第六十一話「魔王」
「はぁ……はぁ……やっぱキッツイな……」
腹に手を当てながら出力を絞った治癒魔法を掛ける。
やはりいくら吐き気を抑えようが、意識を保つことができようが、痛いもんは痛い。
額から滝のように汗が流れていく。
そんな汗を拭いながら階段を駆け上っていると、再びまた木造の扉が現れた。
「……頼むぜ、神様」
敵がいないことを祈ってドアを蹴破る。
そして入った部屋の中にいたのは、俺に匹敵するほどデカイ図体の悪魔だった。
ねじ曲がった角を持つ羊のような頭部と、ひづめを持つ足が目立つ如何にもといった外見の悪魔だ。
「…………マジかよ」
普段は祈らないのに都合よく神頼みしたことへの報いだろうか。
これ、完全に肉体派の悪魔じゃん。筋肉が半端ないし。
「お、またニンゲンか。今日はニンゲンが多いな」
「……そうなのか?」
「そうだな。さっきも一人、黄色い髪のお嬢ちゃんが来たぞ」
声は重低音だが、悪魔は意外とフランクに答えてくれた。
「その黄色い髪の嬢ちゃんは……どうなったんだ?」
「上に行ったぞ。なんでも魔王を倒すんだとか言ってたな」
「……止めなかったのか?」
「止めるわけがないだろう。今代の魔王は我ら悪魔にとって邪魔な存在だからな。倒せるものなら倒して欲しいぐらいだ」
「そうなのか」
ここで衝撃の真実。
敵対する存在じゃないのなら色々と事情を聞いてみたいが、残念ながら今はそんな暇がない。
通行止めというわけじゃないのならさっさと通してもらうことにしよう。
「弱そうなニンゲンだったら喰っちまってもよかったんだが、中々に強そうだったからな。魔王への嫌がらせの為に通した。魔王は今なんかの儀式で手が離せないらしいからな。倒すのは無理だろうが嫌がらせにはなるだろう」
「そうか。ありがとよ。じゃあ俺もここを通らせてもらうぜ」
「待て」
警戒しながらも歩き出した俺に向かって悪魔が制止を掛けた。
「……なんだ?」
「この上の部屋に姉さんがいる。多分寝てるから、そっと進め。起こすなよ」
「姉さん……?」
「怠惰の悪魔だ。大罪を司る悪魔は皆この城を出て行ったが、姉さんだけは残ってる。くれぐれも起こすなよ。起こしたら殺す」
「わ、わかった」
妙な迫力に押され慌てて頷く。
こうして、俺は幸いにも戦闘を回避することができた。
階段を上って進むと、さっきの悪魔が言っていた通り、部屋の隅で女悪魔が寝転がっていた。
ちなみにすぐ近くにベットがあったが寝転がっていたのは地面だ。
ベットの上で寝りゃいいのに……とか思ったが、先ほど忠告された通り女悪魔は完全に無視してそっと部屋の中を進んで行った。
順調だ。
順調である。
おそらくあともう少しで魔王がいる場所に辿り着く。
そんな時だった。
濃厚な、死の気配を感じた。
「なにぃ!?」
何度か目の大部屋に入り、そのまま通り抜けようとした俺の前にある壁がいきなり崩壊した。
いや、正確にはぶち破られたのだ。
バルドにディナイアルと呼ばれていた、黒い全身鎧に同色の大剣を持った男――黒騎士に。
『――――』
「ここでおまえかよ……」
もうこれ完全に詰んだ。
そう思ったのも束の間、今度は部屋の反対の壁がぶち破られた。
「ディナス!?」
反対側の壁をぶち破って現れたのは行方不明になっていたディナスだった。
今まで見たこともない濃密なアニマを纏い、鬼神の如き表情で黒騎士を睨みつけている。
そしてその目は赤く爛々と光っていた。
「遊びは終わりだ。黒騎士よ。今度こそ、最後まで付き合って貰うぞ!」
『――――!』
ディナスの姿が一瞬で消えたかと思うと、次の瞬間には黒騎士と剣で鍔迫り合いながら二人は石造りの壁を突き破って行った。
「…………怖いな」
どっちがとかじゃなくて、二人とも。
俺は巻き込まれなかったことに安堵しつつ、再び城の中を走り始めた。
◯
「ここか!」
階段を駆け抜け長い廊下を進んだ先にあったのは、今までとは違う巨大な金属の開き扉だった。
「っ、フィル!」
巨大な扉を開けた先にいたのは、剣を握りしめたまま地面に倒れ込んでいるフィル。
そして玉座の間を前にして、こちらに背を向けて立つひとりの男だった。
「貴様、その勇者とやらの仲間か」
「……だとしたら、なんだ」
フィルに駆け寄り回復魔法を掛けながら男の問いかけに答える。
「それを連れて早々に立ち去るがいい」
男が僅かに振り向くとダークシルバーの長髪が揺れ、青黒い肌の横顔が見えた。
服装はコートのような黒衣を身につけており、その周囲は重々しくすべてを力尽くでひれ伏すかのような、異様なアニマで覆われていた。
「そりゃありがたいお言葉だが、そうもいかない事情があってね。……念の為に聞くが、アンタが魔王か?」
「そうだ」
「そうか。どうやら話が通じそうな感じだから確認するが、アンタ、今まさに邪神ってヤツを召喚しようとしてる最中なのか?」
「違う」
「そうか。じゃあ……って、違う?」
いきなり話が違うんだが。
「貴様らが邪神と呼ぶ存在は既に顕現し、我が支配下にある。我が今行っていることは、その邪神を我が身に取り込み、自在にその力を操る為の術式行使だ」
「……そういうことかい。そりゃ怖い話だな。んで、その術式行使ってのが終わったらさっそく人類を滅亡させるのか?」
「人類を滅亡? ……そうか。貴様ら、ジル・ニトラにそそのかされてここまで来た手合いか」
「……どういうことだ?」
魔王はこちらをゆっくりと振り返った。
「我が邪神を取り込む理由。それは、神竜ジル・ニトラを殺す為だ」
「なに? ……じゃあ、人類を滅亡させるってのはジル・ニトラの嘘なのか?」
「嘘だな。滅亡させるつもりはない。従わせるつもりではあるが」
「なんだそりゃ。結局、似たようなもんじゃねぇか。……つーかよ」
俺は魔王の足元にある巨大な魔法陣に視線を落とした。
「それが邪神召喚……いや、邪神を取り込むのに使う魔法陣か?」
「そうだ」
「あのよ、アンタ話がわかるヤツっぽいから言うんだけどよ。とりあえずその、術式行使っての一時中断、いや、中止してもらってもいいか? まだまだ聞きたいことが色々とあるんだけどよ、この間にもその術式行使ってのが進行してるって思うと、落ち着いて話もできないんだわ」
「我にその願いを聞き届ける理由はない。だが、聞きたいことがあるというのなら聞くがいい」
「わかった。んじゃ時間もねぇから端的に言うわ。アンタ、人類を従わせるって言ってたよな。それ、どうやって従わせるつもりなんだ?」
「愚問だな。古来より権力者たちが新たな民を従えたのは何によるものか、知らぬわけではあるまい」
「……それよ、従えるまでに相当な血が流れるよな。そこんとこはどうするつもりなんだ?」
「知れたこと。従えるまで血を流し続けるだけだ」
「そうか。わかった。そこんとこハッキリしてりゃ俺が戦う理由としては十分だ」
俺は未だ目覚めないフィルを一度部屋の隅に置き、魔王の前に向き直るとハルバードにアニマを込めて頭上高く振りかぶった。
俺には今のところコイツが巷で言われているような、人類にとっての一方的な悪だとは思えない。
だがしかし事態は切迫している。
話しを聞くにもまずはヤツを止めなければならない。
「――いくぜ!!」
そして、魔王との戦いが始まった。




