第二百六話「味方」
「過去に、戻る……」
それは俺も一度……考えた。
創造神の力は本来、ありとあらゆる法則を捻じ曲げ、改変し、想像を具現化する。
限りなく全能に近い超常の力だ。
だとすれば過去に戻って全部やり直すことだって、できるはずだと。
……しかし、少し考えればそれは実現不可能だとわかる。
さっきも帝都で何が起こったのか創造神の力を使って『視た』が、それすら上手く制御できずに意識が飛びそうになったのだ。
そんな俺が過去に戻るなんて荒業をしようとすればどうなるか。
間違いなく悲惨な結果になるのは目に見えている。
だがそれは、俺が自分ひとりで創造神の力を使う場合だ。
卓越した魔術の腕を持つジル・ニトラが補助すれば、あるいは……『過去に戻る』なんて奇跡も起こせるのかもしれない。
俺が黙って思考を巡らせていると、ジル・ニトラは先ほど見せた邪悪な笑顔とは打って変わって優しげな表情になり、語りかけてきた。
「そうさ。キミは過去に戻って、何もかもをやり直す。そして私はキミがスヴァローグの力で掛けた制約を解いてもらい、自由の身となる。お互い悪い話じゃないだろう?」
「制約を解く?」
それは……おかしい。
俺はジル・ニトラに勝ったあと、『人間に直接的、間接的に危害を加えることができない』という制約を掛けた。
元々ジル・ニトラには似たような制約がルカによって掛けられていた。
そのことを俺は知っていたので、それをスヴァローグの力で復元し、流用した形だ。
ただ、ジル・ニトラはその制約を破って、俺に不意打ちの攻撃を仕掛けてきたのである。
「おまえはスヴァローグの制約を破れるんじゃないのか?」
「ハハ、そんな簡単に破れるんだったら、ルカが制約を掛けてた時代にとっくに破ってるよ」
「……ってことは、おまえに勝って制約を掛けたっていうのは俺の認識だけの話で、実際は掛かってなかったってことか?」
俺が居た精神世界の住人は、全人類がオリジナルの魂を元に複製後、改変された存在だ。
そして俺も複製こそされてはいないが、魂と記憶だけを抽出、改変されて精神世界に入れられていた。
つまり俺には改変された記憶だけがある状態で、実際の行動は伴っていなかった……ということなのだろうか?
……なんだか頭がこんがらがってきた。
「いいや、私たちが居たあの精神世界において、確かにキミは私に勝ち、私に制約を掛けたよ。私とキミがそう認識して、実際に私の魂は縛られているのだから間違いない。現実の歴史はどうであれね」
ジル・ニトラはそう言うと、小さく笑いながら口元に手を当てた。
「フフ……これはそう難しい話じゃないんだ。キミがただ勘違いをしていただけの話でね」
「勘違い?」
「そうさ。キミは『私が制約を破って攻撃してきた』と言ったが、そうじゃないんだ。単に……キミは、元から『制約の範囲外』だったのだよ」
「…………え」
ってことは、つまり?
「……俺、人間じゃないってこと?」
「フフ、御名答」
「いや御名答じゃなくて」
どういうことだよ。
「私の認識では、覚醒後にスヴァローグを使って創造神と繋がった時点でキミの魂は変質し、もはや人間とはかけ離れた存在になっている。つまり人間じゃないから私の制約も関係ない。今まで私が何もしなかったのは、あの精神世界だとキミは創造神の加護を常時強く受けていて、限りなく無敵に近かったからだよ」
「なんだよそれ……」
てっきりジル・ニトラの卓越した魔術か何かで制約が破かれたのだと思っていたが、ただの抜け穴的なものだったのか。
とんだ拍子抜けだった。
「フフ、話が脱線してしまったね。話を戻そう。取り引きだ」
「……俺は過去に戻ってすべてをやり直し、おまえは自由の身になる、か」
色々と突っ込みどころはあるが、まず言うことはシンプルにひとつだ。
「断る」
「ほう……なぜかな?」
ジル・ニトラは目を細め、口角を上げて微笑んだ。
「悪い話ではないと思うが?」
「おまえが自由になるってことはつまり、俺が過去に戻ってすべてをやり直しても『今この世界』に居るおまえには影響がないってことだろ?」
それはつまり、俺が向かう『過去の世界』は、あくまで『この世界』とは別物だということになる。
「ああ、そうだよ。キミが過去に時間旅行をした場合、その世界は『未来からキミが来た』世界として分岐する。今存在するこの世界には何の影響も及ぼさない。それが何か問題でも?」
「大ありだろ。俺が自分の居る世界を放置して、別の世界で自分だけやり直すようなことをするヤツだと思うか?」
俺が睨みつけながら言うと、ジル・ニトラはニッコリと笑って言った。
「放置しなければ良いじゃないか」
「……どういうことだ?」
「フフ、答えはとうの昔に出ている。私やヴィネラが散々やっていたじゃないか」
「おまえやヴィネラがやっていた?」
過去の記憶を探って、ひとつの可能性に思い当たる。
……まさか。
「その様子だと気がついたようだね。そう――『自己の複製』だよ」
「…………」
「これはキミの得意分野だ。安定しない創造神の力を使わずとも、スヴァローグの力だけで容易に実現できる。そうだろう?」
「……そういうことか」
ジル・ニトラの目的がわかった。
「過去に行くのはスヴァローグの力を持つ俺だ。そしてこの世界に残る複製された俺には……スヴァローグの力がない。つまりおまえはこの世界でやりたい放題ってわけだ」
「私の制約を解き、自由の身にしてくれるならばキミやその周囲に手出しは一切しないと誓うぞ?」
笑顔で言うジル・ニトラ。
「ハッ……俺がおまえを野放しにするわけがないだろ?」
「それは残念だ。まあ、頼りにされていると考えれば、悪い気はしないがね」
「……何のことだ?」
「フフ、とぼけないでくれたまえ。この世界にはまだオリジナルの私や黒き星の問題が残っている。キミが私をまだ殺さないのは、そうした問題解決に私の力が必要だと考えているからだろう? 無論、度を越したら始末するつもりなのだろうが……私はまだギリギリ度を越してはないからね」
ジル・ニトラは握手するように右手を差し出して言った。
「約束しようじゃないか、イグナート。キミが過去の世界を救いに行こうと、行くまいと、これから私はキミに協力しよう。あの精神世界を黒き星から守り、オリジナルの私を共に打ち倒そう」
「……代償は?」
「代償というほど大げさなものは求めないさ。すべてが解決した後、私の制約を解いて自由にしてくれれば、それで良い」
「…………」
最初の要求からは大幅に譲歩しているが……すべてがコイツの思惑通り動かされている気がしてならない。
「……すべてが解決したら制約と解いて自由にするという約束は、できない」
「むぅ、そうか……ならば仕方ない、時が来たら制約を解いて自由にすることを『考える』だけで良い。その時のキミが解かないと判断したならば、私は大人しくその判断に従おう。それでどうかな?」
ジル・ニトラは苦笑しながら更に譲歩してみせた。
もしこの言葉が本当ならば、俺としては願ってもない提案だ。
コイツが言うと罠にしか思えないという点が玉に瑕だが。
……というか実際に罠なんだろうな、多分。
だが……罠だというリスクを天秤にかけても、この提案はリターンが大きい。
ジル・ニトラもそれをわかった上で言ってるんだろう。
「……わかった。時が来たらおまえの制約をどうするか『考える』。それでおまえは俺の味方になるんだな?」
「ああ、時が来るまで私はキミの味方になろう」
「自分自身の魂に誓えるか?」
「もちろん誓えるとも。フフ、スヴァローグの力で私が嘘をついていないことはわかるだろうに。相変わらず心配性だな。さて、では――」
「待て」
手を引っ込めて話題を変えようとするジル・ニトラの目を見つめて言う。
「おまえは今……『誓える』とは言ったが、『誓う』とは言ってないな?」
「……ク、ククククク」
ジル・ニトラは小さく笑いながら再び右手を前に出した。
「良いだろう。私はキミが制約を解くまで、キミの味方だ。私自身の魂に誓おう」
「そうか。じゃあ俺も改めて……これからよろしく頼む、ジル・ニトラ」
俺はそう言ってジル・ニトラの手を握り返した。




