第七十八話「本名」
「さて」
俺はスキンヘッドのオネエ系おっさんが泣き叫ぶ美容院を出たあと、しばらく王国街を歩いて違う美容院に入った。
目的はもちろん髪を切る為である。
が、しかし。
なぜか俺の容姿情報がその美容院に回っていて、ヘアカットを断られた。
なにやら美容師ギルド会長からの命令らしい。
「あのオネエ、会長だったのかよ……」
なんという運の悪さ。
しかもその会長命令ってのは国中の美容院に出回ってるらしい。
つまり少なくともディアドル王国の美容院では、俺の髪を切ってくれる美容師はいないということだ。
うーん、職権乱用にも程がある。
まあそう来るなら適当に自分で切ってから、どっかの床屋か美容院で整えてもらうだけの話なんだけどな。
「……ハラ減ったな」
なんだかあちこち歩き回ってたらハラが減ってきた。
そんなわけで俺は近くにあった庶民食堂的なお店に入り、オムライス定食みたいなものを食べて空腹を満たした。
そしてお会計で代金を支払ったあと、俺は重大なことに気がついた。
お金が、ないのだ。
正確に言えばこまごまとした銅貨はあるが、金貨や銀貨が一切ない。
いつの間にか結構消費していたようだ。
ちなみに闘技大会の賞金でもらった帝国白金貨三枚、日本円換算でおよそ三千万相当はティタの親父さんに身請け金及び屋根の修理代として渡してしまったからもう無い。
それだけの大金を失ったうえで手持ちがないのだ。
普通だったら焦る場面だろう。
だが俺は実のところ、まだまだお金の心配をする必要がない。
そう、そうなのだ。
もしかしたら忘れている人もいるかもしれないが、俺にはまだ商人ギルドに貯金があるのだ。
その額なんと大金貨五百枚、つまりは五千万相当である。
「よし、下ろしに行こう」
そしてそのお金で一年間、好きなことをして遊んで暮らそう。
今までがんばって働いてきた自分に対するご褒美だ。
そう思い立った俺はディアドル王国ギルド本部に向かって歩き出した。
◯
ディアドル王国ギルド本部。
ここでは巨大な建物の中に職業別ギルドである『商人ギルド』『職人ギルド』『傭兵ギルド』『魔術師ギルド』『冒険者ギルド』の五種がそれぞれ区画を分けて存在している。
んでもって俺はそんな見上げるほど巨大なギルド本部の前で立ち尽くしていた。
「……よくよく考えたら」
今の俺って、どっからどう見ても『傭兵イグナート』じゃないから、お金、下ろせなくね?
「バカか俺は……」
変身後の着替えとか手鏡とかを用意して、準備万端のつもりになっていたせいだろうか。
その後の生活資金のことをすっかり失念していた。
ここ最近やたら順調に物事が進むと思ったら、こんな落とし穴があったとは。
「うーん、どうするか……ってうわあ!?」
悩んでいたら後ろからの何かにぶつかり、地面に手をついた。
「おっと、大丈夫かお嬢ちゃん」
「あ、はい……大丈夫です……」
差し伸べられた大きな手を握って立ち上がると、そこにはモヒカンにサングラスを掛けた身長二メートルを越えるであろう大男がいた。
「ゴメンなぁお嬢ちゃん。見えてなかったぜ。そのなり、冒険者か?」
「い、いえ……これから登録するところです」
「おお、そうか。新たなる門出ってやつだな。んじゃ案内してやるよ」
「え?」
俺の返事を待たずに歩き出すモヒカン男。
案内してくれるって……新規登録窓口にってことか?
「おい、どうしたお嬢ちゃん? こっちだぜ」
ギルド本部の入り口で男が一度こちらを振り返る。
どうやら本当に案内してくれるようだ。
別に変なところへ行くわけでもなさそうだし、ここは素直にモヒカン男についていく。
「ついたぜ。ここが冒険者ギルドだ。新規登録はあそこだな。あの怖そうなメガネのオバサンがいるとこだ」
「は、はぁ……」
「それじゃあな」
「あ……ありがとうございました」
俺が頭を下げると、モヒカン男は手を振って冒険者ギルド窓口の中へと入っていった。
え、あのモヒカン男、冒険者ギルドの職員だったのか。
……一瞬、どこの世紀末に迷い込んだのかと思ったぜ。
モヒカン、サングラスにパンクっぽい服装とか、完全に今までの世界観から逸脱してるだろ。
にしても、冒険者か。
適当な受け答えでここまで案内されたが、今までのギルドカードが『傭兵イグナート』として使えない以上、新たなる別人としてカードを作るしかないだろう。
今まで傭兵業ばっかりで冒険者としては活動したことなかったが、これを機に冒険者としてのスタートを切ってもいいかもしれない。
今の状態じゃ仕事をしなきゃお金がないし、元々冒険者としての仕事に興味はあったからな。
……よし。
「あの、すみません」
俺はカウンターの窓口にいるメガネのオバサンに声を掛けた。
「冒険者として新規登録したいのですが」
長い茶髪を頭の上で団子にしたオバサンは俺の足から頭までを一瞥したあと、メガネをクイッと持ち上げた。
「……ギルドカードはありますか?」
「あ、いえ、ありません」
「ではまず総合ギルドカードの作成からですね。こちらに記入をお願いします」
「はい。……あ」
出された紙にさっそく名前を書いたはいいものの、反射的に『イグナート』と書いてしまった。
「すみません、間違えました。これ、線引いて訂正しちゃっていいですか?」
「いいですよ」
『イグナート』に線を引き、その隣に『ミコト』と書く。
ちなみに『ミコト』は俺の前世での名前だ。
この世界では珍しい名前だが、新たに自分で女の名前を考えるとか抵抗感あるからな。
そのまま流用することにした。
その他は性別、年齢などを記入してから受付のオバサンに渡した。
「ハァ…………」
するとオバサンはこれ見よがしにため息をついた。
……何か俺の記入が間違っていたのだろうか。
「困るのよねぇ……偽名とか……」
「え……え? ぎ、偽名じゃないです。本名です、それ。珍しい名前ですけど」
「アナタみたいな子、多いのよ。親から隠れて冒険者やろうって子」
机の上に頬杖をついて再びため息をつくオバサン。
「いや……でも、それ本当の名前です。偽名じゃないです」
「そう。わかったわ。一度登録したらもう二度と変えられないけど、本当にいいのね?」
「は、はい。いいです」
「偽名だとしても一生変えられないのよ?」
「あの、本当にいいです。偽名じゃないので」
「ああそう、わかったわ。じゃあ家名を書いて下さい」
「か、家名?」
「あるでしょ。家名。無いとは言わせないわよ」
「うっ……」
視線の圧力が凄い。
確かに、こんな長髪は貴族か豪商の娘じゃないと手入れできないよな。
仕方なく『ミコト』の隣に『フィエスタ』と書く。
イルミナさん、家名借りるぜ。
「これが入ってないわよ」
再度記入用紙を提出すると、オバサンが線を引いて消してある『イグナート』の文字をトントン、と人差し指で叩いた。
「あ……えっと、それは間違えただけなので……」
「間違えただけ? アナタのミドルネームじゃないの?」
「いえ……知り合いの名前です」
「へぇ、アナタ、知り合いの名前を、自分の名前の蘭に間違えて書いちゃったわけ?」
「うっ……」
「これ、アナタのミドルネームでしょ」
「いえ、その……」
「ミドルネームでしょ」
「……そうです」
無理やり言わされた。
圧力が凄いんだけどこのオバサン。
そんなこんなで、女体化した俺の名はミコト・イグナート・フィエスタに決定した。




