第二百十二話「抗えぬ運命」
ヤツが自分の勝ちを宣言した次の瞬間。
背筋にぞくりと、冷たいものが走った。
何も聞こえない。
何も聞こえないが、確かに聞こえる。
矛盾しているようだが、そう表現する他に言いようがない……異様な感覚だった。
「イグナート。キミが得た創造神の力は確かに凄まじい。この世界には、その力に抗うことのできる存在はいないだろう。だが……それは、『この世界』に限った話なのだよ」
ジル・ニトラは両手を広げ、心底愉快そうに笑いながら言った。
「思い出したまえ。キミは何から人類を守ろうとしていたのか。――そして絶望するが良い。抗えぬ運命に」
「……まさか」
ヤツの言葉を受け、真っ赤に染まった空を見上げようとしたその時。
地響きと共に足場が揺れ始めた。
「なっ……!?」
まともに立つことさえ難しいほどの揺れに驚愕する。
なぜだ? ここは飛空城……地震など、ありえるはずがないのに。
「おっと……フフ、そういえばそうだった。この城を浮かせている『核』は神器だからな。影響が出るのも無理はない」
ジル・ニトラはふらついて肉片の山に尻もちをつくと、驚いた様子もなく呟いた。
なぜかその身体からは大量のアニマが湯気のように立ち上り、空へ吸い込まれるように浮かび上がっている。
そして気がつけば飛空城の瓦礫の下、そこかしこから同様にアニマが立ち上り、空へと浮かび上がっていた。
遠くの空を見上げても同じ光景が見えることから、地上でも同じ現象が起こっているようだ。
「ジル・ニトラ……おまえ、何をした!?」
「フフ……大したことはしてないさ」
ジル・ニトラは消耗し切ったのか、肉片の山に背中を預けたまま穏やかに笑った。
「私はただ、呼んだだけだよ……『神』と同じく世界の外側に在り、『神』をも喰らう超常の存在――黒き星を」
「呼んだ、だと……!?」
「フフ……私は以前、アレを長らく観測していたと言っただろう? アレは、より食いでのある星を優先的に呑み込む傾向がある。今まではただ、進行方向からして無数の星を呑み込んだのちに『やがて』この星に来るという話だったが……凡庸な星よりもよほど食いでのある創造神がここにいるとわかれば無論、その限りではない。寄り道などせず、一直線にこちらへ向かってくるのは当然だ。ただ……」
ジル・ニトラは肩をすくめて苦笑した。
「まさか、これだけの力があるとは思わなかったがね。まだ距離は遠く離れているはずだが……ここまで遠隔のアニマ吸収能力を持つとは、私も驚いたよ。創造神の加護があるキミはさすがに抵抗力があるようだが……まあそれも時間の問題だろう。アレがここに来たらいずれにせよ終わりだ。本家大本の『神』ならばともかく、キミの創造神は人工の神だ。天然の暴威には敵わんよ」
俺はジル・ニトラの言葉を途中から聞き流し、アーカーシャに接続して黒き星の情報を集めようとした。
だが今の俺や創造神と同じく『世界の外側』に在るという黒き星の記録は、一切アーカーシャに存在しなかった。
しかし黒き星の周囲にある空間情報をアーカーシャから取得し、リアルタイムで位置情報を観測することでひとつの恐るべき事実が判明した。
――このままだと、黒き星は十数分程度でこの星に到達する。
「……無理だ」
アーカーシャから黒き星の情報を取得できなくとも、創造神と繋がっている感覚でわかる。
ジル・ニトラが言う通り、創造神の力では黒き星を消滅させることはおろか、止めることも、軌道をずらすこともできない。
創造神は文字通り、次元の違う存在だ。
だが黒き星は、そんな創造神と比べても更に次元の違う存在だと言えるほど、圧倒的だった。
周囲の空間情報から推測する大きさだけで比較してもそれはわかる。
創造神が人間サイズだとするならば、黒き星は『銀河系全体』よりも大きい。
ハッキリ言って比べ物にならない。
仮に創造神ごと世界を移動したとしても、黒き星はいまや創造神を目的として向かって来ているから意味がない。
逃げ切れる未来も想像できない。
「いや……」
諦めるな。何か方法があるはずだ。
アーカーシャはこの世すべての叡智が集まる記録庫。
だとすれば、『奥の手』を使えば解決策は見つかるはず。
慣れていないとか、失敗した時のリスクがどうとか言ってる場合じゃない。
俺は精神を集中し、イメージを固め、膨大な量のアニマを創造神から引き出した。
そして呟く。
「『時よ止まれ』」
刹那、世界が灰色に染まった。
地響きは止まり、俺が聞いてもいないのに未だ喋っていたジル・ニトラも静止した。
「成功したか」
ホッと一息つく。
これで時間は無限にできた。
あとはアーカーシャから情報を集めながら、解決策を探すだけだ。
――そう思ったのも束の間。
ジル・ニトラや、飛空城、そこかしこから立ち上るアニマが動いていることに気がついた。
慌てて再び黒き星の位置を周囲の空間情報から推測する。
「止まって……ない」
この静止した世界の中で、黒き星の時間は止まっていなかった。
ハッとある事実を思い出し、驚愕する。
黒き星は今の俺や創造神と同じ、この世界とは違う次元の存在だ。
それはつまり人間が一冊の本をどのページからも読むことができるように、黒き星はこの世界の時間に縛られないことを意味する。
黒き星はこの世界から見て、過去、現在、未来、同時に存在するのだ。
それを理解した時、俺は現在の時を止めても、過去や未来へ時間旅行をしても意味がないことを悟った。
一刻の猶予もないと気がついた俺はジル・ニトラに近づいてヤツを手で掴み上げ、時止めを解除して言った。
「黒き星を止める方法を教えろ」
「かはっ……クク、時を止めて気がついたか? 次元が違う相手には意味がないということに……」
「御託はいい。早く教えろ。でなければ消す」
ジル・ニトラを掴んでいる手に力を入れる。
バキボキと全身の骨が砕けるような音が聞こえ、ヤツが吐血しても力は緩めない。
「ク、クク……せっかちな男だ……良いだろう、教えてやる。黒き星を止める方法は……ない。それでも被害を最小限にしたいのなら、私に……創造神の力を使わせたまえ。そうすれば、キミと親しい人間の魂だけを回収し……違う世界へ移動してやる」
「他に方法はないのか?」
「ないさ……少なくとも、私は思いつかんね……」
ジル・ニトラの言葉に嘘は感じられなかった。
だとするならば、コイツは生かしておくだけ害悪でしかない。
俺は創造神の力でジル・ニトラを炎で包み込んだ。
もちろんただの炎ではない。
これは肉体や精神はおろか、魂をも焼き尽くし消滅させるイメージを固めた超常の炎だ。
「おぉ……? まさか、私を殺すのか……?」
「当たり前だろ。逆になんで殺さないと思った」
「ふむ……? 一度は死ぬ運命、か……ならば、予言しよう」
ジル・ニトラは激しい炎に焼かれてボロボロになりながらも、掠れた声で囁くように言った。
「そう遠くない未来に……私は蘇るだろう……」
「……一応聞いといてやる。根拠はなんだ?」
俺の問いにジル・ニトラはニヤリと笑いながら答えた。
「勘、さ……私の勘は……当たるのでね……」
「…………」
ジル・ニトラはそれ以上何も言わずに燃え尽きて、炭すら残さず空気に溶けるよう消えていった。
存在自体を根本から消滅させるイメージをしたからだろうか。
こんなに簡単ならば、無駄にジル・ニトラを警戒していないでさっさとヤツを消滅させれば良かった。
だがもう……後悔しても遅い。残された時間は少ない。
本当に、もう黒き星を止める方法はないのだろうか。
だとするならば、ジル・ニトラが言ったように親しい人間の魂を回収して脱出するしかないのだろうか。
魂を回収して脱出するにしても、上手くできるだろうか。
親しい人間全員を助けられるだろうか。
いや……そもそも、『親しい人間』に誰を選ぶのか。
ぐるぐる、ぐるぐると思考が回る。
――ダメだ。もう考えている暇はない。
魂を回収するにしても、動き出さないと間に合わない。
覚悟を決め、創造神の力を引き出したその時。
俺は創造神の力が上手く引き出せないことに気がついた。
これは十中八九、背後に感じる気配の仕業だろう。
「どういうつもりだ……ヴィネラ」
「どういうつもりも何も」
後ろを振り向くと、そこではヴィネラが凍えるような冷たい目で俺を見下ろしていた。
「もう時間だから。スヴァローグ――返してもらうわよ」




