第四十一話「休息日」
魔王討伐の旅を始めてから一週間が経過した。
ちなみに今更ではあるが、この世界の一週間は前世と同じ七日間だ。
ただ一ヶ月は毎月変わらず二十八日間であり、前の世界と違って一年は十三ヶ月である。
そして七日間はそれぞれ光曜、火曜、水曜、風曜、雷曜、土曜、闇曜と毎週決まった曜日がある。
旅に出たのが土曜日だったので、一週間後の次の日である今日はちょうど闇曜日だ。
孤児院では基本無視されていたが、本来はこの世界で休息日と決められている曜日である。
つまり、俺がなにを言いたいのかというと。
「休ませてください」
こういうことだ。
「む……」
ディナスが構えていた剣を下げる。
今は夜。
いつもの如く焚き火をしている拠点から離れて、ここ一週間の恒例となった戦闘訓練を行う直前だ。
「……わかった。今日の戦いは無しとしよう」
「いいのか?」
思わず聞いてしまう。
ディナスは戦闘狂だ。
自分で言うのもなんだが、正直聞き届けてもらえないと思っていた。
「うむ、イグナートが自ら『休ませてほしい』と言ったらその通りにするよう、スラシュから念を押されていてな」
「おお……」
さすがスラシュ。
やっぱ勇者一行の中では唯一の常識人だな。
年齢の話が関わらなければ。
「しょうがない。では私は久し振りに、意識内で仮想敵を相手に戦うとするか。イグナートはどうする?」
「あー……俺は適当にそこら辺ブラブラしてから帰るわ」
「そうか。ではまたな」
ディナスはそう言いながら踵を返し、来た道を戻っていった。
「……さて、と」
ディナスの姿が見えなくなったのを見計らって、風魔法を発動させる。
久し振りの休みだ。
ぐっすり寝ちまいたい気持ちもあるが……それ以上に試してみたいことがあった。
それは――風魔法で、空を自由に飛ぶことだ。
◯
結論から言うと、無理だった。
最初は少しだけ体を浮かせる状態を目指して風魔法を使ったのだが、これがまた非常に安定しない。
すぐにそこら辺の木にぶつかってしまう。
次に思い切って大量の風を使い上空目掛けて飛んだはいいが、そのあと自由に制御ができない。
つまりとてもじゃないが『空を自由に飛んだ』とは言えない状況だった。
『空を色んな角度で吹っ飛んだ』というのが正しい。
「難しすぎるだろ……」
俺は木々に衝突しながら地上に下りたあと、上空で制御がきかなかった恐怖に膝を抱えながら反省点を整理していた。
まず、大して風魔法に慣れていない状態で『飛行』なんて試みたのが間違いだったのだ。
おそらく風魔法で俺の巨体を自在に動かすのは、ただ単に火魔法や雷魔法を使うよりよっぽど難易度が高い。
「要練習だな……」
風魔法で物を動かすには繊細な制御が必要だ。
小さな物から徐々に練習していこう。
今夜はすっかり風魔法に対する気持ちが萎えてしまったが、実は他にもやりたいことがある。
それは『変わり身のペンダント』を使用した際の本体、及び分体の制御練習だ。
「相変わらず妙な感覚だな」
変身後、小さくなった自分の手をまじまじと見ながら呟く。
声も少年らしく変わってるし……古代魔導器ってのは本当に凄いもんだ。
「よし」
色々と試してみるか。
透明になった本体、少年の姿をした分体を操ること自体はそこまで難しくなかった。
片方を止めて、片方を動かすことも数十分練習したら特に問題なくできるようになった。
だがやはりというか、それぞれを別々に、まったく違う動作をさせるのは非常に難しい。
大体の感覚を共有した状態で同じような動作をさせる分には簡単なんだが……これも要練習だな。
そしてしばらく練習を続けたあとで、ふと疑問に思った。
分体に意識を集中している状態で物に触ると、分体の手自体に触れた感覚がある。
では分体が水を飲んだり食べたりしたら、ちゃんとそれらの感覚はあるのだろうか?
試してみた。
結論。
「飲んでる感覚がある……」
湖の水を手のひらで救い上げ飲んでみたら、ちゃんと水を飲んでる感覚があった。
これは凄い。
夢が広がってきた。
だって、これやろうと思えば分体だけで生活することも可能じゃん?
そしたら……あ、いや、ダメか。
本体どうすんだよって話だな。
分体でメシ食っても本体に栄養がいくわけじゃないだろうし、結局は分体だけじゃ生活は無理か。
「ままならねぇなぁ」
「キミは、誰?」
「……へ?」
変わり身のペンダントを利用してなんとか快適ライフを送れないかどうか思案していたら、いつの間にか数メートル先にフィルが立っていた。
しかもこちらを警戒しながら、剣を構えて。
「あ、俺?」
「キミ以外に誰かいるの?」
俺は辺りを見回した。
誰もいない。
ってことは俺だということになる。
これは……ミスったな。
考え事してたからか、フィルが近付いてくるのに全然気がつかなかった。
変わり身のペンダントを使った時の姿は、勇者一行メンバーに見せるつもりはなかったんだが……。
「あー……怪しい者じゃないぞ?」
「…………」
うわ、メッチャ怪しんでる。
そりゃそうだよなぁ。
こんな森の奥、しかも生命の森に子どもがいる時点で怪しいって。
大人だったら商人、狩人、冒険者、あとは自殺志願者とか色々いるけど……。
……いや、待てよ?
んなこと言ったら第三者的に見て、フィルも怪しい立場じゃん。
俺も怪しんでおいた方がいいか。
勇者一行にこの姿が俺だとバラすつもりはないからな。
ここは無難に切り抜けよう。
「っていうか、そっちこそ何者だよ。剣なんて構えて……危ないヤツだな」
「…………」
「う……な、なんだよ……」
ジッと俺の目を見つめるフィル。
ちょ……初対面の子どもに剣を構えてガンつけるとか、ガチでコイツ危ないヤツなんだけど。
怖いよ。
「……失礼しました。ボクはフィル・ヴォルト・ブリクスト・ドゥンデル。訳あって旅をしている最中です。あなたは?」
剣を鞘に収めて簡素な自己紹介を済ませたフィルが、次は俺の番だと言わんばかりに聞いてくる。
「お、俺? 俺は……」
俺……俺の名前か。
そうだよな、そりゃ聞かれるよな。
失念してたぜ。考えときゃよかった。
イグナートじゃどう考えてもマズイから、この姿で使う別の名前……名前……。
「あ」
「あ?」
「ア……ルカディウス。そう、アルカディウスだ。親が行商人やっててな。俺も修業ってことでついてきてるんだ」
「そうなんですか。……それにしては随分といい服を着ていますね。まるで貴族のようです」
「そ、そうか? 俺は気にしたことなかったけど、服は親の趣味でさ」
「そうですか。それだけの服を旅着にできるとは、よほどの豪商なのでしょうね。この近くにキャラバンがあるのですか?」
「あー……いや、近くにはない。そこそこ遠いかな?」
「……なぜキャラバンから遠く離れてこちらへ来たのですか?」
「なぜって……冒険したいから、かな」
「冒険……?」
フィルの表情が再び訝しげなものになってきた。
「あーもう! 細かいことばっか気にするなよ! そんなんばっかり言ってたらモテないぞ!?」
コイツの場合、男か女かどっちにモテるのかは知らんけど!
「もてない……? どういう意味ですか?」
「人に好かれないってことだよ!」
「えっ」
フィルはショックを受けたように目を見開き、そのまま黙り込んでしまった。
「お、おい……?」
「……それは」
下を向いたまま、小さな声で呟くフィル。
「人に嫌われるのと……同じ意味でしょうか」
「……は?」
急になにを言い出すんだコイツは。
いやまあ、人に好かれない要素ってのが人に嫌われる要素と同じってのは、ままあることだろうけど。
「……ボクは今、四人組で旅をしているのですが」
フィルは俺の返事を待たず、湖の水辺に座り込んだ。
「そのうちの一人に……どうやら嫌われているようなのです」
両手で膝を抱え、泣きそうな顔で水面を見ながらポツポツと呟くフィル。
「お、おう……」
「ただ、なぜ嫌われているのかわからなくて……ボクは仲良くしたいと思っているのですが」
「…………」
俺は反応に困った。




