民宿メンバー
定時を少し過ぎて、続々と残りの宿泊客が集まり出す。
「ちはっす、遅れてすいません。漫画の構成で煮詰まってて時間忘れてました。」
まだまだ幼さの残る少年が足元がおぼつかない様子で歩いてくる。
どうも足が痺れているらしい。
手や顔がインクで汚れている。
長時間、同じ姿勢で作業をしていると没頭しすぎて身体が麻痺状態になる。そうすると意識が戻った時に、その反動が強く出ることがある。
「初めまして、峯山沙耶と申します。美和子さんの代理で参りました。」
少年がびくりと身体を強張らせ、沙耶のほうへと目をやる。
「・・・えとっ・・・そのっ」
途端に声を詰まらせ、目を泳がせ今にも逃げ出しそうな空気が満ちた。
そんな、恐がらなくても・・・。と沙耶は密かに傷つく。
「あ、あのぉ・・・よろしくお願いしますね。」
「あ、ああ、ああ、こ、こちらこそ、よ、よよよ」
泡を吹きそうな勢いでむせかえっている。
豊田が笑いながら、固まってしまった少年の背をバシバシ叩き、細身の少年は衝撃を受けるたびに前のめりになっている。
「こいつぁ、女が苦手な高校生でよ、漫画家になるのが夢なんだとよ!ま、夢に向かって頑張ってる途中なんで、女に慣れる余裕もねぇ!態度がおかしくても気にするな!」
「そうよ、私だって女なのに、平気なんですって。沙耶ちゃんのことは、ちゃんと女性に見えてるってことよぉ・・・。」
「おう、お前さんは女って感じがしないんだよな!」
悪気のない豊田の一言に、現場は凍り付いた。
「お、俺、西秀平です。今は春休みを利用して、ここに来ました。前回は、冬休みのとき・・・」
「そうそう、そんときに俺ら出会ったんだよな!」
たじたじの西の背を、豊田は構わず叩いている。
「うっ・・・そ、それで、漫画家目指してて、親からは反対されてるんで集中できるところが欲しくて来てます。その、百合子さんのこと女だとは見てないけど、男に見えてるわけじゃないです!!」
少年の悪意のないフォローという名の追い打ちが、現場をさらに凍り付かせた。
百合子が発する冷気は、気のせいなんかじゃない。
「トントン、入るよー?」
凍えるだけの冷え切った空間に、突如柔和な声が響く。
知らず助けを求めて沙耶はその声の主を目で探す。
高校生である秀平よりわずかに年上と思われる男性が、にこやかに佇んでいた。
秀平は細身でそこそこ身長も高く、黒い髪を清潔そうに切りそろえ、メガネをかけた優等生キャラ。
対するこの男性は、一見して「優男」とイメージを抱く雰囲気を発している。
なだらかに波打つウェーブがかった茶髪を無造作に躍らせて、「作り込んだ感」を見せないように作り込むテクニックで自分を飾ることに慣れているように見える。
見た目だけで言えば、身長も高く顔立ちも整っていて、これは大学では女子に人気があるのではないだろうか。
その柔和な笑みや、声質は一瞬で心の隙に入り込んでくるような、純粋な乙女には危険なタイプだ。
「ああ、美和子さんの代理ですね。僕は高見侑真です。大学三年で、春休みを利用してここに。他の大学より遅いですが、期間としてはだいたい他と同じなので。自然が豊かですし、なにより三神の様子も見て居られる。そういった点で、非常に素晴らしいロケーションですし、美和子さんも美しかった。あ、すみません。あなたが美しくないと言ってるわけではないのですよ。」
前言撤回しよう。と、沙耶は思った。
見た目は整っていても、この子は一言余計で、フォローもぞんざいだ。
初対面で、早々「あなたは不美人。」と言われたようなものだ。見た目に対して、自他共に重要視していない沙耶だって、言われて面白いことではない。
だが、沙耶は腹筋に力を込めて笑顔を徹底し、スルーした。
先程、「三神」の名をだしたからには、三神と友達なのだろう。
類は友を呼ぶ。まさにそれなのだ。
と、考えればすべてに筋が通る。自然と、笑顔だって弾ける。
「侑真さん、そのフォローは無いと思います。」
そこで意外に声を発したのは、秀平だった。
「え、そうかな。美和子さんは美人タイプだけど、彼女は美人というより・・・可愛い系じゃないですか?」
沙耶は、これ以上この話が盛り上がる前にと務めて明るく挨拶をすることにした。
たまったもんじゃない。
「ご挨拶が遅れました。私、美和子さんの代理で参りました、峯山沙耶と申します。これからほんのわずかの期間になりますが、どうぞよろしくお願いします。」
「あはは、嫌だな。堅苦しい挨拶なんてしないでよ。それに、僕と同じくらいの年齢でしょ?」
「・・・・・・私、二十七歳で小説家を生業としております。」
「えぇー?うそー。大人に見えなかった!ごめんね!僕の大学の女の子ほうが大人っぽいからさぁ。」
沙耶の額に青筋が立つのは、数秒も要らなかった。
「…あのぉ……。」
「お、おう!樫沢!!よく来た!待ってたぞ!!」
機敏な動きで、弱々しい声を発したと思われる場所に豊田が向かう。
「すいませんねぇ…。いつもいつも。」
「いいってんだ、ここで出会ったんだからよ、お互いさまってもんだ!」
ういっしょ、と豊田は屈んで、相手の腕を自分の肩に回し、持ち上げた。
青白い顔をした、細くて儚い美しい…女性のような男性が豊田の肩に掴まるようにして立ち上がるのが見えた。
髪は薄い茶色で一見して細く柔らかそうな髪を肩まで伸ばしている。
清潔そうな白シャツをさらりと着こなし、割と長身でありながら細身だ。
ここの男性は一様にして背が高いが、細い。
例外なのは豊田だけだ。豊田は、背が高い上に、横幅もがっしりしている。
「貴女が、美和子さんが仰っていた小説家の女性ですね…。会ってみたいと思っていたのですよ。ごッゴホッゴホッ」
「僕は療養のために空気の綺麗なところを探しているときに、ネット上で美和子さんに声をかけてもらいまして・・・っ、ゴホッゴホッ」
「すみません、あまり長く喋ると咳が出てしまうんです。それで、お世話になっていたところです。貴女は小説家だと聞いて…っゴホ、・・・・・・本当に楽しみだったんです。貴女の目に映る世界を教えて欲しいと。・・・ゴホッ…僕は、樫沢零と申します。基本的には、介助などは不要ですが、何かあればよろしくお願いしますね。」
今しがた豊田に助け起こされていたことから、あまり本気では取れなかったが一先ず、助けが欲しい時には何か言ってくれるだろうし、手を差し出したらそれを受け入れるか入れないかは彼が決めるだろう。
沙耶は身を正し、深々と頭を下げた。
「私は峯山沙耶と申します。私で力になれることは精一杯努めたいと思っています。美和子さんのようにできるまで相当時間が必要だろうと思うので、不便なことがあれば逐一教えてくださいね。」
「ありがとう。でも、貴女は貴女らしいやり方で良いんです。美和子さんと同じものをと気張る必要はないんですよ。」
はんなりと微笑む穏やかな声の樫沢に、沙耶は肩の力が抜けていくような気がした。
麗人ばりに容姿の整った樫沢の目には、そんな些細な雰囲気すら見透かされていたのかもしれない。
「美和子さん」の存在の大きさに、突然その代役を務める重圧に、知らずプレッシャーを感じていたことを。
「遅れてしまいましたが、貴女が真心こめて作ってくださったお料理がこれ以上冷めないうちに頂きましょう。ゴホッ」
何て紳士的な人だろう。
沙耶はそう思いながら見つめると、にこりと笑みを返された。
各々が席に着くのを見計らって、ご飯とお味噌汁をよそい、配りだすと、タイミングよく三神が現れた。
「おう千尋、遅いじゃねーか!!」
ダイニングから壁ひとつ隔てているのに、豊田の声が快活よく聞こえてくる。
沙耶は後にしようか悩んでいた三神の分もよそって、ダイニングに向かうと、侑真の前に三神が座っていた。
順でいくと、沙耶が美和子さんの席を借りるので和真が隣に座り、皆の様子を見れる位置にある。
沙耶の近くに百合子と豊田、そこから秀平と樫沢、侑真と三神が向き合うように座っていた。
「いや、もうどんな飯出るのかと思って怖くて。」
しまった。
三神用の煮魚に唐辛子でも入れておけば良かった。
まあ、容姿に関しては日頃から笑い種になっていて耐性はあるうえ、自認もしている。
あのイケメンは相当女性にモテることから、美しい女性を見る機会は多かっただろう。
そう考えると、多少性格が難ありでも、目をつぶってくれていた女性が多かっただろうし、目も肥えている二人なのだろう。
はたと、侑真と三神を見比べて、疑問が浮かぶ。
侑真は大学生と言われたら、その年齢に等しい見目をしているが、三神の年齢が分からない。
様子からして、美和子さんに好意を持っているように見えたのだが…。
「ふふふ、とっても美味しそう。」と百合子が微笑む傍ら、豊田がにかっと笑って言った。
「期待してなかったんだがな!これなら食えそうだ!!」
悪意のない、悪意を見た気がする。
「ゲホッ…、それじゃあ、頂きましょう。沙耶さん、挨拶をお願いできますか?」
樫沢のさりげないバトンを受け、沙耶はがたりと立ち上がる。
「美和子さんが残してくれた資料はありますが、私は私で皆さんの好みや、お願いを知って、可能な限り叶えていきたいと思っています。よろしくお願いします。それでは、いただきます!」
「「いただきます!」」
晩御飯を無事に終えて、皿洗いやシンク周りの掃除を済ませ、沙耶は和真の様子を見に行くことにした。
小学生、ほんの短い春休みの間は学校へ送り出す仕事はないが、一日見守る必要がある。
その間、食事や掃除の合間を縫ってどう和真を寂しい想いをさせずにすむのか、沙耶には見当もつかなかった。
―――アハハッ、可哀想な子。こんな醜女に生まれちゃってっ、これから先、きっつい人生だろうね。
ここには過去を引きずり出す、ブラックホールでもあるのだろうか。
和真の部屋に通じる廊下を歩きながら、沙耶は首を抑えた。
沙耶の姉は、沙耶の容姿を貶すことに命を掛けているかのように、それはもう熱心に罵倒した。
両親や親せきの前では、器用に化けの皮を被り、両親の見えない所で沙耶を苛め倒した。
沙耶の訴えは、姉の猫かぶりの前に悲しく散ったもだった。
沙耶自身を、沙耶が持つものを、沙耶が得たものを、目に付くものすべてが気に入らないかのように、それでいて、見なければ良いものを、熱心に貶せる要素を探し出す。
もう一度、大きく深呼吸をして、和真の部屋をノックすると、愛らしい声で「入っていいよ」と聞こえてきた。
「お邪魔しまーす。あ、勉強中だったんだ、ごめん。和真君のこと、色々知りたくてさ。お勉強終わったら、お話しない?」
鉛筆を手放して、和真はにっこりと笑みを浮かべた。
「お話?うん、いっぱいお話しよう♪ねぇねぇ、それなら沙耶お姉ちゃん、僕ね、勉強頑張るから、一緒にピクニックに行きたいなぁ~。そしたらいっぱい遊んで、いっぱいお話して、僕たちすぐもっともっと仲良しになるよ、きっと!」
あまりの無邪気な笑みに、沙耶も自然を笑みが零れる。
浄化されるとはこのことではないだろうか。
「ピクニック?楽しそうね!」
「うん、でしょ!!」
「よぉし、お昼はみんな自炊だし、届け出もないから、行こうか!ピクニック!!」
「うん、約束だよ!!千尋兄ちゃんも誘って、皆で行こう!!」
「・・・え?」
「あ、そうだ、民宿の皆もさそったら来てくれないかな…。みんながいればもっと楽しいよ、きっと!!」
子供というのは、一度はしゃぎ出すと、もう止まらないものらしい。
沙耶の戸惑いも目に入らず、まだ来ぬ情景に想いを馳せている。
目をキラキラさせて喜びを滲ませている姿を目の当たりにすると、嫌だと言う気持ちも凪いでいく。
沙耶は、密かに溜息を零し、「明日では急すぎるから、皆に聞いて揃って行ける日を決めようね。」と言った。
それから沙耶は、和真の好物や、好きな事、嫌いな物など、色々なことを聞いた。
和真の好物は、ハンバーグで、サッカーが大好き。嫌いな物は、ピーマンと算数。
はっきりと分かるものはそれくらいで、後は本人も良く分からないようだった。要観察必至。
そうして話しをしているうちに、和真が呟いた言葉。それが、とても引っかかった。
「お母さんのために、僕も頑張らないといけないんだ。」
どこか震えてるかのようだった声を、目一杯張り上げて、元気そうに振る舞う和真を前にして、沙耶は追及する気にはなれなかった。