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強欲のイグナート  作者: 霧島樹


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第二百十一話「次元」

 ジル・ニトラを指先で潰すと、宇宙空間を模した結界が解け始めた。

 このままだと潰したジル・ニトラの肉片ですら飛行城を覆い尽くして墜落させてしまうほど巨大なので、発動していた巨大化術式を解除し、自分と指先に摘んでいる肉片を元々の大きさへと戻す。


 自分が等身大に戻る頃には、周囲の光景も元の飛行城になっていた。

 直後、ドサドサドサ、とジル・ニトラの肉片が目の前に降ってくる。


 そこからモゾモゾと、血に塗れた人型のジル・ニトラが這い出てきた。

 俺はそれを見て、どんな方法でジル・ニトラを消滅させようかと思考する。


 生半可な方法だと蘇るだろう。

 まずはジル・ニトラがゼタルに使っていたのと同じ術式で、ヤツを砂にしてみるか。


 そんなことを考えながら手のひらを前に突き出しジル・ニトラに向けると、ヤツは何がおかしいのかニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべながら立ち上がった。


「クク……ククク……クククククク……」

「……何がおかしい?」

「何がって、それはだね……キミが、もう勝ちを確信していることがおかしいのさ……ククク……」

「…………」


 ジル・ニトラの挙動に最大限の注意を払いながら、考える。

 今の俺なら、ヤツを生かすも殺すも簡単である……はずだ。


 だが、ジル・ニトラの不吉な言葉に嘘は見受けられない。

 それはつまり……ヤツには何か、切り札がある……?


「…………バカな」


 小さく呟いて、思い直す。

 そんなことはありえない。


 ヤツは確かに強大な力を持ち、その扱う魔術も人知を超えている。

 だが創造神の力は、ヤツの力とは文字通り次元が違う。


 これは世界の(ことわり)を作り変える力なのだ。

 真正面から戦って俺に勝てるはずがない。


 そしてヤツが魔術を使った搦め手を出してきたとしても、こちらにはアーカーシャの記録がある。

 ヤツの使う魔術がどんなに複雑で、どんなにイメージが難しいものだとしても、俺はそれとまったく同じ術式をアーカーシャから引き出せるし、対抗する術だって使えるのだ。


 それに……あまり使いたくはないが、いざとなればこちらには『奥の手』もある。

 俺がヤツに負けることなど、万が一にも考えられない。


「おや……自分は負けるわけがない、と……そう思っているのかな? だとしたら……ククク、浅はか過ぎる……」

「……わからないな。俺の何が、どう浅はかなんだ? 教えてくれよ」


 自信満々に言うヤツの態度に、嫌な予感がする。

 負ける要素など一欠片もないはずなのに、その理由を聞かずにはいられない。


「ククク……キミは創造神の力とアーカーシャの記録があれば、自分に不可能はないと考えているのだろうが、それは大きな間違いなのだよ」

「何が大きな間違いだって言うんだ」

「そうさな、では手始めに未来を視てみると良い。キミ自身や、私でも構わないぞ。アーカーシャの記録を覗くだけだ。簡単だろう?」

「…………」


 アーカーシャから情報を取ってくるのは、さっき試したばかりだ。

 ヤツが言う通り簡単な上に、危険も特にない。


 俺は少し考えたあと、ヤツの言う通りこの場における『少し先の未来』の映像をアーカーシャから取得しようとした……が、しかし手応えがまったく感じられず、困惑する。


「視えないだろう?」


 ジル・ニトラはニヤニヤと笑いながら言った。


「……ああ、視えない。なんでだ?」

「フフ、良いことを教えてあげよう。その理由も、アーカーシャの記録を探せば出てくるはずだ」


 やたら親切に教えてくれるジル・ニトラを訝しみつつ、ヤツが言う通り未来の映像が視えない理由を探るため、アーカーシャの記録を検索していく。

 そこで得られる情報の『偏り』から、ある事実が浮かび上がってきた。


「創造神と……俺の情報が、アーカーシャにはない……?」

「ふむ……まあ、根本的な理由ではないが、未来が視えない原因としてはその通りと言える。ギリギリ及第点かな」

「及第点……?」

「まあね。結論から言ってしまうと、今のキミと創造神は存在の『次元』が違うのだよ。そうだな……キミは、自分が本の中にいる住人だと考えたことはあるかな?」


 俺が混乱していると、ジル・ニトラは急に妙なことを言い始めた。


「たとえば、ここにある物語が書かれた一冊の本があるとする。その中にいる住人は本の最初のページから最後のページまでを自由に移動することはできないし、もちろん本の外に出ることもできない。彼らにとって物語(人生)は不可逆なものであり、ページは時間であり時空、そして本は世界だ。


 だが我々にとっては違う。本は読むものであり、場合によっては書くことができるものだ。本の住人は自分の人生における最後をその時にならなければ『体験』できないが、我々はその気になれば彼らの人生の最後を一瞬で『読む』ことができる。やろうと思えば『書き変える』こともできる。私が言った『次元が違う』というのはつまり、そういうことさ。在り方が根本的に違うのだよ。


 キミの(存在概念)は覚醒したスヴァローグと深く同化し、創造神と繋がり、我々の世界を『書き変える』力を持つに至った。それはどういうことかと言えば、一冊の本に対する我々と同じように、キミはこの世界における読者や作者のような、次元の違う絶対者に近い存在になったということだ。


 しかし、それでもキミは決して全知でも全能でもない。何故なら、アーカーシャには全宇宙……たとえるなら世界に存在する、すべての『本』の情報はあっても、『本』の外側にある存在の情報はないからだ。これは言うまでもなく、キミや創造神のことだよ。だからキミや創造神が関わる事象はアーカーシャに記録されず、結果、未来も視えない。ほら、全知じゃない。


 しかもキミは元、人間だ。その概念に縛られている以上、アーカーシャの記録を全部、一瞬で読み取ることはできない。精神に異常をきたさないよう、必要な情報をそのつど引き出すしかない。そしてその必要な情報の『探し方』にだってコツがいるのだと、今のキミはすでに理解しているはずだ。


 更に言えば、キミは『本』の内容を書き変える力を得たわけだが……キミは小説を自分の理想通り、自由自在に書けるか? どんな内容でも自分の思うがままに文章を綴れるか? 巧みな比喩で本質を表現できるか? ……無理だろう? キミは熟練の物書きじゃないし、天才でもない。つまりイメージが難しい複雑な現象はいくら創造神の力でも実現できないし、どんな現象もイメージ通りに再現できるわけでもない。ほら、全能でもない。


 だからキミは負けるのだよ。なに、恥じることはない。悠久の時を生きる私から見ればキミは赤子同然だ。慣れないながらもアーカーシャから情報を引き出したり、私のよくわからない話に気を取られて、私が異空間で構築し、走らせた術式に気が付かなくとも仕方がないさ――」


 ジル・ニトラがそう言って指を鳴らすと、俺の周囲360度の空間に次々と黒い穴が空いた。

 次の瞬間、その穴から眩い光線がこちらに向けて放たれる。


 それを見て俺は頭の片隅で用意しておいた魔法障壁を再現した。

 ジル・ニトラが使っていた魔法障壁と同等以上の能力を持つ、青白く光る正方形の魔法障壁が無数の光線を防いでいく。


 どこにこんな余力を隠していたのか、光線は凄まじい出力で絶え間なく降り注いでくる。

 このままだと今展開している魔法障壁を破壊する勢いだ。


 もちろん魔法障壁を更に強化することも可能だが……そんな消極的な方法を取る必要もない。

 光線を根本から消滅させれば良いのだ。


 俺はアーカーシャを通じて光線の出処となる術式を特定し、創造神の力でそれを掻き消した。

 絶え間なく降り注いでいた光線がフッと消え、異空間に繋がっていたであろう黒い穴も消えていく。


「……で、話は終わりか? ジル・ニトラ」

「フフ……随分と力を上手く使うじゃないか。キミはもっと不器用だと思っていたがね、見直したよ」

「ジル・ニトラ……何が狙いだ。まさか、こんなことをするために時間を稼いだわけじゃないだろ」


 ヤツの話が何かを狙った時間稼ぎかもしれないという可能性は初めから考えていた。

 だがそれにしても、たとえ後手に回ったとしても今さっきヤツが話した情報は俺にとって興味深く有用で、聞いておいた方が良い話だった。


 このままだと俺にはメリットしかない。

 なにせ『奥の手』どころか全力で戦ってすらいないし、消耗もまったくしていないのだ。


 確かにヤツが言うように俺は全知でも全能でもないが、それを差し引いたとしても相変わらず負けるような要素は欠片も見受けられない。


「もちろんだとも、イグナート。ちゃんと期待には応えるさ」

「いや、別に応えてくれなくても良いんだが」

「フフ……つれないね。それはそうと、もうそろそろ時間だ。ほら……聞こえるぞ」


 ジル・ニトラは耳に手を当てると、邪悪な笑みを浮かべて言った。


「――私の勝ちだ」




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