新しい始まりは別れから。
「もう、君とは会えない。」
寒いわけでもない、風が強いわけでもない。
雨が降っているわけでもないのに、身体が震えだすのを感じる。
「結婚することにしたんだ。――社長の娘と。」
(ああ、ありがちなやつ。)
金縛りに遭ったように身体が動かないのに、心はそう投げやりな言葉が浮かんだ。
たった一人だけだと思っていた。
彼こそが、私の運命の人で。
最初で最後の恋人になるんだと、夢を見ていた。
「君も、はやく良い奴見つけて幸せになれよ。」
夢だった、作家への道のりは決して楽なものではなかった。
叶えるまで、周囲の風当たりが強く、家族からも反対されていた。
それでも、諦められなくて家を出て一人暮らし始めた。
せめて、大学だけは出ろという父の言葉を守るために勉強をして、アルバイトをしながら作品を書き続け、出版社に直接持っていった。
だが、持ち込みを許可している出版社自体が少なかった。
ある出版社のコンクールに応募していくうちに、まだまだからイマイチに変化して、もう一歩になって、そうして選ばれて出向いた出版社。
初めて認めてくれたのは、彼だった。
最初は仕事上の付き合いだけだったけれど、新人のフォローも仕事のうちだからと愚痴や相談に乗ってもらい、仲が良くなっていった。
彼には彼女がいて、私はやっと手にした仕事のチャンスを前に四苦八苦、右往左往。
私たちの間に、恋愛はなかった。
けれど、彼が失恋をしたのを機に、徐々に仲が深くなっていった。
そう、ありがちだった。
私は、いつもとは違う雰囲気に気づいて、話を聞くうちに彼女と別れたことを告げられ、同情から話を聞くようになって、彼を支えたい、なんて思うようになって。
いつの間にか、私は彼を特別な人だと思うようになって、そして彼も同じように想ってくれるようになった。
私は作家として、彼は編集者として。ビジネス面でもステップアップしていき、彼は編集長になった。
その矢先。
彼は、私と付き合う一方で社長の縁談話に乗った。
無理矢理だったと彼は言って、私に断るから今は耐えて欲しいと距離を置かれた。
その時から、覚悟はできているはずだった。
元々、上昇志向の高い彼が社長の娘さんとの縁談を断れるはずがない。
だけど、それでも私を選んでくれるんじゃないかと、心の片隅で願っていたのも本当。
呼び出されて、家の前に出ると彼が立っていて、私の顔を見るなり別れを切り出した。
悲しいはずだったのに、心の中は急激に冷めていく。
「私たちって、始まりも終わりも、ありがちだったわね。」
負け惜しみで言ったつもりはなかった。
ぽろりと零れた言葉は、二人の間に静かに落ちた。
私は、どうしてなのと事情を聴く気にも、泣いて縋る気にも、どうしてもなれなかった。
終わったのだ。
「いいよ。覚悟はしてた。・・・お幸せに。」
彼の返事がないのをいいことに、そのまま背を向けて歩き出した。
背中越しに、名前を呼ばれたような気がしたけれど、私は止まらなかった。
彼とこれから会うことがあったとしたら、ビジネスだけになるのだ。
ほんのひととき、幼い頃の自分だけの王子様は彼で、自分は彼だけのお姫様だったらと思い描いていた。
所詮、私は主役ではなかった。主役になんて、なれっこないのに。
―――あなたはね、主役になんてなれないの。そのお顔じゃね、可哀想に。
いつだったろう。
美しい容姿の姉が、私の顔を両手で挟んで心底憐れむように呟いた言葉が、今更、脳裏に蘇るなんて。