第二十話「決戦の時」
あれから月日は流れ、俺は十歳になった。
ただそれは肉体年齢という意味で、精神年齢及び傭兵イグナートとしては三十六歳だ。
肉体的には六歳時点から殆ど変っていないように思えるので、年を取った気はあまりしないのだが。
「ふー…………」
そんな俺は今、セーラの屋敷にある自分の部屋中央辺りに立ち、精神統一をしていた。
四年前にあった防衛戦から幾度となく魔物襲撃を防いできたが、とうとう今日でそれが最後になる予定なのだ。
二年半前に参戦してきた風を操る弓使い『疾風のスラシュ』。
先月ディアドル王国に到着した大陸最強の剣士と名高い『戦女神ディナス』。
そしてついに満を持して戦場へと出る、すべての魔を切り世界に平穏をもたらすという伝説の救世主、『勇者フィル』。
この三人で本日襲撃してくる虫型魔物を長城で迎え撃ち、そのまま奴らの本拠地である巣へと行進する。
もちろん魔物の巣からは凄まじい数の虫どもが湧いてくると予想されるが、それらをディアドル王国連合軍の精鋭部隊及び上記の三人で真っ向から殲滅していく、というのが本日の作戦内容である。
ちなみに、俺はその精鋭部隊に所属はしていないし、勇者たちに交じって先頭を走るわけでもない。
ではなぜ、俺はこんなにやる気満々で精神統一なんて始めているのか。
それは俺が……いや、『俺たち』がある意味、勇者たちよりも重要かもしれない役割を担っているからだ。
その役割とは――。
「……って、もう時間じゃねぇか」
机の上にあるロウソクを見てもう出発の時間であることに気付く。
この世界ではまだゼンマイ式の時計という物が発明されていないらしく、時間は『火時計』と呼ばれる専用の装置でロウソクの溶けた量や長さを見て計るのが一般的だ。
「セーラは何やってるんだ?」
どちらかというと俺より几帳面なタイプであるセーラが時間を見過ごすとは珍しい。
「地下室で準備でもしてるのか……?」
ハルバードを背中に吊るし、一階の廊下を歩いて行く。
すると途中、今まで入ったことのない一室から小さな声が聞こえてきた。
セーラの声だ。
『お父さん。……私は今日、お父さんの仇を取ります。待っていてください』
ドア越しにセーラが何かに話しかけている声が聞こえてくる。
しばらくしてドアが開いた。
「……お待たせしました。では、行きましょう」
俺がドアの前で立っていたことに多少驚いたような顔をしたもの、セーラはすぐいつもの澄まし顔に戻り廊下を歩き始めた。
「おう」
こちらも何事も無かったかのように返事をして、セーラの後ろをついて行く。
ドアを開けた時、壁にチラリと肖像画のような物が見えたが、ここで詮索するのは無粋というものだろう。
「…………」
「……これはいったい、なにを?」
だからとりあえず無言で撫でてみた。
……なにが『だから』なのか自分でもサッパリわからないが。
「そういえばセーラ、大きくなったなぁ。今いくつだ?」
「……十七ですが。大きくなったと言っても平均ですよ。あなたに比べれば全然小さいです」
そりゃ俺からしてみたら二メートル超でもチビだからな。
一メートル台なんてホビット族だ。
普通の建物に軒並み入れないのも頷ける。
だからこそ、まともな生活を送るためにもこの怪物みたいな巨体をなんとかしたいのだが……いや、今はとりあえず虫型魔物を片付けるのが先だな。
「……今日の戦いが上手くいって、魔物が襲って来なくなったら……イグナートは、この国を出るのですか?」
「おう、もちろん」
「……そうですか」
「寂しいか?」
「……ええ、寂しいです。あなたは使い勝手の良い助手でしたから」
「ははっ、セーラも言うようになったなぁ」
四年前だったら『……いえ、別に』とでも言われていたのだろうが、今はこうして軽口を叩き合えるぐらいの関係だ。
相変わらずお互い深いところには踏み込まないよう細心の注意を払っているので、上辺だけの付き合いみたいなもんだが……それでも、それだけの年数を共に過ごせばやはり情は移る。
「まあこの国を出て、しばらく旅して俺の目的が達成したら……また一度、戻ってくる予定だけどな」
「目的、ですか?」
「おう。っていうか前にも言ったじゃねぇか。この巨体をなんとかしたいって」
「あぁ……そういえばいつの日だったか言ってましたね。冗談かと思ってました」
「本気だっての」
「そうですか。では、期待しないで待ってます」
クスクスと笑うセーラの横顔を見ながら、俺は改めてこの国にもう一度帰ろうと決意した。
○
屋敷を出て馬車に乗り、長城の最南端であり孤児院の近くである東の森付近へと到着。
そのあとはセーラと二人で自分たちの装備を確認したり、これからの打ち合わせをしたりして『作戦開始』の合図を待った。
そして頭上に日が昇る頃。
「……イグナート!」
「ああ!」
北の空に狼煙が上がった。
俺たちの出番がやって来たようだ。
「乗ります!」
「おう!」
地面にしゃがみ込み、両手を後ろに回し腰辺りで固定する。
そしてセーラがその両手に足を掛けて、俺が背負っているイスのような背負子へ後ろ向きで乗り込む。
「乗ったか!」
「はい!」
「ロープの確認!」
「大丈夫です!」
「おし、じゃあ行くぜ……舌噛むなよ!」
ハルバードを右手に掴み、足に溜めていたアニマを解放して全力で走り出す。
それから速度はそのままに森の中へと突入。
方角は北東。目的地は魔物の巣本拠地――その真横だ。
「方向微調整! イグナートから見てやや右寄りへ!」
「了解!」
セーラが手元に持つコンパスのような魔導具でたびたび俺に指示を出して、その都度方向を微調整しながら走り続ける。
「上手くいってくれよ……!」
全力疾走しながら呟く。
俺とセーラの役割は勇者たちが正面から虫型魔物と戦っている間に奴らの巣を横から襲撃し、その中にあるであろう紫色の魔結晶をぶち壊すことだ。
セーラの研究によるとあの魔結晶が虫型魔物の異常な数と繁殖速度に関係しているらしい。
つまりあの魔結晶をなんとかしない限り、たとえ虫型魔物の殆どを殲滅できたとしても奴らの脅威は消えないということだ。
そしてただ魔結晶をぶち壊すだけだったら俺だけでも問題ないのだが、
「方向微調整! イグナートから見てやや左寄りへ!」
「了解!」
セーラが今使っている、魔結晶を感知するコンパスのような魔導具は彼女にしか使えないのだ。
前回、俺は偶然にも魔結晶を見つけたが、今回の魔物の巣は前とは比べものにならないぐらいに巨大なうえ、中には無数の虫型魔物が蠢く密集地帯。
とても俺だけでは魔結晶を見つけられない。
セーラだけでは魔結晶まで辿り着けない。
そこで出て来るのが、この日のために改良を重ねて作られた、人を乗せる専用の背負子である。
こいつがあれば俺はセーラを比較的安全に運ぶことが出来て、彼女もいざという時の『切り札』を万全な状態で使うことができる。
「針が光ってる……近いです!」
「おう、こっちも巣が見えてきた! 感度は良好みたいだな!」
減速せずに巣の方へと突っ込んで行くと、巣穴から次々と虫型魔物が這い出てきた。
「うおおおおおおおお!!」
その中の一匹である一際大きいグバルビルを踏み台にして、一気に巣の上まで跳躍する。
俺にとって巣穴の中は狭いため、前回と同じく巣の上を戦場とさせてもらう。
ただし今回は前回と違ってまともに虫型魔物と戦うつもりは無い。
最短の道を行くために邪魔な奴らだけを倒して行くつもりだ。
「うおおおら! 通してもらう……なんだ、ありゃ」
巣の上に登って走り始めてすぐ、そこら中に空いている穴から例のごとく虫型魔物が這い出てきたのだが、その中に何匹か見慣れない個体がいた。
見た目はグバルビルに似ているのだが、微妙に違う。
通常のグバルビルが灰色でやや凹凸のある甲殻をしているのに対し、その見慣れない個体は浅黒くツルツルとした甲殻に覆われていた。
「どうしたのですか、イグナート!」
「いや、なんでもねぇ!」
何が出てこようが、進行方向上にいるならば蹴散らすのみだ。
一瞬減速した足を再び加速させ、セーラが指定した方向まで最短距離を走る。
「っおらあああ!」
さっそく進路を塞いできた例の浅黒いグバルビルにハルバードで全力の横薙ぎを食らわせる。
昔はともかく今となっては、たかだか一匹の虫型魔物に対して全力を出すなんて間違いなくオーバーキルであるが、俺は未知の敵に手加減するほど平和ボケしているわけじゃない。
遠慮なくやらせてもらう――!
「なっ!?」
ハルバードの刃が浅黒い甲殻、その横っ腹に当たった瞬間。
体液を撒き散らし爆散するグバルビルを想像していた俺は、手元に伝わる予想外の感触に驚愕していた。
「硬い!?」
俺のハルバードを受けて、新種のグバルビルは吹っ飛んでいった。
――そう、『吹っ飛んでいった』のだ。
それはつまり、俺の全力をその甲殻で受け止めたことを意味する。
吹っ飛んでいった個体を見るとさすがに無傷ではなく、ハルバードを受けた甲殻部分は割れて緑色の体液が流れ出てはいるが、それでも十分過ぎるほどの硬度であることがわかる。
なぜなら俺が全力で振ったハルバードは今や、束ねた鉄をも容易く両断するのだ。
となれば単純に考えて、あの甲殻は鉄以上の硬度。
「まともに相手してらんねぇな……!」
「イグナート! 使いますか!?」
「いや! まだ……やっぱ使う!」
前方からおそらく百匹を超える虫型魔物がこちらに向かって来ているのを見て即座に前言撤回。
そしてセーラの『切り札』は術式の立ち上がりが重要なため一度立ち止まり上体を安定させる。
「いいぞ!」
声をかけると、透き通るような綺麗な笛の音色が辺りに響き始める。
防衛戦でも披露していた虫型魔物を無力化する魔術だ。
「よし!」
虫型魔物たちの動きが止まったのを見て、デコボコした巣の上を一気に駆け抜ける。
以前の時とは違いセーラの術式は完成しているため数分で使えなくなるようなことはないが、やはり消耗が激しいためそこまで長くは持たないのだ。
「イグナート!」
「もう終わり!? 早すぎねぇか!?」
「違います! 方向微調整です! イグナートから見てやや右寄りへ!」
「そうか、そういえば同時には使えねぇんだったな……!」
再び動き出した魔物たちを蹴散らしながら舌打ちする。
セーラの笛は術式の立ち上がりにアニマを多く消費するため、中断して即再開なんてことを繰り返していたら数分も経たず使えなくなってしまう。
つまりセーラの魔術を中断しないよう出来る限り正確に、かつ素早く目的地へと辿り着くことが求められる。
「難易度高ぇ……」
そして数十分後。
「アニマ切れです! もう笛は使えません!」
「すまん!!」
数十分の間に何度も微調整させてしまった。
正確さとかはマジで俺にとっての課題だということを再認識した。
いや、どっちかっていうと方向感覚の問題かもしれないが。
「ですが針が真下を向いてます! この下に魔結晶があります!」
「おお! 意外と早かったな!」
だがタイミングが悪い。
今、ちょうど大量の魔物に囲まれて手が離せない状況だ。
俺一人だったら地面ぶち抜いて落ちればいいだけだが、セーラもいるからそんなことは出来ない。
……本当なら使いたくなかったが、これは俺も『切り札』を出すしかなさそうだ。
「セーラ! 俺の『切り札』を使う! フード被って目をつぶってろ!」
「っ、はい!」
魔物と戦いながら意識を集中させる。
範囲は中心地を避けて円状に百メートル、イメージするのは業火の炎――!
「燃えろ……『地獄の業火』!」
そしてすべては炎に包まれた。
瞬きする間も無く発動した俺の魔法は周囲の魔物を瞬時にして消し炭へと変えた。
凄まじい熱量に慌てて炎を制御し、鎮火させる。
「これは……とんでもないな……」
炎が消えた巣の上は殆どの魔物が形すら残っていなかった。
新種のグバルビルが数匹、かろうじて原型をとどめているぐらいだ。
アリスを川に投げ込もうとした時に(炎を受けて)コピーさせてもらった火の属性、まさかここまでとは……。
「イグナート……これは……?」
セーラにはあらかじめいざという時の指示には従うよう伝えて、『切り札』の詳細は伝えてなかった。
そのまま目をつぶっていてくれればそのままシラを切ることが出来たのだが、ダメだったようだ。
「……悪いが説明はあとだ。トロトロしてたらまた魔物が寄ってくるかもしれねぇ」
ハルバードを両手に構え、アニマを最大出力で込める。
「ハァ!!」
そして少し前方の地面を思い切り叩きつけると、その箇所に大きな穴が開いた。
懐からロープを取り出し、手早く近くにある岩のような凹凸に結び付ける。
「降りるぞ、舌を……」
「噛みませんったら」
「……よし」
右手のハルバードを口に咥え、ゆっくりと慎重にロープをつたって下りていく。
「……マジかよ」
地面に着いて一番最初に目についたのは、洞窟内の壁一面を覆う紫色の魔結晶だった。
そして中央には一際大きい、全長十メートルはあるだろう巨大魔結晶。
「これ全部壊すのは骨が折れるな……」
「本当ですね……あ、私一旦降りますから」
確かにこれから全力で破壊活動をすることを考えたらセーラは背負ってない方がいいだろう。
「あら、随分と来るのが早かったわね」
セーラを背負子から降ろしている最中、唐突に声を掛けられた。
上を向くと、いつの間にか巨大魔結晶の前にフワフワと金髪碧眼の魔女が浮いている。
「……あなたは?」
突如として現れた魔女にも顔色ひとつ変えず問うセーラ。
さすがだと思うが、ここは前に会ったことのある俺が話す方がいいだろう。
セーラを手で制して魔女と目線を合わせる。
「……久しぶりだな、ヴィネラ」
「覚えていてくれたの? 嬉しいわね」
「ああ。おまえには聞きたいことが山ほどあるからな」
「フフフ、色々と教えて上げてもいいんだけど、今はちょっと先約があるから、また今度ね?」
「わかった。絶対だぞ。約束だ」
「フフ、聞き分けが良い子は好きよ」
そりゃ今はノンビリしてる場合じゃないからな。
「その代わり今ひとつだけ教えてくれ。……ここの魔結晶を作った、もしくは用意したのはおまえか?」
「そうよ」
「そうか。じゃあ一応聞くけど、これ全部壊してもいいか? ダメって言っても壊すけど」
「強引ねぇ……。フフフ、でも、そんなことする必要ないわよ?」
ヴィネラはそう言うと右手を頭上に掲げ、なにやらブツブツと呟き始めた。
「……なんだ!?」
洞窟内すべての魔結晶が紫色の煙になっていき、ヴィネラの掲げる右手へ集められていく。
「フフフ、驚いた? アナタが来ても来なくてもどっちにしろ、ここの魔結晶は最初から回収するつもりだったのよ」
無駄足になっちゃったかしら、とクスクス笑うヴィネラ。
「随分とあっさり消すなおい……いやまあ、消してくれるのは助かるんだが。じゃあそもそもなんでおまえはここに魔結晶を置いたんだ?」
「あら、さっき聞くのは『ひとつだけ』って言わなかったかしら?」
「取り急ぎでやらなきゃいけないことが無くなったからな」
「現金な人ねぇ……これでもアタシ、人を待たせてるんだけど……あぁ、そうだわ」
ヴィネラはひらりと身をひるがえし洞窟の奥へと飛んでいく。
巨大魔結晶があって見えなかったが、まだまだ洞窟は先があるようだ。
「フフフ、ついてらっしゃい。もしかしたら、面白いものが見れるかもしれないわよ?」
「なっ……おい、待て!」
「イグナート! 私も……あっ!?」
セーラを左手に掴みヴィネラを追う。
「足速いわねぇアナタ。……フフフ、今回は、成功したのかしら?」
「意味深なことばっかり言いやがって! 説明しやがれ!」
「あら、耳もいいのね」
ノンキなことを言いつつも凄まじい速度で飛んでいくヴィネラ。
その割には着ているローブなどがまったく風になびいていない。
そういった魔術を使っているか、もしくは……実体がないのか。
俺の体内に手を入れたり、突如として出現したり消えたりするあたり後者のような気がする。
「んー……残念、もう移動したあとだったのね」
追いかけ始めて数分後、再び開けた空間に出た途端ヴィネラは急に空中で止まりそんなことを呟いた。
「なにを……」
言ってるんだ、と口にしようとして、俺は固まった。
「フフフ、その様子だと何となく想像がついたのかしら?」
「……嫌な想像だけどな」
開けた空間のさらに奥。そこには不自然に巨大な穴が開いていた。
その穴は荒く、周囲の壁にはヒビが入り、地面には砕けた壁面がボロボロになって落ちていた。
そしてそれは、まるで何かとてつもなく大きな生物が無理やり壁に穴を開けて掘り進んだような、そんなイメージを連想させた。
「……魔結晶の回収はもういいのか、ヴィネラよ」
不自然に巨大な穴を見て嫌な想像を膨らませていると、その奥から黒いローブにフードを被った魔術師らしき男が出て来た。
「ええ」
「……では行くぞ」
「ま、待ってください!」
こちらに背を向けて去ろうとしているローブの男にセーラが叫ぶ。
「お父さん……お父さんですか!?」
「…………」
ローブの男はなにも答えない。
「呼ばれてるわよ?」
「…………ふむ、そうか、三代目の娘か」
男はそこで初めて合点がいったようにこちらを振り返った。
「娘よ。私はお前の父親ではない。お前の父親は、死んだのだ」
「う、嘘……嘘です!」
「事実だ。認めろ」
男は再びこちらに背を向け、穴の奥へと歩き始める。
「フフフ……あれでよかったの?」
「良いそうだ。……こやつも存外、不器用な男よ」
ヴィネラとローブの男は小声で言葉を交わす。
俺は耳が異常に良いため聞こえたが、多分セーラには聞こえなかっただろう。
「待って……待ってください!」
「可哀想ねぇ……でも残念、待たないそうよ?」
そう言ってヴィネラが指を鳴らすと、地響きと共に洞窟内が崩れ始めた。
「ほら、早く逃げないと、ここ崩れちゃうわよ?」
「なっ……おい!?」
「アナタはそれでも大丈夫でしょうけど、そっちのお嬢ちゃんはどうかしら?」
「くっ……!」
「やめっ……離してくださいイグナート! お父さんが!」
「お父さんならあの魔女がいるから落盤も平気だろ!」
「そうじゃありません!」
んなことはわかってる。
だがこの状況だとそういうわけにもいかない。
「お父さんが……! 離して! 離してぇぇ!」
俺は泣き叫ぶセーラを無視して、元の道を全力で引き返していった。
○
あの後。
俺は超スピードで巨大魔結晶があった空間まで辿り着き、最大出力のアニマで強化した跳躍で天井の穴から脱出した。
そこからはただひたすらに全力疾走して、なんとか洞窟……改め魔物の巣が完全に崩れ落ちる前に森の中へと逃げ込んだ。
何度か足場が崩れてヒヤッとしたが、そこは超人的な身体能力の超反応で事なきを得た。
そして森の中。
「……降ろしてください」
セーラを左手から解放して地面に立たせる。
「っ……」
セーラは俺をキッと睨みつけてから右手を上げた。
ひっぱたかれるのか、と思いきや、セーラはため息をついてそのまま腕を下ろした。
「ひっぱたかないのか?」
「……手が届きませんでしたから。それに、助けてもらっておいて叩くというのも、おかしな話です」
「それは確かにそうだが……」
いつも冷静なセーラにしては珍しく取り乱していたから、『余計なお世話だ』とか、そういう風に言われるかと思ってた。
「余計なお世話だ、とは思いましたが」
合ってた。
っていうか言われた。
「でも助けられたという事実は変わりません。ありがとうございます、イグナート」
「おう……いやまあ、ついでだけどな、ついで」
「…………」
「お、おう……どした……?」
表情は殆ど変わらないが、これは多分怒ってらっしゃる。
背後からゴゴゴゴゴゴ……という擬音でも聞こえてきそうだ。
いくら親密になるのを避けていようと、何年も顔を合わせてればそれぐらいのことはわかる。
今のは『ついで』って発言が気に障ったのだろうか。
だとしたら妙なところが怒りポイントだな……難しい。
「イグナート」
若干うつむいた状態でセーラが俺の名を呼ぶ。
「……なんだ?」
俺が聞くと、セーラはうつむいたまま何か言おうとして、
「……なんでもありません」
そう一言だけ呟いた。
「なんだよ……」
気になる。
ああ、そうだ気になるといえば他にもある。
「ひとつ聞いていいか?」
「……なんでしょう」
「あの黒いローブの男、フードで顔はよく見えなかったが……本当にセーラの親父さんだったのか?」
「そうです」
「なんでそうわかる?」
「わかります。親子ですから」
答えになってねぇ。
しかしセーラの言うこともわからなくはない。
親しい間柄だったら遠くからの背格好ですら誰だかわかったりするからな。
「十年前、父は当時の防衛戦で行方不明になりました。虫型魔物との戦いでは遺体が見つからないということは多々あるため、死んだものとされていましたが……」
セーラは顔を上げる。
「父は生きてました。あれは間違いなく父です」
「そうか。……これからどうするんだ?」
「父を探そうと思います。……とはいえ、王国の魔術師としての仕事もあるので、当面は情報収集が主になりますが」
「なるほど」
すぐさま仕事をほっぽり出して探しに行かない辺りがセーラらしい。
「それじゃ、もし旅先で親父さんを見かけでもしたら手紙でも送るぜ」
「……いいんですか?」
「ついでだ、ついで」
あ、また『ついで』って言っちまった。
「それで構いません。お願いします」
頭を下げるセーラ。
今回の『ついで』発言は特に気にしてないようだった。
「報酬は弾みますので」
「はは、金なんざいらねぇよ」
「ダメです。これはちゃんとした仕事の依頼なんですから。たとえ『ついで』でも」
正直軽く考えてたのだが、そう言われるとなんか重いな……。
っていうかやっぱり『ついで』発言気にしてたか。
「あと」
「うん?」
「それとは別に……たまには手紙でも送ってください」
「はは、それも仕事の依頼か?」
「ええ。そうですね、報酬は私の手料理でいかがでしょう?」
「それは遠慮しとくぜ……」
「……なぜですか? 貴方に私が手料理を振舞ったことは今まで無かったと思いますが」
「だからだよ。絶対料理できないだろセーラ」
「薬の調合は得意ですよ私は」
「答えになってねぇよ」
そんなやりとりをしながら、俺とセーラは王国に戻るため森の中を歩いていく。
その途中。
「……ん?」
ふと何かの気配を感じて後ろを振り向いたその時。
崩壊した虫型魔物の巣がある森の奥で、淡い金色に輝く何かが視界に映った。
「どうしたんですか?」
「ああ……」
一度まばたきしてからよく目を凝らして森の奥を見るも、今度は何も見えない。
「……いや、なんでもない」
今一瞬、人を……しかも少女のような人影を見た気がしたのだが……目の錯覚だったのだろうか?
●
崩壊した魔物の巣、その地下にて。
ドーム状の大きな空間に描かれた巨大な魔法陣の上で、ヴィネラはひとり宙を舞っていた。
「フゥ……さすがにアレだけの質量を転移するのは、骨が折れるわね」
「何を言っている」
紫色のローブを纏った銀髪の女が地下空間の端にある穴から現れ、ヴィネラを非難するように言葉を続けた。
「自前のアニマなど、殆ど使ってないだろうに」
「ええ。でもそれはそれとして術式を組むのが大変だったのよ。この魔方陣、効率悪いんだもの」
「最初から空間転移用として作ってあるわけではないからな」
「だとしても、よ」
ヴィネラが挑発するように言うと、銀髪の女は大きくため息をついた。
それから腰まで届く長い銀髪を指先で弄びながら、不満げに言う。
「だったらキミが黒き星の対処をしてくれれば良いものを……」
「別にアタシ、興味ないもの」
「魔王の対処も私が主導しているのだぞ?」
「あら? それに関してはアタシも今さっき貢献したつもりだけど?」
「バルドとあのデカブツを送り出したのは単にキミの趣味だろうに」
銀髪の女は肩をすくめるとヴィネラに背を向けて歩き出した。
「あら、どこへ行くの?」
「どうやら私の作品が地上に出たようでね。回収してくる」
銀髪の女はそう言いながら地下空間から出ていった。
それを見たヴィネラは宙でクルクルと前転しながら呟いた。
「まったく、趣味悪いわねぇ……フフフ……」
そしてやがてその姿は空気に溶けるように消えていく。
誰も居なくなった地下空間では巨大な魔法陣が煌々と、血のように紅い光を放ち続けていた。
○
王国に戻ると、ちょうど大通りで勇者の凱旋パレードをやっていた。
「……なんで隠れてるんですか?」
「そりゃ見つかりたくないからだよ」
脇道に入り、建物の影からパレードを覗いている俺をセーラがいぶかしげな顔で見上げる。
「前から思っていたのですが、どうしてイグナートはそんなに勇者様を避けているのですか?」
「それこそ前に言ってあるだろ。嫌いなんだって」
「どういった理由で?」
「人を嫌うのに理由なんていらねぇだろ。なんとなくだ」
「説得力がないですが……話したくないならいいです」
「なんだ、拗ねてんのか?」
「拗ねてませんけど」
「じゃあこっち向けよ」
「向きません」
「やっぱ拗ねてんじゃ……いや、いやいやいや」
なんだこの甘酸っぱいやりとりは。
彼氏彼女かっつーの。
今まで意図してセーラには何の感情も抱かないよう努めてきたというのに。
最後の最後で気が緩んできてるのか。
不味いな。この怪物並みの体格をなんとかするという俺の目的のためにも、早くこの国を出ないと。
別れが惜しくなってしまう。
「……イグナート? どうかしたのですか?」
いったん意識してしまうと、こちらを見上げるセーラがやたら可愛く見えてしまう。
この国を出て旅に出るという目的意識があったから避けていたが、元来俺は惚れっぽい方なのだ。
「いや、なんでもねぇ。じゃあなセーラ。俺はこれからリーダーのとこへ行って報奨金もらってくから」
「……そしてそのままこの国を旅立つんですね」
「おう、もう準備はできてるからな」
「そうですか。……では、お元気で」
セーラに別れを告げ、リーダーとの待ち合わせ場所である王都を囲む城壁、その正門へと向かう。
その際、途中でふと後ろ髪を引かれる思いで背後を振り向くと、そこそこ距離が開いてるにも関わらずセーラは俺のことをまだ見送ってくれていた。
そして振り返った俺に気づいたセーラが心なしか、いつもより嬉しそうな顔で小さく手を振ってきた。
……やっべぇ、なんだあの可愛い生き物。
「絶対帰ってこよう……」
俺は何度目になるかわからない決意を再び胸に抱き、リーダーとの待ち合わせ場所である正門へと歩いていった。
◯
「やあ、イグナート。お帰り」
リーダーは正門近くにある木に寄りかかり本を読んでいた。
「ただいま……つってもすぐ出てくけどな」
「でもまた戻ってくるんだろう?」
「いつかはな」
しばらく他愛ない話をしてから俺は魔物の巣での出来事やその顛末を説明した。
一応リーダーにはヴィネラと名乗る魔女が巨大魔結晶を回収していったことなどをひと通り話したが、セーラの親父さんと見られる男に関してはあえて伏せておいた。
話しが終わると俺はリーダーから今の内容は他言無用であることを言い含められ、今回の件は軍部の方で調査を継続するということでまとまった。
その後。
「はいこれ、報奨金とキミの荷物」
リーダーは懐から小さな巾着袋二つと、中くらいの布袋をひとつ取り出した。
「おお、わるいな……ん?」
中くらいの袋は俺が今回の旅に向けて買っておいた小さなロッド型アーツが三本。
小さな巾着袋のひとつには今回の報奨金と思われるディアドル王国製の大金貨、金貨、銀貨などが入っている。
そして残りのひとつには、
「なんだ、これ?」
色とりどりの丸い宝石が入っていた。
いや、アニマを感じるから魔石ってヤツか。
ビー玉ぐらいの大きさで十個ほどある。
「イグナートが預けてたお金を、魔石に換えたものだよ」
「俺が預けてた金?」
「そうだよ。キミ、孤児院に自分が稼いだお金を預けて、そのまま行こうとしたでしょ。院長が言ってたよ。『自分で持ってろ!』って」
「いや、それは……」
孤児院に持ってったのは全部寄付のはずなんだが。
だって、俺は俺でちゃんとディアドル王国の商業ギルドに貯金してるし。
しかも結構大量に。
具体的にいうと大金貨五百枚ぐらい。
日本円換算すると五千万ぐらいのイメージだな。
オーダーメイドのハルバードや高価なマギー・アーツを買って、さらに孤児院へ送金しててもそれぐらい余ってるのだから、防衛戦で毎度もらう報奨金がどれだけ凄いかわかるというものだ。
「ちなみに受け取り拒否はできないよ。院長命令だから」
「いや、まあ……そうまでしてくれるものを拒否はしないが。なんで魔石に換えてあるんだ?」
「ああ、孤児院にあったイグナートのお金がだいたい大金貨五百枚ぐらいあったからね」
「………………はい?」
「持ち歩くにはちょっと多いからね。魔石だったら小さい割に高価で、需要も高いから他の国でも簡単に現地のお金と換金できるし。むしろ他の国の方が高値がつくよ。ディアドル王国の魔石は大陸一の高品質だから」
「……ってことはこれ、ひとつ大金貨五十枚分ぐらいの価値があるのか?」
しかも他の国ではさらに価値が上がるとか。
とんでもねぇな。
王都は物価が高いからアレだが、これだけあったら田舎の方行けば十数年何もしなくても食ってけるぞ。
「……やっぱ拒否」
「無理」
「だよなぁ……」
院長、一度決めたことには頑固だから、絶対に受け取ってはくれないだろう。
別に院長自身にあげるわけじゃないけど、院長イコール孤児院みたいなもんだからな。
院長がダメって言ったら意味が無い。
「……なら、ありがたく受け取るか。こんなにもらって良いのかとは思うが」
「当然だよ。キミが稼いだお金なんだから」
「その何割かは真っ当に稼いだとは言い難い金なんだけどな」
「いや、キミがやってきたことを考えたら十分正当な報酬だと思うよ。むしろ少ないくらいだ」
「そうかねぇ……」
「変なところで遠慮するよねイグナートは。見た目に反して」
「別にそういうわけじゃないんだけどな」
決して楽してるわけじゃないが、こんだけ俺に割が良いと別のところで帳尻合わせられそうで怖いんだよな……。
「じゃあ、はいこれ。最後の応用台本」
「おお、わりぃな、何から何まで」
何年も続いた『傭兵イグナート』台本もこれが最後と考えると、なんだか感慨深い。
情けないことだが、この台本とリーダー直々の演技指導が無ければ俺はとっくのとうに人類奉仕ルートへ突入していただろう。
本当にリーダー様様である。
もちろんそれに値する仕事はしてきたつもりだが。
「それじゃあね、イグナート」
「ああ、またな」
そしてあっさりと別れる。
これが今生の別れだったらもうちょっと話すことはあるが、また戻ってくる予定だからな。
他の主要なメンバーには最後の戦い前に別れの挨拶は済ませてるし、こんなものだろう。
俺は門をくぐり抜け、森に囲まれた街道へと足を踏み出していった。




