第二百十三話「刻一刻」
「返してもらう……って言われても、困るんだが」
創造神の力はスヴァローグを経由して使っている。
つまり今スヴァローグを手放せば創造神の力は使えなくなり、黒き星を止めるどころか、少数の親しい人間を助けることすらできなくなる。
しかしヴィネラはそんなこちらの事情など知らぬとばかりに、見えない力で俺からスヴァローグを引き剥がそうとしていた。
ほとんど俺自身の魂と同化したはずのスヴァローグがふたつに分けられ、無理やり分離させられるような感覚が襲ってくる。
『アタシに支配権があるはずなのに、なんで抵抗できるのよ……ここにきて変質? やめてよね、そういうの』
「そっちこそやめてくれ。ここを乗り切ったらスヴァローグは返すから、頼む」
『バカね、乗り切れるわけないじゃない。いいから早く返しなさい。命は助けてあげるから』
「全人類の命もか?」
そう問いかけると、ヴィネラは凍えるような目つきで俺を見下ろしながら言った。
『なぜアタシがそんなことをしなくてはならないの? 調子に乗るのもいい加減にしなさい』
「無理なのか?」
『何をどうやっても無理ね。できたとしてもやらないけれど』
「だったら待っててくれ。今の俺にはスヴァローグと創造神の力が必要なんだ」
こうしている間にも、刻一刻と時間が迫ってきている。
不毛な問答をしている暇はない。
『ダメよ。それじゃ間に合わないわ』
「そんなこと言ったらこっちだって……いや待て、何が間に合わないって言うんだ?」
『……アナタには関係のない話よ』
「そうか。だったら……」
バックステップでヴィネラから大きく距離を取り、深呼吸して己の中にいるスヴァローグに精神を集中する。
そしてヴィネラによる干渉を撥ね退けるよう、スヴァローグに備わる『神』の力を使って強くイメージした。
「最後の最後まで、抗うまでだ」
スヴァローグ自体元々がヴィネラの支配下にあったせいか、完全に干渉を撥ね退けられることはできないようだ。
それでもこうして抵抗すればおそらく黒き星が降ってくるまでに支配され切ってしまうこともないだろう。
俺が覚悟を決めて徹底抗戦する態度を見せると、ヴィネラは心底嫌そうな表情で声を荒げた。
『ああもう……わかった! わかったわよ! なんとかすれば良いんでしょう!?』
「なんとかって……できるのか!?」
『わからないわよ!』
「っ!?」
『ハァ……癪だけど、わからないのなら、わかるヤツに聞けば良いのよ』
ヴィネラが空中を移動しながらこちらに近づいてくる。
『ほら、スヴァローグを寄越しなさい』
「おい……それじゃさっきまでと変わらないだろ」
『いいから寄越しなさい。できる限りのことはしてあげるから』
うんざりしたように言うヴィネラから嘘は感じられなかった。
だがここでなんの迷いもなくスヴァローグを託すには、あまりにもリスクが高すぎる。
しかしだからといって他にどうすれば良いのだろうか。
俺が悩み決断できないでいると、ヴィネラはじれったいとでも言うように声を上げた。
『あのねぇ、言っとくけどもう時間がないのよ! 早くして頂戴!』
「そうは言っても……できる限りのことっていったい何なんだ?」
『時間がないって言ってるのに……そんなに心配ならひとまずスヴァローグひとつ分だけでいいから寄越しなさい! 元々はふたつ分だったんだからそれぐらいできるでしょ!?』
ヴィネラの焦った様子を見て、このままでは何もかも黒き星に呑み込まれてしまうことを思い出した俺は、もうなるようになれ……という気持ちで統合していたふたつのスヴァローグのうちひとつ分を抽出した。
「裏切ってくれるなよ、ヴィネラ」
『できる限りはやるって言ってるでしょ』
俺は膨大なアニマをとことん圧縮し、手のひらサイズにしたスヴァローグひとつ分を差し出した。
ヴィネラはそれを受け取ってすぐさま、空に浮かぶ巨大な真紅の光球である創造神の元へ飛んでいった。
「おい、どこに行くんだ!?」
『いいから黙って見てなさい!』
俺はヴィネラのあとを追って創造神の前まで飛翔した。
何をするつもりなのか俺が訝しげに見ていると、ヴィネラはスヴァローグを無数の複雑な魔術式で覆い、創造神へと撃ち出した。
撃ち出されたスヴァローグは創造神の中に沈み込み、静寂が訪れた。
……これは何をやってるんだ?
疑問に思ったその時、創造神の表面が波打つように脈動し始めた。
膨大なアニマが周囲に吹き荒れ、その余波だけで意識が飛びそうになる。
『くっ……こんな強引に入れ替えることになるなんて……ジル・ニトラのヤツ、とんだ置き土産を……!』
よくわからないことをブツブツと呟くヴィネラが片手を伸ばし、そこから無数の魔術式が創造神に向かって入り込んでいく。
次の瞬間、創造神全体から真紅の閃光が放たれ、より一層膨大なアニマが吹き荒れた。
何が起こっているのかは不明だが、大爆発でも起きるのではないか。
ちょうどそう危惧し始めたタイミングで、ヴィネラがまるで魚の一本釣りでもするかのような動作で腕を引き上げた。
直後、無数の魔術式に繋がる引っ張られる形で創造神の中から真紅の光球が飛び出してきた。
スヴァローグと比べれば大きいが、創造神本体と比べたらかなり小さい。
ヴィネラより少し大きいぐらいの光球だ。
『いつまでも寝てないで――起きろこのバカ!!』
ヴィネラが飛び出してきた真紅の光球に大振りのビンタをかました。
すると何が起こったのか、真紅の光球はみるみるうちに人型の光へと変化していく。
一見スヴァローグが擬人化した姿に似ているが、こちらは少年もしくは少女のようなシルエットではなく、ゆったりとしたローブを纏った成人男性に見える。
そしてふと気がつけば、周囲に吹き荒れていた膨大なアニマの奔流は消え、創造神の異変は治まっていた。
『う、うーん、痛い……あれ? ヴィネラ?』
『これ、現在の状況をまとめた記録』
ヴィネラはそう言いながら手のひらから小さな光球を作り出し、至近距離で『彼』の頭にぶち当てた。
『アイタッ!?』
『即行で把握して、三十秒以内に解決策を出すこと。いいわね?』
『へ!? いやいや、ヴィネラ、ちょっと待っ……』
人型の彼が焦ったように言うと、ヴィネラはその胸ぐらを掴んで凄んだ。
『い、い、わ、ね?』
『あ、はい、わかりました……』
人使いが荒いなぁもう……なんてことを呟きながら彼は頭に手をやると、三十秒どころか十秒も経たないうちに顔を上げて言った。
『うん、なるほどね……これは無理だ。黒き星は止められない。逃げるしかないね』
「ちょ、ちょっと待て待て!」
それは聞き捨てならない。俺は彼に詰め寄った。
ここまで情報が揃ったらいくら俺でもわかる。
彼は俺が夢で見た、創造神を作り出し自らがその核となったあの優男だ。
生まれつきアーカーシャに繋がっているという彼はおそらく、ここにいる誰よりも『解決策』とその『答え』を出す能力に秀でているはず。
「本当に何も方法はないのか? 本当にこの星を……この星にいる人たちを助けることはできないのか?」
『うーん、残念だけど……手持ちの材料じゃどうやっても無理かな』
「早い早い、結論を出すのが早すぎる! もっとちゃんとアーカーシャの情報を探してくれ! 考えてくれ! アンタなら解決策を出せるはずだろ!? なぁヴィネラ!?」
そう呼びかけると、ヴィネラは興味なさげに小さくため息をついて言った。
『アタシ、そんなこと言ってないわよ。コイツならなんかできるんじゃないかって思っただけで。そもそもアタシは『できる限りのことはする』って言っただけだし』
「そん、な……嘘、だろ……?」
思わず口から出た問いかけに……ヴィネラも彼も、何も答えることはしなかった。




