第四十三話「涙」
そして次の日。
本来だと昨日が光曜、今日が火曜なので今までだったら夜の戦闘訓練があるのだが、あれから長時間かけてディナスを説得した俺は念願の平日夜休みを手に入れていた。
ヤツが最終奥義を使ったのがいいキッカケになっただけで、どちらにせよ夜の戦闘訓練はもうそろそろ抑え目にしようと思ってたからな。
俺は俺でやりたいこともあるし、これからはディナスとの戦闘訓練は週一ということで納得してもらった。
風魔法で空を飛ぶのもまだ自由自在とは言難いレベルだし。
当時よりはよっぽど慣れて使えるようになったが、まだまだ制御が甘いからな。
変わり身のペンダントでの本体、分体操作も合わせて、要訓練だ。
「また会いましたね、アル」
……で、夜になりさっそく風魔法の練習を終えてさぁ次は変わり身のペンダントで操作訓練だ、というところで俺は例のごとくフィルに見つかった。
うーん、もうこの姿で六回も遭遇してるんだが、俺のことを怪しいと思わないのだろうかコイツは。
一応、親が獣人の里まで向かうキャラバンを率いる商人だと言って誤魔化してるが……。
「アル? どうしたんですか?」
「いや、別に」
「なんですかー、もー、話してくださいよー」
「なんでもねーって……近い、近いから!」
「いーじゃないですか、男同士なんだし」
「よくねーよ! っていうかおまえ実は女だろ!」
「違いますよ。何度も言ってるじゃないですか。ボクは男ですって。女顔ですが」
「さすがにそれはもう通じないだろ……」
ここ一年半でフィルはビックリするほど成長した。
その見た目は完全に少女から美少女へクラスアップしてる。
男かどうかなんて確かめる必要もない。
フィルは間違いなく女だ。
白く華奢な手、桜色の唇、ささやかながら膨らんだ胸……胸……いや、胸はまったく膨らんでないぞ?
「ちょ、ちょっと、どこ見てるんですか!?」
顔を真っ赤にして胸を庇うフィル。
……マズい、あからさまに直視しすぎた。
話を逸らさねば。
「いや、まあ、その、首から何を下げてるんだろうなー、と思って」
「へ? あ……これですか?」
フィルは首の鎖を持ち上げ、胸元から藍色の宝石が付いているアクセサリーを取り出した。
ネックレス……いや、ペンダントってやつか。
「これはボクの家に伝わる家宝です。今では親の形見でもありますね」
「それは……あー……すまん」
興味本位で変なことを聞いてしまった。
そういえばいつも身に着けてるなぁと思ったが、親の形見だったのか。
「別に気にしてないですよ」
フィルはそう言って笑ったが、その顔はどことなく元気がなさそうに見えた。
……話題を変えるか。
「そういやこうして会うのも多分、今日で最後になるな」
「え?」
「フィルは獣人の里を越えて魔王を倒しに行くんだろ?」
フィルとこの姿で遭遇した三回目だか四回目だかに、その辺の事情はもう本人から聞いていた。
初対面こそ警戒されていたが、遭遇を繰り返し雑談をするうちに俺はすっかりフィルから気に入られたようだった。
「そう、ですけど……」
「なんだよ、怖いのか? 魔王が」
「…………怖いです」
「うぇ?」
予想外の返答に思わず変な声が出てしまった。
この一年半、俺がイグナートの時はおろか、アルカディウスの時ですら魔王討伐に弱音を吐くことなどなかったフィルなのだ。
心中どのように思っていようと、まさかここで素直に自分の内心を吐露するとは思いもしなかった。
「勇者として、自分が死ぬのは覚悟してます。たとえ刺し違えてでもボクは魔王を倒すつもりです。でも、もし倒せなかったら……世界が終わる。なにもかも、闇に呑まれてしまう。……それが怖いんです」
「…………」
気休めの言葉など口にはできなかった。
フィルは『絶対に負けない』という強い意志を勇者の剣に込め、そして誓った。
だが命を懸けるほどの誓い、強固な意思があったとしても、届かないものは届かない。
皮肉にも一年半前、俺はそれを証明してしまっていたのだ。
「……なぁ、勇者ってのは他の人間がやるわけにはいかないのか?」
「……え?」
「そんなのさ、他の人間に任せちゃえばいいじゃん。なんなら俺がやったっていいぜ?」
「アルが?」
「ああ。結構強いんだぜ、俺」
ホアチョー、と拳を構えて拳法っぽいポーズを取る。
「プッ……あはは、ダメですよ。勇者はその時代に一人きり、神々の総意によって選ばれるんですから。一度選ばれたら、今代の勇者が死なない限り別の人間が勇者になることはできません」
「ひえー、そりゃまたヒドイ話だな。そんなの闘争心溢れてるようなヤツにやらせればいいのにな」
具体的に言えばディナスとか、ディナスとか、ディナスとか。
「ふふ……やっぱり優しいですね、イグナートさんは」
「今のどこらへんに優しさが……って、へ?」
「気づいてましたよ、結構前から」
なんでもないことのようにサラリと言うフィル。
「ところどころイグナートさんと仕草が被るし、色々と話しに無理があるし……だいたい、同じ方向を目指してるからってそう何度も偶然会うわけないじゃないですか。ボクから会いに行ってたんですよ。ボクらの馬は体力、足の速さからして普通とは違うんですから、そもそも行商キャラバンが追いつけるはずありませんし」
「うぐっ……」
ぐうの音も出ない。
そうか、細心の注意を払ってるのに何度も遭遇するのは、フィル自身が会いに来ていたからなのか。
ぬぅ……なにかおかしいと感じてはいたんだが、深く考えてなかった。
「……ディナスやスラシュには内緒にしておいてくれないか?」
「なぜですか?」
「これはだな、魔王討伐が終わった後、おまえらから逃げるための秘術だったんだ」
「ボクたちから逃げる? なぜですか?」
「それは……あー……」
本当は勇者一行なんて厄介事フラグ満載な存在から逃れて、人類奉仕ルートを避けるためなんだが……。
「ほら、あれだ、あれ。ディナスなんか絶対俺に付きまとってくるだろ? だから逃げるんだよ。俺は平穏な日々を目指してるからな」
「ウソですね」
まさかの断定口調。
「いや、ウソじゃねぇよ」
「本当かもしれませんが、それが全部ではないですよね?」
「うっ……」
なんだコイツは。鋭い。エスパーか?
「なぜ本当のことを言ってくれないんですか?」
「…………」
「……責めるような口調になって、すみません。言えない事情があるならいいんです。忘れてください」
悲しげな顔でうつむき、そう謝罪の言葉を口にするフィル。
「いや……まあ、な……」
俺なんて比じゃないくらい過酷な運命を背負ってる勇者に対して、『面倒事に巻き込まれたくない』なんて……言えねぇよ。
「あはは……ちょっと暗くなっちゃいましたね。もっと別の話をしましょうか」
「そ、そうだな」
十一歳から気を使われる三十七歳。
……情けねぇ。
「そういえば、もう正体はバレてるからまたその姿で定期的に会えますよね?」
「え……」
「……イヤ、ですか?」
「そうじゃねぇけど、この姿で?」
「そうですよ。だってイグナートさん、元の姿だとボクを避けるじゃないですか」
「あー……まあ確かにそうだけど」
「それに、その姿の方が同い年って感じがするじゃないですか」
ニコニコと満面の笑みで言うフィル。
そういや同年代の友達が今までいなかったって前から話してたな。
「でもいいのか? 中身はおっさんだぞ?」
「え? でもイグナートさん、本当はボクと同い年なんですよね?」
「ん?」
「はい?」
互いに首を傾げる。
……あ、もしかして、この世界での実年齢のことか。
「孤児院の皆さんに聞いて当時は本当に驚きましたよ。三歳の時点でもう今の体格だったとか。ボクも相当にバケモ……んん、規格外であると言われてきたものですが、上には上がいると、あの頃は子ども心ながらに励まされたものです」
「おまえ今途中でバケモノって言いかけたろ」
「あ、えへへ、わかりました?」
「当たり前だろ。むしろそこまで言ったなら言い切れよ。俺は別に気にしちゃいねぇ。多分、おまえが想像する百倍は言われ慣れてるからな」
「イグナートさん……」
じわり、とフィルの目元に涙が浮かんだ。
「お……おい。どうした急に」
「だって……イグナートさんがまるで、なんでもないような風に言うから……」
「ん、んん? そりゃ……」
どういう意味だ、と言おうとしたところでフィルの両手がこちらに向かって伸びてきた。
そして優しく頭を抱えられ、ゆっくりとフィルの胸へと誘導される。
「なにを……」
「強がらないで、いいんですよ」
「……へ?」
「ううん、違う。そうじゃなくて……」
フィルは俺を強く抱きしめながら言った。
「強がらないで、ください」
「…………」
「ボクの前では……ボクの前だけは……お願いします……」
ポロポロと、熱い涙が俺の首に落ち、流れていく。
「……わかったよ」
「ぐずっ……ぜんぜん……わがってまぜん……」
「わかってるっての……」
「だって……泣いてないじゃないですか……」
「…………」
そんなこと言われても……。
涙なんて前世の少年時代で一生分どころか二生分ぐらい流したからなぁ。
現世じゃ泣きたいと思っても涙が出ない。
「………………涙なんてとっくの昔に枯れた」
「っっっ! うぐぅっ!!」
フィルの俺を抱きしめる力がさらに強くなる。
胸にクッション的な物がないからちょっとデコが痛い。
「じゃあ! その分ボクが代わりに泣きますぅぅぅ!!」
「なぜそうなる」
「だって……だってぇ……イグナートざんがぁ……」
「あー…………わかったよ。泣いてくれ、俺の分まで」
「言われなくてもぉ……泣きますぅ……うぅ……」
「…………」
俺は抱きしめられたまま、泣く子をなだめるようポンポンと、フィルの背中を叩いた。
「……ったく、どっちが強がってんだか」
「ぐすっ……なんでずかぁ……?」
「なんでもねぇよ」
その夜は一晩中、泣き続けるフィルに抱きしめられていた。
そのためアニマで作られた分体なのに、変な姿勢で首が痛くなるという稀有な体験をしたが……自分の代わりにさんざん泣いてもらったからだろうか。
フィルが泣き止み朝日が見える頃には、俺の気分は晴々しいものとなっていた。




