第五十六話「その手を掴む者は」
フィル、スラシュ、そして生死不明のディナス。
「あの世でアイツらに再会したら謝らないとな……」
なにせ死ぬまでの経緯がひどい。
相棒を落とされて足止めされた挙句、敵と戦わずしてアニマ供給により死亡とか。
本当に申し訳ないとしか言いようがない。
「いや、このまま消滅したらあの世も何もないか……」
『――、――』
「……なに? 俺はまだ生きれるって?」
いや、どうやってだよ。
今の俺、全身の血管が破裂して心臓も動いてねぇんだぞ。
こんなのどんな治癒魔石も、治癒魔術も通用しねぇよ。
普段だったら反則級の治癒魔法を使える俺も、肉体と魂が剥がれかけてる状態じゃ何もできない。
今の俺を治せるのは、それこそ治癒魔法の本家大元であるミサぐらいだ。
だがそのミサはここにいない。
つまり誰も俺を治すことはできない。
『――お兄ちゃん……お兄ちゃん!』
そもそもミサは今やディアドル王国の専属魔法師であり、言わば王国の切り札だ。
だからたとえなんらかの方法でミサをここに呼び寄せる方法があったとしても、王国は彼女がここに来ることを許さないだろう。
『――死なないで……生きて、お兄ちゃん!』
だからこの声はミサじゃない。
ミサじゃないはずなのだが……。
「……ベニタマ。おまえ声マネ上手いな」
『――、――」
「とぼけんなって? いや、まあ本当はわかってんだけどよ」
でもさ、もし奇跡が起きてミサが助けに来てくれたんだとしたら、こういう場合って意識が戻るんじゃねぇの?
「一向に目が覚めねぇんだが……」
『――、――』
「渇望が足りない? いや、十分生き返りたいと思ってるんだが」
『――――』
「んだよ、なに怒ってんだ……うお!?」
ベニタマが急に膨らんだかと思うと、その中央からおもむろに一本の巨大な右腕が出てきた。
「ビックリした……って、これ、俺の腕じゃねぇか。……え? なに、来いって?」
言われるがままに俺はベニタマに近づいた。
次の瞬間。
「ぐはぁ!?」
俺はその腕に思い切りボディーブローをくらって真っ白な空間の果てまで凄まじい勢いで飛んでいき――そのまま意識が途絶えた。
◯
「お兄ちゃ……イグナートさん!?」
「おう……ミサ、久し振りだな……」
ベニタマのヤツ……荒療治すぎるだろ。
死ぬかと思ったぜ……。
「そういやミサ……さっきまで俺のこと、『お兄ちゃん』って呼んでたろ……」
「ふぇ!? ご、ごごめんなさい!」
「いや……合ってるぜ」
俺はふらつく足を押さえながら立ち上がり、ミサの頭をそっと撫でた。
「今まで黙ってて悪かったな……孤児院での『お兄ちゃん』は、俺だ」
「あっ……お兄ちゃん……」
ミサは俺を見上げ、涙を拭きながら笑顔で言った。
「うん……本当は、知ってたよ。イルミナさんに聞いてたもん」
「なんだ、知ってたのか……じゃあなんで知らないフリしてたんだ……?」
「迷惑かなって、思って……お兄ちゃん、お仕事大変そうだったし」
「ミサ……」
「おいコラそこ! 目が覚めたんなら手伝えよな!」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには茶髪の剣士が身の丈ほどもある長剣を振り回し、無数のスケルトンを相手に戦っていた。
「カイン……か?」
「おおい! 闘技大会で会ったばっかりだろ! 冗談キツイな!」
「はは、ちょっと目が見えにくくてな……」
目が霞むうえに視界がやけに狭い。
しかも頭がボーッとして上手く働かないのだ。
ベニタマにぶっ飛ばされて目覚めることができたってのは覚えてるんだが……。
「すまねぇな、ミサ。ちょっと聞きたいんだが……俺は、ここでなにをしてたんだっけか……?」
「お、お兄ちゃん……?」
「ちょっとそこのオーク! 目が覚めたんならさっさとミサから離れなさいよ!」
赤毛の少女がその身体に炎を纏い、スケルトンを浄化しながら挑発的な口調で言い放つ。
「おお、アリスか……? 大きくなったなぁ、おまえ……」
「ハァ!? この状況でなに言ってんのアンタ!? ボケちゃってんの!?」
「すまんな……まだ状況が掴めてねぇんだ……」
「危ない! お兄ちゃん!」
「あ……?」
背中に熱を感じる。
振り向くと、そこには俺の背中を刺したであろう血に濡れた剣を持つ、人型のスケルトンがカタカタとアゴを揺らして笑っていた。
「なん……だ……?」
背中を触ると、手がベットリと血に濡れていた。
なにかが、おかしい。
普通のスケルトン程度に斬られるほど、俺のアニマは弱くないはずなのに。
カタカタカタカタ。
スケルトンが笑いながら剣を振りかぶる。
カインがこっちの状況に気づいたが、その場所は遠い。
アリスは周囲のスケルトンで手一杯。
そして俺は……動けなかった。
「お兄ちゃん!?」
スケルトンの剣が振り下ろされる。
その時。
黒いマントをひるがえし、二本のショートソードを手にした少女が俺の前に割り込んだ。
「あ……」
危ねぇ、そう思ったのも束の間。
次の瞬間には少女の巧みな剣捌きでスケルトンは剣を弾かれ、首を飛ばされていた。
「メトラ、大丈夫か?」
「ティタ……なのか?」
明るい茶髪の頭に生えた猫耳がピクリと動く。
「そうだ」
「助かったぜ……なんだか体が動かなくってな……」
「メトラは後ろで休んでいるといい。ここはチキたちが守る」
「すまねぇな……」
そう言いながらもその場から動けない俺に、藍髪の優男が肩を貸して持ち上げる。
「らしくないね、イグナート」
「リーダー……?」
「重さはともかく、やっぱりキミほど大きいと運びづらいね。シエナ! 頼めるかな?」
「はーい!」
リーダーの呼び掛けに、オレンジ色のショートカットヘアに軽装備といった外見の女剣士が応え、反対側の肩を持つ。
「シエナさん……」
「やぁね、敬語はやめてって言ってるじゃない」
「はは……なんだか皆、勢ぞろいだな……」
「まったくだ」
そう言いながら現れた髭面のおっさんが、周囲にいたスケルトンを巨大なハルバードで薙ぎ払う。
「ちっ、腕がなまってやがる」
「院長……?」
「なにしけた面してんだ。さっさと行けよ」
皆に助けられながら後方へと辿り着いた俺は、負傷した兵士たちが休む森の一角に案内された。
どうやらここでは俺の知り合いだけではなく、多くの人間がスケルトンたちを相手に戦っているらしい。
リーダー、院長、シエナさんは俺を後方へ届けるとすぐに前線へ戻って行った。
「なにが……どうなってんだ……」
大木に背中を預けながら、森の隙間から戦場を見やる。
背中の傷は移動中にミサが治してくれていたようだ。
そのミサは森に着いたと同時に医者らしき人間に呼ばれて、他の負傷者を治しに行った。
「イグナート!?」
なにも考えられずボーッとしていると、ピンク色の髪をポニーテールにした女性が俺の近くに寄って来た。
「イルミナさん……だよな」
「目が見えないの!? キズは……ないのね。もう治したあとかしら。ということは血が足りない? ミサちゃんを……」
「いや……違う……違うんだ、イルミナさん……」
ミサを呼びに行こうとするイルミナさんを手で制する。
「ミサにはもう、治してもらったんだ……」
「え……それって……」
「イルミナ・フィエスタ」
どこからともなく、紫色のローブを纏った銀髪の女性が現れた。
「彼は私が受け持とう。キミは他の負傷者を頼む」
「ジル・ニトラ様……わかりました」
イルミナさんは俺に別れを告げると、ジル・ニトラに礼をしてその場を去って行った。
「さて……イグナート。私がわかるかね?」
「ジル・ニトラ……」
「そうだ。そのまま動くな」
ジル・ニトラが右手を上げると、彼女の後ろから黒紫の魔術師がひとり現れ、俺の首になにかペンダントのようなものを掛けてきた。
「なにを……」
「静かにしていろ。今にわかる」
ジル・ニトラがそう言うと、俺の首に掛かった青い宝石のペンダントから徐々に耳鳴りのような高い音が聞こえ始めた。
そしてしばらくその高い音が鳴り響いたかと思うと、突如として宝石に亀裂が走り……同時に音も止んだ。
「ふむ、ダメか」
「おい……なんだよこれ……」
「すまなかったな、イグナート」
ジル・ニトラは俺の言葉を無視して話し始めた。
「今回の事態は私にも到底、予測のつかないものであった。その結果、キミの献身に甘えてしまうような事の運びとなってしまったのは、ひとえに私の不徳の致すところである」
「なにを……言って……」
「ありがとう、イグナート。キミの犠牲を忘れはしない。せめて安らかに眠ってくれ」
「お……おい……!」
踵を返し俺の前から去ろうとするジル・ニトラのローブをなんとかギリギリで掴み、その歩みを止める。
「意味が……わかんねぇぞ……どういうことだ……」
「おっと、すまない。急ぐあまりに説明を省いてしまったか」
ジル・ニトラは俺の手に優しく触れて、ゆっくりとほぐしていく。
「まずは落ち着きたまえ。そして、心して聞いて欲しい」
「あ……あぁ……」
「キミの肉体と魂は急激なアニマ供給に耐えられなかった。よって回復不能な損傷を負ったのだ」
「回復……不能……?」
「そうだ。奇跡的にも肉体は回復魔法で元に戻ったようだが、魂の方は損傷が非常に激しい。肉体に留まっていられるのが不思議なぐらいにね」
「魂の……損傷……」
オウム返しのように呟く。
……なぜだろうか。
なにも考えることができない。
「治癒魔法で回復できない魂の損傷も、本来なら私が直接治療を施せば治すことも不可能ではない。……が、今キミに治療を施すことは私の『制約』に触れる。よって、キミは今から死ぬ」
「死……ぬ……?」
「ああ。残念だよ、イグナート。本当に残念だ」
そう言って今度こそ俺の前から去ろうとするジル・ニトラ。
「ま……待て……待てよ……ぐっ!?」
なんとか追いすがろうとする俺の顔面を、ジル・ニトラの傍らにいた黒紫の魔術師が蹴り飛ばす。
「すまないね、イグナート。私は忙しいんだ」
「あ……あ……待て……待ってくれ……」
力を振り絞って手を伸ばす。
だが……その手を掴む者は、誰もいなかった。




