第二百七話「選択肢」
「さて、それではこれからだが……どうする?」
ジル・ニトラは握手を解いたあと、順番に指を立てながら言った。
「ひとつは、キミが自分の複製を作って、片方が過去の世界を救いに行く。もうひとつは、救いには行かない……という選択肢だ」
「創造神の力を上手く扱えるように訓練してから過去の世界に行く……という選択肢は?」
可能であれば、できる限り勝算は高めていきたい。
「不可能ではないかもしれないが、止めておいたほうが無難だな」
「なんでだ?」
「私は時間旅行の術が特別、得意というわけではないからね。時間が経過すればするほど、術の成功率は下がる。また、いくら創造神の力を使ったとしても、時間旅行は極めて危険な行為だ。ある種の博打に近い。練習もお勧めできない」
ジル・ニトラはあらかじめこのやり取りを想定していたかのように、すらすらと理由を答えていく。
「つまり……目的とする過去からさほど時間が経過していない今が、一番成功率が高く安全だ。ざっくり言えば八割がた成功するだろう。キミが創造神の力を上手く使えるようになってからでは、おそらく成功率は一割にも満たない」
「……一番成功率が高くても八割なのか」
ジル・ニトラの術式と創造神の力を使うのであれば、もっと成功率は高いかと思っていた。
「イグナート……時間旅行だぞ? 神を名乗る存在ですら危険すぎて手を触れない、普通はそんな発想すら出てこない、禁忌中の禁忌だ。限定的な範囲内とはいえ、八割も成功するというのは驚異的な精度なのだが……?」
「わ、わかった。わかったから近寄らないでくれ」
胸の前で腕を組み、ジト目でにじり寄ってくるジル・ニトラから後ずさって距離を取る。
……コイツに近寄られると生きた心地がしない。
スヴァローグの力でコイツが嘘をついていないことはわかるし、今の俺であればどんな不意打ちでも無効化できる自身はあるが……それとこれとは話が別だ。
なるべく距離は保っておきたい。
「ふむ……? なるほど、なるほど……そういうことか」
「……?」
「フフ、そうだな。キミを私に依存させ、骨抜きにさせるのも面白いな? 控えめに言っても私は絶世の美女だから、そっちのほうが早いかもしれん。ククク……」
「…………」
自分で言うか……いや、確かに絶世の美女だけど。
骨抜きにさせるとか以前に、骨ごと喰われそうで怖いんだよ。
ビビってると思われるよりはマシな勘違いなので、訂正はしないが。
「それでどうする? 過去へ行くのか? 行かないのか?」
「行く」
もはやこの世界に影響はないとしても。
ジル・ニトラが全人類を喰って、好き放題する未来をそのままにしておくのは我慢ならない。
「フフ……キミならそう言うと思っていたよ」
「自分の複製をしてくるからここで待っててくれ」
「おや、この場ではやらないのかな?」
「ちょっとな」
ジル・ニトラには見せたくないものがある。
「ふむ……? まあ、良いだろう。手早く頼むぞ」
「わかってる」
風魔法で飛び、飛空城の更に上空へ移動する。
そしてジル・ニトラから十分に距離を取ったあと、俺は視界を埋め尽くすほど巨大な真紅の光……創造神を呼び出して、その中へと入っていった。
○
創造神の中にある精神世界で、自分の複製を作ったあと。
俺は再び精神世界から物質世界へと出て、ジル・ニトラが待つ飛空城へと降り立った。
「おや、思ったよりも時間が掛かったね。何かあったのかな?」
「……いや」
努めて自然体を装い答える。
「特に問題はなかったけど、じっくり慎重にやったからな。引き継ぎにも多少時間を掛けたし」
「ほう? 自分自身の複製体に引き継ぎとは妙なことを言う。記憶も同じだろうに」
「そうだけどな。おまえの言う通り心配性なんだよ俺は」
苦笑しながら誤魔化す。
慎重にやったのも、引き継ぎに時間を掛けたのもまるっきりの嘘ではないが、本当でもない。
本当に時間が掛かったのは……俺の中にあるスヴァローグを『分ける』作業だ。
スヴァローグを『分ける』と言っても、俺が九割で、精神世界に残る俺は一割以下にはなるが……何も残さないよりはよほどマシだからな。
一割以下のスヴァローグでもあの精神世界においては創造神の力を最低限引き出せる。
協力体制のジル・ニトラから裏切られたとしても対処は十分可能だ。
「ふむ、そうか。いやなに、時間が掛かったのは、複製体に私が裏切ったとき用の『仕込み』でもしてきたのかと思ったのだが」
……誤魔化す以前にバレバレだなこれ。
「ククク、そう気まずい顔をしなくても良い。キミが私を疑うのは当然だ。ヴィネラほどではないが、私も気まぐれなところがあるからね。だが安心したまえ。私は今まで、自分自身の魂に誓った約束を破ったことはない。無論」
ジル・ニトラがニヤリと笑って言う。
「今までは、だがね?」
「…………」
コイツの場合、今は本当に裏切る気がなくても、途中から気が変わって裏切るとかガチでありそうなんだよな……。
そこらへんは精神世界に残った俺も重々わかっているはずだが、こうして本人からそれっぽいことを聞くと改めて不安になる。
「フフ、からかうのはこれぐらいにしておくとしよう。さぁ、始めようか」
「待ってくれ。その前に聞きたいことがある」
大体の予想はついているが、一応確認だ。
「俺は創造神の力をジル・ニトラの術式に注ぎ込み、時間旅行で過去に戻るとして……創造神自体も、過去へ持っていくことはできないか?」
「なるほど……とんでもないことを考えるな、キミは」
ジル・ニトラは興味深そうに口角を上げたが、すぐに首を振って答えた。
「しかし無理だな。創造神の力はあまりにも大きすぎる。キミとスヴァローグでさえ精一杯なのだ。成功率がどうのと言う前に、そもそもそんな術式は組むことができない」
「そうか」
もし可能だったら苦労しなかったんだが……仕方がない。
予想通りの返答ではある。
となれば、過去に存在する創造神とまた改めて繋がりを作り直し、力を借り受けるしかないか。
神竜化したジル・ニトラ相手には、スヴァローグの力だけでは心もとないからな。
「あと何か聞きたいことはあるかな?」
「そうだな、あとは……」
一瞬、頭に浮かんだことを質問するかどうか逡巡したが……結局、聞くことにした。
「……すべてが終わったら、こっちの世界に戻ってくることは……可能か?」
「無理だろうな」
ジル・ニトラは即答した。
「わかりやすく語弊を承知で言えば、キミが過去へ戻るのは魚が川を遡ることに似ている。しかし、キミが過去に戻った時点でキミは、我々が今存在する川とは別方向に分岐した川を下る。どの過去に何度戻っても自動的にね。これはキミが過去の世界において異分子であることから、どうやっても避けることができない現象だ。つまり普通の魚と違って、キミは一度下った川をもう一度下り直すということは二度とできない」
「……陸を渡って戻ることは?」
「魚が陸の上を飛び跳ねながら数十時間以上、移動するぐらいには難しいな」
「…………」
つまり無理ということか。
「なんだ、今の自分が生きた『歴史』があるあの精神世界に未練があるのか? フフ、無理もないな。あそこは私が見る限り、キミに随分と都合が良い世界だ。キミが今から戻ろうとしている本来の過去世界はおそらく……いや、確実にあの世界よりキミに優しくないだろう」
「だろうな」
苦笑しながら同意する。
あんな俺に都合が良い世界、そうそうないだろう。
「それでもキミは、戻るんだろう? 全人類を救うために」
「そんな大層なことは考えてない」
拳を強く握りしめる。
「ただ、負けっぱなしっていうのは性に合わない。それだけのことだ」
「フフ……照れるな照れるな、私にはわかっているぞ?」
「照れてないし絶対わかってないから黙っ……いや」
なんやかんや言っても結局のところ、すべては自己満足だ。
だがそれでいい。それがいい。
「そうだな、おまえのオリジナルをぶっ飛ばして全人類救わなきゃ、どうにもおさまりが悪い。俺はおまえと違ってまともな人間だからな」
「ふむ……なるほど? 『まともな人間』の定義を議論しなくてはならないな?」
「どういう意味だよ」
食い気味に突っ込む。
……って、こんなこと話してる場合じゃないな。
「ジル・ニトラ。もうそろそろ始めてくれ」
「ああ、わかった。では……」
ジル・ニトラが両手を広げ、目をつぶって詠唱を始める。
すると俺の足元に光の魔法陣現れ、徐々に広がっていく。
それからしばらくして、直径十メートルほどの大きさまで広がったあと。
「さて、準備はできた。あとはキミがこの魔法陣に創造神の力を注ぎ込み、私が指定した時空間座標に向け術式を起動させるだけだ。それでキミは、過去のキミがオリジナルの私に喰われた直後の時点に転移する」
「……どうせならもうちょっと前の時点には転移できないのか?」
タイミングが微妙すぎる。
「少しでも時間旅行の成功率を上げるためだ。それぐらいは我慢したまえ。なに、どうせ過去のキミが居ても戦力にはならん」
「ひどいな! そんなことはないだろ!」
……多分。
「フフ……勝つんだぞ? イグナート」
「当然だ。覚醒したスヴァローグに加え、創造神の力も使う。負けるわけがない」
「クク、それはどうかな……」
ジル・ニトラが意味深に笑う。
「どういう意味だ?」
「いやなに、事は試してみるまでわからない、ということさ」
はぐらかすように言うジル・ニトラを睨みつける。
「おお、怖い怖い。まあそれはともかく創造神の力を注ぎ込みたまえ。早くしないと成功率が下がる」
「…………わかった」
コイツが意味のないことを言うとは思えない。
元から油断はしていないが、更に気を引き締めていくとしよう。
上空に創造神を呼び出し、その力をジル・ニトラが作った魔法陣に注ぎ込んでいく。
そしてバイバイするように無言で手を振っていたジル・ニトラが、創造神の力が充填された魔法陣に手をかざした瞬間――眩い光と電が視界を埋め尽くした。




