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あなたは私の王子様。  作者: 星月天音
2/11

スランプ

学生のころからずっと、書いては捨て書いては捨て、本格的に夢に向けて動き出した時、私はそれまでにないほどに生命力に満ち満ちていた。

誰に何を言われても、作品を目の前にばら撒かれて時間を返せと罵られても、そんな夢見がちな子では幸先不安しかないわね、親不孝も良いところだわなんて嘲笑されても、安定しない職業に中途半端な才能の子は入っちゃいけない、食い扶持に困って才能のある子を妬むだけで終わるのだと必死で止められても。

私は諦めなかった。


だが、今。


私はスランプに陥っている。



「どうしたんですか、峯山先生。スランプなんて珍しいじゃないですか。」

担当編集者、柳田涼やなぎだ りょうの穏やかな声が、耳朶をくすぐる。

柳田は、私、峯山沙耶が作家として始動してから二代目の担当者だ。


作家業を得てから数年。

それまでスランプに陥らなかった私が、初めてスランプというものを経験している二十七歳の春。


パソコンの画面から目を離し、電話口で聞こえる担当の声に耳を傾けた。


「そうですねぇ、作家さんはスランプはお友達みたいなものですから、そう気にすることはないと思いますけれど・・・あ、これ編集の言うことじゃないですね。」そう言って笑い、話しを続ける。

「まあ、作家さんだろうとスポーツマンだろうと、スランプはつきものってことです。峯山先生は、作家になってから・・・ええと、五年位でしょうか。僕が担当になってからまだ数ヶ月程度ですけど、まだまだ作家業も始まったばかりでのスランプは・・・うん、想像するに焦るかもしれませんねぇ。」

彼の穏やかで間延びした口調を聞いていると、悩んでいる自分がどうでも良くなってくるから不思議だ。

電話を切れば悩みはぶり返すけれど。

しかし、今の調子でいけば、確実に締め切りには間に合わないだろう。

すべてのプロセスを着実に踏んでいくとなると、すでに構成を練りあらすじや登場人物などの背景を作り上げていなければならないのに、その一歩も踏み出せそうにない。

無理は承知で締め切りを伸ばしてもらえないか担当さんに相談してみることにしたのだ。

「それで、ほんの少し猶予を・・・」

「それは無理です。」

容赦なくさくっとスパッと綺麗に切られた。さっきまでののほほんとした空気はどこへいった。

「そ、そこをなんとか・・・」

「今だって十分に余裕を持って見積もってるんですよ、それ以上は無理ってもんです。」

私は、諦めかける自分に叱咤した。


書かせてくださいと頼み込んだあの日々から、書いて書いて書きまくれと筆を走らせる日々を勝ち取った。

自分が書いた本が書店に初めて並んだあの日、喜びに満ち溢れ、売り上げに泣き、人気作家さんへの妬みをどうにか押し流し、何度も頼んでチャンスが欲しいと頭を下げて、やっと掴んだものへのプレッシャーに押しつぶされそうになる自分を諌めて書き続けてきたのだ。


「私、旅にでようと思っています。」

「は、、はい?旅っ!?」

「スランプには新しい空気が必要かもしれません!そこらへん散歩しようが、激しい運動しようが、酒を飲もうが歌おうがなんの足しにもなりませんでした。私には根本を見直す時間が必要なんです!止めないでください!私は!もう!!決めたんです!!ほんの数日でいいんです!!良い物を書きたい、そのために!!絶対に書いてみせますから!!」

「そんなこと言ったって!!」

「編集長にあのことバラしてもいいんですか。」

「・・・っ!!」

最終手段だ。

脅そう。

最低最悪の手段だったが、やむを得ない。

柳田さんには悪いが、柳田さんの秘密を握っているからには使わせてもらう。


柳田さんは温厚で仕事もできる、怒ると恐いタイプの優しい人だが、なくし物の名人なのが玉に瑕だった。

私はネット上で送信するようにしているが、作家さんの中には紙に書くスタイルを大事にしている人がいる。

その大物作家さんの原稿をなくし、それを編集長に告げたくなくて、作家さんが遅れていると嘘をつき、結局締め切りギリギリで自分の車の椅子の間に挟まっているのを見つけたという。

のを、出版記念で酒を酌み交わしたときに、酔っぱらった柳田がペロリと零した。

長らく大事に秘密にしていたらしい、その情報は私の大事な戦力になるかもしれない、と大事に温めてきた。

それも秘密でなくなれば、効力はなくなるからイチかバチかだったが、ちゃんと効力が発揮されたらしい。

卑怯ではあるが、今はそんなことを気にしてはいられない。

しばしの沈黙のあと、柳田がぼそりと呟いた。

「・・・あれは・・・、若気の至りだった・・・・・・。」

聞こえるか聞こえないかの音量で、それでも私の耳は拾っていた。

わずかばかり、罪悪感を覚える。

「・・・分かりました。返事はもうちょっと待って下さい。」

「オネガイします!!」


電話を切って、私はモニターを睨む。

パソコンが悪いわけじゃない。だが、今の状況は自分でも初めてて、手に負えないのだ。自然と眉間に力が入り、眼力が増す。

自分がこんな状況になって追い詰められたからって、人の弱みにつけ込むような卑怯な手を使うなんて。


柳田はどこまで知ってるんだろう。

何も言われたこともなければ、会っても意味ありげな視線を向けることもない。

仕事一筋な人だ。

現編集長は、彼じゃない。既に、重要ポストの一員になっているはずだ。

その時のメンバーがちらほら残り、私たちの関係を知っているものも中にはいる。

気にはしていないつもりだが、ふと考えてしまうときがあるのだ。

別れてから、半年は経った。

それでも、時は通常通り流れていくもんで、私は変わらずやっていくつもりだったが。


沙耶は大きく伸びをして、詰めていた息を吐き出した。

「スランプが一番キツイ!!」

それから数時間後。

ふたたび、柳田が連絡をくれた。


「編集長に相談したところですね、どうせ旅をするなら自分のいとこの子の面倒を見てほしいとのことでして、いかがでしょう?」


「いかがでしょうって・・・旅は?」


「いやあ、編集長のいとこさん、田舎にお住まいらしくて、普段と違う景色を見ていれば息抜きになるんじゃないかって。ついでにいとこさん、旦那様が海外赴任中に病気になってしまってその看病をしに行きたいのに、お子さんの面倒を見る方がいなくて困っているものだから、どうせならひと役買ってくれたら、締め切り二ヶ月免除しますって。」


二ヶ月!


「喜んで。」


あ。


「あー、良かった。それだったら、僕たちも先生の居場所が分かるし、一石二鳥ですよね♪」


「子供って、何歳くらいの・・・」


「そうそう、お子さんは八歳の男の子が一人・・・と、スランプ中の画家一人と大学生、自分探し中の三十代男性と家出中の奥様と漫画家志望の高校生と療養中の男性・・・。」

最後の方、極めて小さな声でぼそぼそと言うものだから聞き取れなかったが、二人位いるのかな?

「まあ、八歳の男の子を重要視してくれれば他は適当にあしらってくれて大丈夫ですから。」

ぞんざいな説明。

「他って結局何人いるんですかっ」

「ううん~?僕もちょっとそこまで把握してなくて~、でも炊事洗濯掃除、やってくれれば宿泊費用や食事代、編集長が持ってくれるそうです♪」

「炊事洗濯掃除って、普通に代行サービスみたいなレベルじゃないですか。給料欲しいくらいですよ。」

「まあまあ、締め切り延長も入ってますよ、どうします?」

「行きます。行かさせて頂きます。よろしくお願いします。」

締め切りの延長のほうが、沙耶には最重要項目だったために、他のことをすっかり忘れていた。


出発の日、荷物を片手に新幹線に乗りながらふと、結局何人の子供がいるんだろうかと呑気に考えていた。























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