第二百十五話「正解」
創造神の力により次々と蘇生していく者たちが未だその場に膝をついたり、ボーッと立ち尽くしていたり、周囲を見回している中、ジル・ニトラだけは唯一、俺をまっすぐ見つめて言葉を投げかけてきた。
「ほう……なるほど、なるほど。この状況は……つまり、ヴィネラが執着していた『彼』の手際によるものだな。違うか?」
「……だったらなんだ?」
「なに、簡単なことさ」
ジル・ニトラは肩をすくめ、苦笑しながら言った。
「降参だよ。命乞いをしようと思ってね」
「……なんだと?」
「予言した通りに復活したとはいえ、こんな状況下で蘇るとは思っていなくてね。どうやら私に勝ち目はなさそうだ。素直に負けを認めるよ。罪を償おう。この世界から出ていけと言うならばそうしよう」
「…………どういうつもりだ」
俺の中には今もスヴァローグがいる。
そして更に、今も俺のスヴァローグは創造神と繋がっている。その感覚がある。
今更ジル・ニトラに何かできるとは、到底思えない。
だがそれでも、今すぐジル・ニトラを滅するべきではないと感じるのは……なぜだ?
「いやなに、キミたちが私の予想を遥かに超えていたから、考えを改めたのだよ」
「…………」
例のごとく、嘘はついていないようだ。
しかしだからといって生かしておくつもりはまったくない。
俺は色々と甘いところがあると自覚しているが、コイツだけは別だ。
残酷な人喰いの神竜、ジル・ニトラ。
今は考えを改めていても、未来はわからない。
いくらこの星を復元し、みんなを生き返らせてくれた彼が『仲良く』と言ったところで、こればかりは譲れない。
ジル・ニトラは魂ごと消滅させる。
そう決意して、真紅の人型である彼に視線を向けた。
彼は俺の考えを悟ったのか小さく頷きながら言った。
『キミの判断に任せるよ』
「……わかった」
ならばやることはただひとつ。
俺はジル・ニトラを根本から消滅させようと、右手のひらをヤツに向けた。
そして意識を集中してイメージを固めようとしたその時。
突然、アイリスがジル・ニトラの前に飛び出してきた。
「待って!! イグナート、アナタ何をするつもり!?」
「……アイリス、そこをどいてくれ」
「嫌よ! お母様を殺すなら、私を殺しなさい!」
「アイリス……」
俺はアイリスを説得するように語りかけた。
「そいつは、おまえを殺して自分の生命力にしたんだぞ」
「私が捧げたの! 私の意思よ!」
「アイリス。おまえは洗脳されて、良いように利用されてるんだ。記憶をいじられて、非常食とかペットとか言われて、殺されて……目を覚ませ。おまえが殺されたあとも、そいつは『茶番をやらされ辟易したよ』なんて言ってたんだぞ。おまえは……」
言葉を続けることに逡巡する。
だがここで誤魔化すようなことはしない。
意を決し、悪者になるつもりで俺は……その残酷な言葉を言い放った。
「……おまえは、ジル・ニトラに愛されてなんかいないんだ」
「嘘よ! お母様は、私を愛しているわ!」
「非常食として、だろ。それは愛されてるって言えるのか?」
「本当に愛されたことのないアナタに何がわかるの!?」
予想外に飛んできた発言を受けて、思わず言葉を失う。
「伯爵夫妻がアナタに向けた愛情は結局、亡き娘の代替品としてじゃない! しかもアナタは姿素性を偽って! そんな偽物の愛情しか知らないアナタに、とやかく言われたくない!!」
「――――」
それは。
それはずっと、心の奥底にあった考えだった。
どこまでいっても伯爵夫妻にとって俺は娘の代わりでしかなく。
姿素性の偽りが前提となる関係は、結局のところ偽物なのではないかと。
もともと心の奥底にその考えがあっただけに、アイリスの言葉は俺の心を強く打った。
しかし――それで俺の決意は揺るがない。
偽物だろうがなんだろうが、俺が伯爵夫妻を大切に想う気持ちは本物だ。
そこまで考えて……アイリスが言っていることもなんとなく、わかる気がしてきた。
外野がとやかく言ったところで、アイリスの意志は変わらない。
外からどう見えようと、彼女が言う愛は、彼女にとって本物だからだ。
「そうか……」
だとするならば、説得は無意味だ。
アイリスには悪いが、このままジル・ニトラは消させてもらう。
もしそれでアイリスがどうにかなるようだったら最悪、彼女の記憶を消すか改変する。
非情だが、仕方がない。俺は、俺の大切な人たちを守る。
深く息を吸い、吐いて、意識を集中する。
対象は、ヤツだけだ。
ジル・ニトラのみを燃やし尽くす浄化の炎をイメージしていく。
そんな中、俺がやろうとしていることを悟ったのか、アイリスは大声で叫び始めた。
「やめて! イグナート! お願い……お母様を殺さないで!!」
俺が無視してイメージを固めていると、アイリスは光の魔術を使ってこちらに攻撃してきた。
無数の光が柱となって迸るが、眼前に魔法障壁を作りそれを防ぐ。
今やアイリスはもちろん、ジル・ニトラでも俺を止めることはできない。
加えて、周囲はジル・ニトラの敵だらけだ。
ゼタルやディナス、バルド、ティタも俺がやろうとしていることを察しているのか少し離れた場所でこちらを眺めている。
ルカも自分に俺は止められないと悟っているのか、ただ見ているだけだ。
黒紫の連中は何の命令も受けていないからか、突っ立っているだけ。
なのになぜか、ジル・ニトラは慌てもせずその顔に笑顔を浮かべている。
神竜と名乗るだけあって、死に間際でも落ち着いているだけなのかとも思ったが……どこか、嫌な予感がした。
このままジル・ニトラを消滅させるのは悪手なのではないか。
いや、そもそもヤツを完全に消滅させることは可能なのか。
消滅させたところで、何らかの方法でまた蘇るのではないか。
そんな考えが頭をよぎった直後、一瞬だけ妙なイメージが脳裏に浮かんだ。
「今のは……」
ハッと『あること』に気がつき、創造神を経由してアーカーシャの記録を探る。
そこでジル・ニトラの、無数の未来を視て、驚愕した。
ジル・ニトラの未来が視える。
つまりそれは、今後ジル・ニトラが生き残り、そこには俺がいないことを意味する。
なぜなら俺や創造神が関わっている場合、その事象はアーカーシャに記録が残らないからだ。
俺がジル・ニトラを消滅させたのち、どうやってヤツがまた復活するのかはわからない。
そしてなぜその場に俺がいないのかも、わからない。記録が残っていない。
どうやら未来において、その理由がわかる肝心な場面にはまだ、俺が『いる』らしい。
「……ダメだ」
肝心な部分がまったくわからない。
わかるのは……このまま何の策もなくジル・ニトラを消滅させれば、ヤツは将来なんらかの方法で蘇り、俺は復活したヤツのそばにいないという、最悪の事態が訪れることだけだ。
どうすれば最悪の事態を回避できるか。
いつくもの方法を考えては却下し……あるひとつのイメージを思い浮かべた次の瞬間。
突然、アーカーシャにあった無数のジル・ニトラの未来がほとんど消えて視えなくなった。
「そうか、これが――」
正解か。
「お母様! なぜ……なぜ抵抗しないの!?」
「この状況下では抵抗しても無駄だからな。それに、イグナートがどうやって私を消すつもりなのかも興味がある」
ジル・ニトラは不敵な笑みを浮かべて言った。
「フフ……消すなら消すで、やり方を間違えるんじゃないぞイグナート。間違えれば……一生後悔することになる」
「ご親切にどうも。肝に銘じるよ」
俺はそう返して、創造神の力で練った『正解』のイメージを解き放った。




