第二百十話「理由」
ふと気がつけば、俺は真っ白い空間に立っていた。
『へぇ、戻ってきたんだ。しかもこの世界のイグナートも統合して……なるほどねぇ、ふたり合わせたらなんとかなるかも、って感じかな? まあ手段としてはアリだけど、でもそれならそれで試練も二倍にするよ。当然だよね? だって精神も、スヴァローグもふたり分なんだから――』
――そして地獄が始まった。
●
『なんだか、面白そうなことやってるわねぇ……』
ヴィネラは空中をフワフワと漂いながら、統合してひとりの人物になったイグナートを眺めていた。
統合したとは言っても、見た目は完全にこちら側の世界の、巨人なイグナートなのだが。
『果たして間に合うのかしら』
彼らがひとりに統合した瞬間から、イグナートは再び意識を失っている。
おそらく今頃は再び精神世界に没入し、さっき彼らが話していた試練とやらに挑んでいるはず。
今この時、イグナートは完全に無防備だ。
再生したジル・ニトラが戻ってくれば、為す術もなく殺されるだろう……と考えたところで、地上から超高速でこちらに向かってくる強大な気配を知覚した。
『あーあ……残念』
『――何がだ?』
巨大な翼をはためかせ、白銀の神竜、ジル・ニトラが飛行城の上に舞い降りた。
『アナタが戻ってきたことが、よ』
『これはなんとも、ひどい物言いだな』
『にしても、戻ってくるのに随分と時間が掛かったじゃない。何を寄り道してたの?』
『あぁ……さすがに腹が減って仕方がなかったからな。少々、小腹を満たしてきた。それで……アレは何をやっているのかな?』
ジル・ニトラは目を閉じてうずくまっているイグナートを見て、興味深そうに目を細めた。
そんなジル・ニトラに先ほどまでの経緯を話すと、彼女はぐるぐると喉を鳴らしながら笑った。
『なるほど、なるほど……そういうことか』
『あら、止めなくて良いの?』
『そうさな……創造神の力を得たイグナートを打ちのめし、再び絶望の淵に落としてから喰らう、というのも一興だが……』
ジル・ニトラは凶悪な相貌を満面の笑みで歪めながら、イグナートに一歩ずつ近づいていった。
『ククク……目が覚めて、自分の身体が半分ほど無くなっていたら、彼はどんな顔をするだろうか? 見てみたいな、あぁ、見てみたい……』
ジル・ニトラが巨大なアギトを開き、鋭い牙をイグナートの身体に突き立てようとした瞬間。
イグナートの身体から真紅の光が迸った。
そしてイグナートは今まさに突き刺さろうとしていた鋭い牙を手で掴み――ゆっくりと立ち上がった。
●
掴んだジル・ニトラの牙が、ミシリ、と音を立てたあとすぐに砕け散る。
予想外で驚いたのか、ジル・ニトラは低いうめき声を上げながら後ずさりした。
『まさか、二倍の試練に耐え切るなんてね……ビックリしたよ。どんなズルをしたの?』
俺のすぐ目の前でフワフワと浮かんでいる、少年のような、少女のようなシルエットの発光体が問いかけてくる。
「ズルなんかじゃない。元々の俺は、記憶をいじられた未来の俺より過酷な試練に耐性があった。それに加えて……肉体はともかく、人格の統合がどうも、完璧にはいかなくってな。ひとつの肉体にふたり分の人格が入っちまったんだ。それで、最初は失敗したと思ったが……すぐに思い直したんだよ」
ふたり同時に笑いながら言う。
「人間は――ふたりもいれば、その力は二倍どころか、三倍にも四倍にもなるってな」
『えぇ……なにそれ、やっぱりズルっぽい』
「失敗が逆に功を成したってヤツだ。でも同一人物なんだから良いだろ。どっちにしろ、俺は創造神の力を使う資格を示した」
発光体に向け、手を差し伸べる。
「長い付き合いなのにすぐわからなくて、悪かったな。改めて頼むよ。――俺に力を貸してくれ、ベニタマ」
『もう……気がつくのが遅いよ、まったく』
発光体がそう言って俺の手に触れると、次の瞬間、視界が眩い光に包まれた。
『上手く使ってよね。ボクとキミは、一心同体なんだからさ』
そして目を開けた時。
スヴァローグの化身である発光体は消え、俺は、俺たち中に存在したふたつのスヴァローグが統合し、本当の意味で覚醒したことを理解した。
スヴァローグを通じ、創造神から人知を超えた膨大なアニマが流れ込んでくる。
同時に自分自身の肉体と魂が、普通の人間とは遠く掛け離れた在り方に変わってしまったことを自覚した。
『フハ……フハハハハハ! そうかそうか! 創造神の力を手に入れたか! これは良い!』
牙を砕かれたあと、興味深そうに俺を観察していたジル・ニトラが突然、高笑いして話し始めた。
『まさかキミと神として戦うことができるなど、思いもしなかったよ! ククク……弱者をいたぶるのも楽しいが、やはり強者を狩り喰らうのが一番楽しいからなぁ……キミは最高だよ、とことん私を楽しませてくれる』
「残念だが、期待には応えられないな」
『いいや、応えてもらうとも』
ジル・ニトラがその巨大な足で地面を踏み鳴らす。
するとその足元から闇が広がり、周囲は一瞬で宇宙空間のような風景に変わっていた。
ヤツがヴィネラと戦った時と同じだ。
『さぁ、キミが気兼ねなく戦えるように場を整えてやったぞ。存分に新しく得たその力を振るうが良い。もっとも――』
ただでさえ見上げるほどに巨大だったジル・ニトラが急激に膨れ上がる。
今までの二倍、四倍、八倍……何十倍もの大きさへと、加速的に巨大化していく。
『――もう、キミが気兼ねする理由など、何処にも存在しないのだがね』
そしてここが地上であったならば、まさしく天を衝くほどにジル・ニトラは巨大化した。
あまりにも巨大すぎて、こちらからはヤツの頭部が顎しか見えない。
「俺が気兼ねする理由、か……どうせロクでもないことなんだろうが、一応聞いておく。何をやった?」
『それはキミが私を屈服させることができたら教えてやろう。ククク……できるものならな!』
神竜、ジル・ニトラの視界を覆い尽くすほど巨大な足が持ち上げられ、俺を踏み潰すように降ってくる。
それを俺は片手で止めてから、創造神を通じてこの世すべての現象が記録されているという、万能の情報源……アーカーシャにアクセスした。
『フフ、やはりな。止めるだろうと思ったとも。無論、この程度で潰れられては困る。さぁ、先ほどの意趣返しをさせてもらおうか。重力……』
「勘違いするなよ」
アーカーシャから目当ての情報を引っ張り、取り入れ、その一部を創造神の力で具現化させる。
結果、俺はジル・ニトラが先ほどやった巨大化する術を、更に何十倍、何百倍もの規模で再現して見せた。
相対的に、天を衝くほど巨大化したはずのジル・ニトラがみるみるうちに小さくなっていく。
そうして俺はジル・ニトラを自分の足元から、人差し指と親指で摘み上げた。
「今の俺にとっておまえは羽虫みたいなものだ。戦うつもりも、屈服させるつもりもない。それと、おまえが地上で小腹を満たすために喰ってきた伯爵夫人や王国大の生徒、孤児院のメンバーたちは、アーカーシャの記録と創造神の力で蘇る。だからさっきのは、本当に『一応』聞いただけだ」
『なっ……何故、そこまで……!?』
「ああ、そういえばおまえがこの世界に来たのはルカに召喚されてからだったな」
だとしたら知らなかったとしても不思議ではない。
どうやらヴィネラはジル・ニトラに自分の目的は話しても、『核心的な』部分だけは話していなかったようだ。
「ヴィネラが執心している優男だが、コイツは膨大なアニマを無尽蔵に『ある場所』から引っ張ってくると同時に、自分が求める『答え』も引っ張ってくる能力があった。それは優男が創造神になってからも変わらない。つまりそれは……創造神の力を使えるようになった俺も、同じことができるようになったことを意味する」
すべてを可能にする力と、すべてを知る力。
そのふたつを手にしている俺は今、もっとも限りなく――全能に近い。
「まあ、とはいえ、一応『慣らし運転』はしておこうと思ってな。それだけだよ、理由は」
『なんのっ……話だっ……!?』
「なにって、それはもちろん――」
指先に少し力を入れる。
それだけでジル・ニトラは血を吸った蚊のごとく、プチッと潰れた。
「――おまえを生かしておいた理由だよ」




