2 大嵐に霙程度でどうしろというのだろう。
垂パートやけに短い?まあ、そんなこともあります。何となく色が対比してれば満足です。
雪よ降れと、いつも思っていた。
垂は安い宿屋の下働きだ。いつからかも忘れてしまった。そう大きくない頃には既に床のカラ拭きを覚えていたように思うから、なるほど、自分は孤児であるのかもしれない、と思った。母ではないらしい、父ではないらしい、兄では、叔母ではないらしい宿屋の者達の顔と自分は大分似ていなかったし、他にも、自分と同じような孤児の子供が二、三ほど、居た。
在庫の運び出しをしていた年上の男は、まだ皿洗いも覚束ない年少の女によく気を掛けてやっていた。客が残した料理のくずをくすねてしまう、いつも腹を空かせた女に、それをくれて遣ってくれないかと打診してくるような男。
いつもサボり、舌が良く回るもんだから女将に可愛がられていた猫背の男は丁度自分より二つ上で、やり損なった仕事のツケは年上の男が肩代わりするか、自分に押し付けられるかが殆どだった。ごめんごめん女将さんの長話がさ、ね?俺はホント、勘弁してくれよって感じ何だけどさあ、ねぇ?ハァ、そーですか。そうなんだよホント、勘弁勘弁。ハァ、そーですね。ねー、酷いよねぇ?ハァ、ハー。
猫背が良いように理屈をこねる中、──いや、こねるほどの中身は無いのだけど──やはり垂は、ハァ、ハイと生返事を繰り返した。一番年下の女の子というステータスだけで食いっぱぐれる事も体の筋肉が攣る事もない女と、話術も可愛げもあるおかげか愛情、らしきものでもって安定したポジションに位置する猫背と、年長故に落ち着きもあって、力もあるから宿屋に貢献できる男と。で、自分は。
取り入ろうとする気概も無ければ可愛げを出せるほど形振りもかまえず、女でもないけど小さいというほど小さくもない。話術なんて使う気力も無ければ、プライドだっていっちょまえ。仕事だって力仕事はどうしても力不足で、無くなる何てことは無くても不況が続けば追い出されるような雑用だった。
自分が居なくなった所で猫背がいつもより働いて、男が女にモップや雑巾を持たせるだけで事足りる。大分不備があるとはいえ、すぐ慣れるだろう。なんせ男は女に甲斐甲斐しいから。兄でも気取っているのだろう、女の。
そんな場所だった。
おやっさんは酒癖が悪い。手掴みでレタスのサラダを貪り食ってから、おい、お前と鼓膜を揺さぶる。お前、木串にもならねぇ柔なナリしやがって。そんなにウチが合わねえなら出てってみろォい、あ”ぁ”!?何だって根菜の箱一つ持てやしてぇんだそりゃもう病気だろうがよォ。
そいで、パリンッ。レタスとドレッシングがついた手で、ぐいって煽った安酒をテーブルの角にぶつけ粉々にする。そのまま垂の横っ腹に投げて乱暴に振るう。チッ、と舌打ち。面白くない忌々しいと目が言っている。何だってこんなもんってな眼をしているから、ああやはり自分は拾いモノにすぎないのだ、と思う。それも、育ちの悪い苗のような、錆びついてキレの悪い鍬のようなモンを拾った気でいるのだと。
確かにそんなもの拾わない方がマシだろう。邪魔だし。垂は達観してそう思う。
マダムは血縁を何より尊んでいる。だから子供組──不本意ながら──への扱いは変わらず、平等なくらい冷たかった。王都のジェントルマンからプレゼントされたものなのよと見せびらかしたさらさらのチーフをよく口元に添えて、あらあら今日も床に這いつくばってマァ汚らしい。人様に笑いかけられもしないぼろ鼠。アァ汚い。さぁ孫や、婆は早く孫の顔が見たいわ。可愛らしい貴方の、女の子と、強くて勇ましい、男の子、見せて頂戴ね。アラやだ、私ったら。きゃっ!もうっ、私ったら。きゃっ!
とかやるような老女。
醜悪なマダムの血を継いでいるのに良い人間の代表みたいなのが生まれるわけ無かろうに。相応な夢にしとけばいいものを、これだからババアって。都合の良い頭は今まで何を刻んできたのやら。うげぇ。
その宿屋の息子はと言えば、女癖が悪かった。口と、大人のうげぇな部分でもってそれはもう取っかえ引っかえしていた。他には特にない。無かった。
だが近頃、一生を共にと決めた女が出来たとかで、女遊びからすっかり足を洗ったんだとか。
盛り上がるマダムと、いつ式をだとか料理はここでどうだだとか言う女将の穏やかな顔だとか、こんな馬鹿息子を貰ってくれる嫁さんがなぁと感極まったおやっさんだとか。常連の中でも特に古い仲らしい禿げた男が、祝いだ祝いだ!何て酒を客全員に奢り、金欠を起こして笑いがどっと上がったりで、お祝いムードが轟々と伝染していった。
ああ、忌々しい。
自分の性根を何と無しに理解している垂は、こう思っても罰は当たるまいと思う存分呪った。
台無しになってしまえばいい。
今も。寒さに凍えてでも。指の皮がひび割れようとも。寒さで雑務が辛くなっても。
祝いの酒が氷ってしまえばいい。寒さを嫌う宿屋のあいつらの気分が、心持ちが、鬱々と淀んでしまえばいい。
これだから雪は、寒さは敵だと思えばいい。
骨が曲がらず痛み出すような身だとしても、雪よ降れと、思うのだ。
結婚式当日の空模様は、ひんやりとした霙だった。
◆◆◆
これで69回目。黄は思い悩んでいた。カレコレ69回のスカウト、勧誘、戯けるならプロポーズに失敗している。いや、プロポーズはちょっと、ナイ。それはない。女誑しでもあるまいし、もっと言うなら相手は女の子に限らず、だ。あ、決してそっちのケがあるだとかでは断じてナイ。いや本当に。やめて。恋人を追い求めて止まないとか、どこの情熱家だ。黄は現実主義者である。そしてそんな人に不誠実を働くようなふしだらさは持ち合わせていない。…だからそっちのケはナイのです。断じて。
黄は地元の街を出る際、計23回の勧誘をし、見事全員に断られた。それなりに付き合いのあり、地力もあり、ついでに言えば賛同してくれそうな人材を選んだつもりだった。最後の方はダメ元だったとは言え、同じような理由で断られた次第である。
今のままで十分……出来そうにない……お前ならいけそうだがなぁ……そんな大層な……丈に合わねえ…。
“悪くはないが、覚悟してやれない”。無理に押し切ろうもんなら内部から壊れる気しかしなかったので諦めた。非常に残念。
という訳でと同士を求めて、地元を飛び出しての挑戦が始まった。
ギルドは12と、その派性的サブギルドとしか存在しないが、『パーティー』なる集団は幾らでも創れる。それの定義は、二人以上二十五名以下。八名以上が最低目標値。まずはその一歩、一歩なのだ。
…そう奮起して隣町。四人にフラれ、竜に乗れんで何がパーティー、何が旅だと憤る男に竜乗りを仕込んで貰って、「序でにどうですか?」「無理。」とフラれて計28回。
東の方をふらふら蛇行して、ギルド協会支部にて熱を出して倒れ込み、従業員用ハンモックにて冷やしたタオルを額に、薄味の粥を出して貰うという職員さんの温情により目が覚めて。恩人序でにスカウト、「強かか」「図々しいわコラ」と優しくフラれた事で計32回。あれは完全に舞い上がっていた、テンションで生きていたなぁと苦笑。何やら話は広まっていたらしく、サブギルドのおっちゃんあんちゃんには、
そんな装備でんな大層な事出来るかよぅ!ローブも火打ち石も無いだぁ!?初級の万能薬は塗り常備だろぉ!?ヤバいコイツ際どい!…ハァ!?獣の鞣しば知らねぇだぁ!?それじゃ皮売り込めねぇだろぉ!?ヤバいヤバいヤバい何がヤバいって全部ヤバい!〈倉庫〉は中級、せめて初級かかった袋は持っとけやぁ!?絶っ対持っとけ!!だー!もう!!コレも知らねぇとかぁ!?がーっ!?
阿鼻叫喚だった。めっちゃ良い人ばっかだった。何この優しい空間。泣いちゃう。
そうして死屍累々といった状況で依頼と旅、野宿の何たるかを涙目で教え込まれた黄は、当然のように懐いた流れで今まで通りにぶちかます。
「一緒に来て!!!」
「それは無理!!!」
何かコント的な波動を感じた。
そしてギルド協会支部にて二十一名の失敗を経て計53回。もうこれは流石に、ちょっと心が折れかけた。
元気でやれよー!がんばれよー!ヤバくなったらウチにこーい!いつでもホットサンド食わしちゃるー!うわーん!!
やはり涙目で送り出され、元気に見えるよう手を振って別れるも、やっぱり気分は盛り下がっていた。
そして迎えた54回目。港を出る川の目前にて、
「んぁ?いいけど」
パーティーメンバー第一号とのあっさりした出会いを果たしたのだった。
「ただし一コ条件」
これがちょいと問題だった。一気にギュウウン!上がっていたテンションがすっ…と引いていくのをリアルに体験した。
紺のマッシュボブに目が隠れた、全身黒で二刀流の侍。すらりとした出で立ちの、細マッチョタイプの男で、黄の一個上。
クールなようでいて戦闘好き。言動が脳筋。
だがどうして、その男も中々に現実的な事を言った。無視出来るようなものじゃなかった。
ズバリ、「飯」と「回復職」が要ると。
膝から崩れ落ちた。
黄はかなり呑み込みの早い自覚があった。観て聴けばそつなくこなせる、いわば少々と言わず、かなり天才。身に付ける才能がある自覚があった。嫌味ではない。ナルシスト風は装えても半端は許さない黄は、きちんと物事を吸収できる実直さを持ち得ていると自負していた。師を前にしては己の我なんぞ、いっぺんねじ伏せて頭を垂れるものである。プライドなぞ要らぬ。
そんな黄だが、
「…僕、メシマズなんだ……」
「………ああ、うん……?」
一例を挙げよう。
魚のムニエルを作ろうと小麦粉をまぶして火を通した。こうした方がと胡椒を加え、胡椒が入るなら柑橘系だろうと絞ってみて、酸っぱすぎるかと何故かジャム(イチゴ&ブルーベリー)をぶっ込んだ後、甘すぎた!(もう遅い)ってな思考で豆乳とコンソメ、ババロアを投入したのが運の尽き。そもそも甘くしかなっていないと気付くには全てが遅かった。見事に絶妙な不味さの何かが出来上がってジ・エンド。
もう一ついこう。
米一つくらい炊けるだろうと米を磨いで、釜の火の調整を分単位。結果は何をどうなってそうなった、ちゃんと測ったにも関わらず完璧なはずのそれは、リゾットとも言えない米味の水、糊モドキのような有様で最早米ですらなかった。なぜそうなった。
いくらやっても改良してもそうなるので諦めた。絶妙に食欲の萎える黄のメシマズ。美味しく食べたい欲求も意欲もあるのにメシマズ。味覚は至って正常、故になおさらたちが悪い。
「あとね……僕、血、ダメなんた……」
「…あー……」
こっちもこっちで問題があった。もしかしたら致命的であるかもしれない。
打撲だとか体のけっそんはさほど心動かず──それはそれでどうかという話であるが──血を見るだけでメンタルが削られる。触るなんてもってのほか、論外、そっ閉じもの。
「必要となったらあるいわ……う……」
「そんな青ざめながら毎回包帯持たれても…」
「怪我しないって考えはない……?」
「戦闘中毒にそれは無理ってもんじゃね…?あと怪我無しに旅なんか出来ないだろ…?弱肉強食だぜ…?」
「非情だ……」
全く以ってその通りなだけに、無視出来ない事柄なのである。
「オレは旨い方が良いし自分でてきるのが一番なんだろうけど、雑だし、飽きるレパートリーしかないから。何か飯って、直にクるから苛々の元だろ?回復職だって、知識ない奴がやるもんじゃないじゃん、怖いし。無いと、凌げないし。……まぁ、せめて片方は無いと、野たれ死ぬし、面白そうだから力は貸したいけど、いのちは大事だから……何か」
「いや、いいんだよわかってる。わかってるから直でメンタルやられてるだけだから……」
「あぁ、うん……ごめん」
男とは一端、そこで別れた。川を下った先の港町を通り、三つ過ぎた先の隣町・首都にて『寅』のサブギルドに用があるという。血生臭い案件ではなく、狩った魚の魔物を納品しに行くのだと。やっぱり血ではないか。
サブギルドの名は「オフガル」。自分の名を出して「連れて来た」と伝えてくれと。すぐ飛んで来ると言ってくれた。期間も曖昧な、そんな約束を交わしたのだった。
黄は港と反対の、左方向を行った。気の良い奴だったと物思いにふけりながら、よぉし頑張るぞぉ!と気合を入れ直して。
砂漠に近い、それに沿うように連なった街で、気候の激しいある通りでのこと。
十六回のスカウトの失敗、計69回目の玉砕とあいまった訳だ。
当たり障りなく、今のままでいいと。苦笑の中に迷惑の色を塗って断られ続ける。
何だ、何が、可笑しいと?平穏に甘んじて何になるってんだ!筋道を立てて貴方が必要です、上を目指せます、危険が伴いますが利益があります。なせばなる、大丈夫!これのどこがいけないと?メリットにはデメリット、リスクは付き物のはずだろうに。冗談で済まされては堪ったもんじゃない、こちとら本気なのだ。
この街は随分、やさぐれている。
会う人会う人が誰かをけなして、悦に浸っているような街。
能力で声を掛け続けているが、果たしてそれで上手くやっていけるのだろうか。
「はあ…」
部屋のベッドに倒れ込んで、方針の修正を視野に入れる。
考えてみれば、人との相性なんてあって当然じゃないか。あいつと自分とが会わない人物を、初っぱなから内に入れるなんてどうかしてるかもしれない。折角の第一号と仲違いなんて、したくはないではないか。
黄はとある宿屋に泊まっていた。安っぽい酒しかないが自分は飲みやしない。ボロボロで荒れた宿の割に、店主と女将さんの顔には幸せそうな笑顔が浮かんでいた。だか少し、浮かれもある気がしていた。
料理はまあまあな、たまに少し刺のあるものとが出て来た。それとなく聞いた所、宿屋の息子が少し困った風に「よく働く奴が最近は一人でやっていてな」と、悪い子じゃないんだよと聞いてもないことまで話し出した。厨房を見遣る目は憎悪に濡れていて、ちょっとよくわからない処だなと思った。
ピキーンと、思いつきで行動したのが響いたのだろう。
黒の猫っ毛にゴーグルを首から下げた男。眠たげな半目は目付きが悪く、黒いインナーで上からコートを羽織った男は、指先を細い包帯で巻いた、不健康そうな骨と皮の人間だった。童顔だろう男の知性的な目は酷く不機嫌そうで、だがそんなことに押し負けることなく、黄は言い放った。
「回復職として僕と旅をしてくれない!?」
「僕職無しなんで無理ですけど」
そして記念すべき70回目の玉砕とあいまった。とりとり。