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あなたは私の王子様。  作者: 星月天音
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嵌まる


「本当、間抜けだよね。あの距離から走ってくる子のダイブを交わせないとか、見たことないし。」


目にかかりそうな長めの前髪を斜めに流し、後頭部に丸みをもたせ僅かに刈り上げたヘアスタイルと、170センチの身長の長い手足を気だるげに、なおかつしなやかに流動させる様はまるで猫のよう。

アーモンド型の目には、色素の薄い、透き通った紅茶のような色の瞳が勝気そうにきらめく。

真っ直ぐに伸びた鼻梁と、ふっくらとした唇、白い肌。

女性として、自らを恥じてしまいそうなほどの美しい造形。


容姿は美しいが、ずば抜けて口が悪いこの堕天使は、三神千尋みかみ ちひろと名乗った。

頭を打ち付けていた衝撃でぼんやりと聞き流し、横でしがみ付きながら謝ってくるキューピッドの頭をひたすら撫でた。

生まれて八年の髪の毛は、心もとないほど細く柔らかい。ぱっちりとしたおめめは濡れた黒曜石のようで、成長したらさぞかし女を泣かせることになるだろう。

今はキューピッドの少年の名前は、佐伯和真さえき かずまだ。


「ところで三神さんは佐伯さんとどういう関係筋で?」


「どういうっていうほどでもないよ。元々近所同士で仲が良かっただけ。」


「へえ…どうして佐伯さんのところに?」


車は砂利道をでこぼこと進み、舗装された道へと入り込む。

綺麗に整った生垣の壁を眺めているうちに、大きな家が見えてくる。


「聞いてないの?」


「何をです?」


彼は飽きもせず溜息を吐いた。


車が門を潜る前、何か嫌な字を見たような気がして鳥肌が立つ。


「ここ、民宿だから。泊まりに来てるだけ。」


「は?」


言葉の意味は分かっているつもりだ。だが、それを受け入れる容量がエラーを起こしている。

すると、沙耶の服をクイクイと引っ張る和真が、にこにこと追い打ちをかけてくる。


「お姉ちゃん、うちはね、民宿やってるんだよぉ!」


「うん?」


三神は天使の囀りを踏みにじるように心底めんどくさそうに、吐き捨てるように繰り返した。


「だから、民宿。」


「はは、・・・・・・ミンシュク?」


「ピンポーン♪」


ニコニコと元気いっぱいに人差し指まで空に向かって差し出した和真の朗らかな声が、妙に遠く聞こえてくる。


三神は、構っていられないというように、一瞥を寄越してから車から降りて、そそくさと去って行った。


「ミンシュク?」


「うん♪」


::::::::::::::::::


『いやあ、本当のこと言っちゃったら、断られるから嘘を吐いてと編集長から頼まれていたものですからぁ~。』


勢いで柳田に電話して現状の説明を求めると、電話口から穏やかな口調の柳田が事も無げにそう言ってくる。

いつもなら毒気の抜ける調子だと思っていただろうが、今日ばかりは本気でイラつく。

こうもすぐに認められたら、怒りの矛先をどこに向けたらいいのだ。


「~~~っ!!」


『いやあ、本当。佐伯さん・・・美和子さんでしたっけ?一人で民宿を切り盛りしてやってこられたのに、旦那様が海外で倒れられてお見舞いにも行けないと泣いていらして。その理由はやっぱり代わりに切り盛りして下さるかたがいないからでしてね。それなら、先生、スランプで暇・・・ゴホッ!スランプで新鮮な空気を欲していらっしゃるようでしたから、新しいことに挑戦してみるのも良いかなぁって。名案だと思ったんですよねえ!美和子さんは旦那様のもとに行けるし、先生は新体験且つ締め切り延長!まさに一石二鳥、いや三鳥?』


「な訳ありますかッ!!何が新体験なもんですかッ!!こっちはそんな経営したことありませんよッ!!私が代わっている間につ・・・潰しちゃったらどうするんですかッ!!」


『大丈夫ですよ~。経営の方は三神さん、あ、もうお会いしました?三神千尋さん。彼が、その間管理することになっていますので、先生は本当、宿泊客へのサービス業に従事してくださいね。先生、結構料理できるじゃないですか!朝と夜のご飯と、掃除!お昼は各自で調理するお約束らしいので!』


さも、それだけでいいなんてラッキーじゃないですか♪と言っているかのように軽々しく言う。


「お金を頂いているお客様に提供できるような腕はありませんし、一人二人分の料理と一緒にしないでください!全然違うんですからッ!!」


そういうもんですか?と心底理解していない声で笑っている。

そこで、はたと気づいた。

これは、復讐に違いない、と。


「柳田さん、わざと嵌めましたね?」


『えぇ~?なんのことですかー!人聞きの悪い!そもそも先生が原稿を上げられないのが悪いのに、僕に八つ当たりするからー!』


認めた。これは、暗に認めた。

人を脅さば穴二つ。

沙耶は、自業自得という冷や水を全身で浴びた。肝から冷えた。

いつも温厚な人ほど怒らせると恐い。割と腹黒なところも見え隠れする人なのだから、意外ではなかったのだが―――


「ちょっと、いつまでそこに突っ立ってるわけ?」


事務所と思わしき窓から、三神が顔を出して叫んだ。

沙耶は諦めて、腹を括ることにした。


ほんのわずかの間でも、この口の悪い三神と、共同経営(仮)していくのだ。

のどまで出かかった溜め息を噛み殺す。


「すみません!今行きます!!」



:::::::::::::::


編集部の仕事場はいつも電話やファックスの音で賑わいに賑わっている。

そこで柳田はいつものように仕事をこなしながら、遠い地に送った沙耶の電話を終えると、一人溜め息を吐いた。


「べつに、嵌めようなんて気はひとつもなかったんですけどね。」


彼女は、気づいていないだけだ。

編集部ではわりと知らせていた、あの人との交際と、終わり。

そのころから、少しずつ彼女は顔色を悪くさせ痩せていっていた。

今は、ある程度のところで止まってくれているが、回復する傾向が見えてこないことに、ビジネスパートナーと区切る間柄でさえ、気になった。

創作家というのは、自らの体験も他者の体験も、自分の中に閉じ込めて作品に昇華させていく人もいる。はやいとこ、話のネタにでもなんでもして、新進気鋭の若手作家、峯山沙耶が更に昇華することを願っている。



とわいえ、わりと活動的に仕事に励んでいた彼女の中では、懸命に向き合おうとしていたのかもしれない。

だが、ここのところの作品は、今までにあった華に欠け、どこか消極的なものだった。

目に見えて、体格に変化が起きなければ、誰も気づかないような些細な変化だ。


変化となると、彼女よりもあの人の様子のほうが分かりやすかったうえ、婚約相手が社長の娘というから社内はすぐに広がって行った。


「お見合いしたっていうから、どうするのかなって思ってたけど、やっぱり昇進には勝てないわよね。」

「ほんと、枕かと思ってたけど、本気に見えたから、てっきり峯山先生を選ぶと思ってたのに、幻滅したわ。」

「まあ、しょうがないって。男だもん、やっぱそっちを選ぶほうが自然じゃない?」


女性社員たちの噂話も。


「社長の娘と結婚すれば、社内でのポストは安泰も安泰。俺が結婚したかったよ。」

「彼女、気の毒にね。」

「まあ、作家と編集者っしょ?枕だったかもしれないし。」


下世話な男性社員たちの噂話も。


全部耳に入って来た。


最初は、なんの変化も見せない彼女の様子に、ふと彼女のほうが遊びだったのかと過っていたのも事実だ。


一対一で打ち合わせするために、レストランで待ち合わせたときだ。

窓から見えた、峯山先生の姿は別人で、一人座る横顔はあてどなくさまよう儚い迷い子のようだった。

痩せていく身体と、青白い顔色から無言の悲鳴のように思えてきて、ふと遊びかと過ったことが後ろめたくて、痛々しく思ったものだ。


そんな同情など見せようものなら、恥じて消えてしまいそうなほどだと思った柳田は、一切そのことに触れなかった。

仕事仲間として、触れるべきでもなかった。

幸い、編集部にたまたま寄った彼女に対して、好奇心に満ちた目を向ける者もいなかった。

異動している人が多いにせよ、噂は社内全域に広がっていたのだ。


スランプに陥り旅に出ようと思った彼女が、一人で迷子になったら。これ以上、痩せていったら。


そう考えたのは僕だけではなかった。


編集長、桐沢祥吾もその一人だ。


桐沢編集長は、あの人――柿崎麗二かきざき れいじの友人だったのだ。

元は仲が良かった二人だが、桐沢編集長の彼女が柿崎に想いを寄せ、柿崎も同じ気持ちだったことから関係は悪化したという。

いつしか編集長の元カノである彼女とは別れ、次のお相手は峯山先生だった。

そして、今度は噂の彼女を捨て、自らの出世のために社長の娘と早々と婚約したという話は、より一層、不信感を煽らせていた。


同情してのことだったのか、噂の彼女こと、峯山先生の現状を逐一報告するようにと命令されていた僕は、今回のスランプの件と締め切りの猶予を伸ばせないかと伝えて早々、「いいよ。」と言ってきたのだ。


確かに条件はあった。

でも、

「彼女には他に気を紛らわせる起爆剤があったほうがいい。素晴らしい作品を期待しているからね。」

そう言う編集長の言葉も一理あると思った。

けれども個人的な思惑があるのだというのも、何となく感じ取れた。

それが何か分からないが、まったくもってお互いに峯山先生に甘いのだけは分かる。


なんの変哲もない、平凡な顔立ちで、感情を見せないのに、くしゃりと笑う顔がまるで子供のような。


まったくの未知の世界に。


それにしても、まったく。

あの狼狽えよう。


柳田は、目を細めて先刻の沙耶の様子を思い出し微笑しつつ、仕事に戻った。


「千尋の谷に落とす。悪意よりも、むしろ親心にも近いですよねー。」









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