芋の匂い。孫娘姉は吊した金具に鍋を掛け、汁物だろうか水を掻き回す。極力触らないように気を張った気配がするからだろう、居心地が悪い。静寂の中、沈み入るような気配を一端忘れようと、垂は意識して眠る。寝入る事に成功した浅い寝息を聴き、女はほっと、息を吐いたのだった。
〈全身が白だった。髪がとか、服がとかでなく、全てが白。
造形はまさしく、学校へ通うだろう人間だったが、その色合い全て、白であった。それがぽつり、ぽつりと置かれるように立っていて、歩いていて、口を動かしている。ただし言葉は、聴き取れない。音を成してはいるが、それが会話だとか、言葉としてが伝わって来ないものだった。目玉の白はどうにも直視し難く、それがぱちり、ぱちくりとしばたかれる事で妙なリアリティを感じさせた。生々しくて、吐き気がする程よく人間に似ている。いや、そう見えなければ、可笑しいのかもしれない。何故だか気持ち悪く、脳髄に這い寄って来るような。どろりと熱で溶けてしまいそうな表面。
白い人間達が闊歩する校舎は、何処も彼処もチョコレートブラウンで塗られていた。古めかしい傷と、真新しい爪のような抉れた傷も見てとれた。天井は低いような、高いような判断のつかない廊下があり、パステルカラーのボールと青白い羽の首の無いアヒルが居る。白い影をつけたボールを蹴飛ばす、リアルな水搔きのついた青い足。
お前は犯してしまったんだよ。鳥頭が三歩でものを忘れるように、それを無かったことにはできないだろうに。
何の事だと問おうものなら、足を捕られでもしてしまうんだ。拾い物宜しくもがれてバラバラ。何て痛々しい様だろう。首が欲しいと言われる前に、遠くへ飛べと、蹴飛ばしてやらなくちゃ──
────。
場面は変わる。
ザザッ、ザザーッ。まるで砂嵐だ。
魚みたいな色。魚の赤身みたいな色の巨体が、蓋を開けては落として歩く。本棚が開き、中身を覗いて、手を放す。パシーン。そして歩く。探して歩くその巨体は言いようのない物々しさを感じさせる。真っ青に塗られた眼が、カラカラカラッ……と不規則に鳴る。そこだけ酷く、作り物めいている。ガタタッ……、パシーン………、カラカラカラッ……。
体育倉庫を歩く大きな白い影がそれだ。やけに大きく、やけに物々しい。
その倉庫でだけ、真新しい抉られた傷が上塗りされていた。また赤身のような色で、傷の上から何かが書かれている。理解してはいけないと本能が拒むような字で、内容で。
知らなくていいこと何てあるに決まっているでしょう。木箱の中身は何だと思う?知りたくない何て無い、そんな無鉄砲な。不気味だ?知っておかないと?ああ、嫌だ、そういう所が人間って不気味───────。
ザザー────ッ。
また、砂嵐。
赤い紐の青いシルクハット。毛むくじゃらの手──。〉
「何で君が其処に居るの?」
「──!」
垂は飛び起きた。充血した眼で壁を凝視し、引き攣った、喉を痛めるような音を出して蹲った。息が止まっていた、それも長い間。そう冷静に、極々冷静に理解しながらも体はそれに伴わない。痛い咳が、喉が痛い。息が吸えない空気が入らない痛くって痛くってめげそうになる。掻き毟った喉の下は、ダラダラ垂れる嫌な汗は。ああイッテェ、くたばれチキショウ。
飛び出て来る気配を感じながら、もう一度寝付けるまで苦悶の表情を崩さなかった。