第二百五話「過去」
視界が真っ赤に染まる。
凄まじいエネルギーの奔流に、意識が塗りつぶされそうになる。
本来、スヴァローグの力は全能に近いと言われるほど万能だ……というのは、術者による。
その最たるものが、『想像を具現化する』能力だ。
幾度となく能力を使い、慣れているルカのような術者だったらともかく、俺はなんでもかんでも想像を具現化できるわけじゃない。
イメージが難しい物や現象は中々具現化できないし、できたとしても不完全な具現化になる。
そういった意味では、『自分の肉体を復元する』こと自体の難易度は高くない。
以前から治癒魔法でさんざん自分の肉体を復元していた記憶があるせいか、むしろ簡単だ。
つまり肉体の復元だけだったらスヴァローグの力だけでもどうにかできるのだが……それでも俺は今、創造神の力を借りながら外の世界に出ようとしていた。
なぜなら今回やらなければならないことは、肉体の復元『だけ』ではないからだ。
外の世界に出て……場合によっては、待ち構えている『何か』と戦わなくてはならない。
「外に出たらいきなりグサリ、とか……シャレにならないからな」
外の世界に出た瞬間のあらゆるケース、あらゆる罠を想定し、対策を考える。
創造神の力は絶大だ。
スヴァローグの力だけだったら対応できない場面でも、創造神の力であれば熟練度など関係なしに、文字通り力押しで打ち勝てる。
それこそ、もし今回の一連の流れがジル・ニトラの罠だったとしても、問題なく対処できるだろう。
あとは俺が……どれだけ持つか。
創造神の絶大な力を使うのに、人間の精神では長く持たない。
それ以前に少しでも取り扱いを間違えれば、俺の自意識は簡単に消滅する。
それでも、この世界の外側で何が起こるかわからない以上、俺は最初から全力全開でいくしかないのだ。
失敗は許されない。
「頼むぜ……ベニタマ」
久々に懐かしい名前を呼びながら胸を押さえ、自分の中にいるスヴァローグに意識を集中する。
そして創造神の力を身に纏い――俺は空間に穴を開け、外の世界に飛び出した。
○
視界を覆う眩い光を超えて。
俺は空間に開いた穴から、瓦礫の上に降り立った。
「ここは……」
吹きすさぶ風に、雲ひとつない青空。
少し歩くと、眼下には見覚えのある帝都の街並みがあった。
忘れるはずもない。ここは宙に浮かぶ帝国城、その壊滅跡だ。
「…………」
拳を握り締め、自分の肉体が無事具現化できていることを確かめながら、創造神の力を使い帝都を『視る』。
「っ……」
頭の中に流れ込んでくる大量の情報に意識が吹き飛ばされそうになりながらも、その場でたたらを踏み堪える。
そして情報を受け止めきった俺の脳裏に浮かんだのは……考えうる限り、最悪の結末だった。
「まさか、この世界は……ハッ!?」
俺は背後に突如として現れた気配から逃げるように地面を蹴り、その場を離脱した。
直後、さっきまで自分がいた場所に竜化した腕が振り下ろされ、地面を抉る。
「ジル・ニトラ!?」
「なんと……これ以上なく静かに出てきたつもりだったが、今のが避けられるとは。困ったな」
ジル・ニトラはいつも通り余裕の表情で、まったく困っていなさそうに言った。
「もう手の打ちようがない」
「……死にたいのか? ジル・ニトラ」
どうやってこちら側の世界に来たのか。
どうやって肉体を具現化したのか。
どうやって俺がスヴァローグの力で掛けた制約を無視して、攻撃してこれたのか。
疑問は尽きないが、わざわざ聞くことはしない。
コイツへの対処を最速で決めるため、単刀直入に聞く。
「もうおまえに用はない。俺に敵対するなら……殺される覚悟はあるんだろうな?」
「フフ、ちょっとした冗談じゃないか。この程度のことで怒らないでくれたまえ。器が知れるぞ?」
ジル・ニトラが笑いながらそう言った瞬間、俺は縮地で間合いを詰め、ヤツの胸に右ストレートを打ち込んだ。
刹那、ヤツの胸に風穴が開いたのを確認後、即座に後ろへ跳んで元の位置に戻る。
「冗談で殺されてたまるか。もう一度ふざけたことを言ってみろ、次は頭を吹き飛ばす」
「ガハッ……ま、待て待て、今の私には昔ほどの力はないのだぞ? そんなことをされたら死んでしまう」
「そのつもりで言った」
ジル・ニトラの一挙一動を見逃さないように注視する。
コイツは人のアニマを吸収する能力もあるため、土魔法を使って拘束することもできない。
いざとなったら一瞬。
物理で吹き飛ばす。
それしかない。
「それでどうなんだ? おまえは俺の敵なのか? 三秒以内に答えろ。一、二……」
「もちろん敵じゃないとも。ここに来たのだって、キミの役に立つためだ」
風穴の開いた自分の胸を押さえながら言うジル・ニトラ。
「キミだって、私が役に立つとわかっているからこそ、すぐには殺さないのだろう?」
「俺には創造神の力がある。おまえが居なくとも、大抵のことは解決できる」
「フフ……強がりを言うな」
ジル・ニトラは口元から流れる血を、手の甲で拭いながら笑った。
「創造神の力は人の手に余る。魔術を満足に修めていないキミが、術式の構築もなく感覚で使い続けたら……その結果、何が起こるかわからないぞ?」
「……話が見えないな。何が言いたい?」
「わかっているくせに……」
こちらに近づこうとしたジル・ニトラに睨みつけ、殺気を当てる。
「近づいたり、妙な真似をしたら殺す」
「おお、怖い怖い……キミは心配性だなぁ。今のキミにとっては、私など瞬きする間もなく殺せるだろうに。獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くすとは言うが、度が過ぎるのも考えものだぞ?」
「関係のない話をしても殺す」
「殺伐としているなぁ……仕方がない、では単刀直入に」
ジル・ニトラは腕を組み、片目をつぶってウインクしながら言った。
「私なら、キミの『望み』を叶えられる。取り引きをしようじゃないか、イグナート」
「まるで俺の望みを知っているかのような言い方だな」
「ああ、知っているとも」
手の指で輪っかを作り、その穴から片目で俺を見る。
「私はキミをよく知っている。となれば、キミの望みもおのずとわかる。道理だろう?」
「そうか。なら言ってみろ。俺の望みを」
「――キミは、『やり直したい』と考えている」
ジル・ニトラの言葉に息を呑む。
「顔色を見ればわかるさ。もうキミも見たのだろう? この世界には、人間が存在しないことを」
「なぜ、それを……」
「鈍感な人間と一緒にしないでくれたまえ。これでも元、神竜だ。それぐらいのことは気配でわかるさ。加えて……」
宙で人差し指をグルグルと回しながら、続ける。
「こちら側に来て確信したが、我々が居た精神世界は、創造神の力によりオリジナルであるこの世界を複製し、改変されたものだ。キミ以外の全人類や私も含めてね。そしてこの世界は、我々が居た精神世界との分岐点……つまり、オリジナルの私がキミを喰らい、宣言通りオリジナルの全人類を自分の腹に入れて、違う世界に旅立ってから丸一日ほど経過している、ということもわかる」
「丸一日……?」
ジル・ニトラが言った事の流れは概ね間違っていないはずだ。
その根拠は不明だが、俺は創造神の力で『過去』と『現在』の帝都を『視た』からわかる。
しかしそれは断片的な情報を大量に得るというもので、何が起こったのかは推測できても、具体的な時間まではわからなかった。
何も魔術を使っていない様子のヤツからなぜ、丸一日という具体的な時間が出てくるのか。
「疑問かね? まあこの場に漂うアニマを見れば一目瞭然なのだが……それ以前に私は予想していたよ。なぜなら、キミがあの精神世界で違和感を抱き、私のところに来るまでに丸一日ほど、掛かっていたのだから」
「っ!」
ハッとそのカラクリに気がついた。
そうか、あの世界でいくら長い時間を過ごしていたと思っても、『長い時間を過ごした』という記憶と共に作られたとしたら……あの世界自体、作られたのが『昨日の朝』ということも……ありえるのか。
「いずれにせよ、もう手遅れであることは間違いない。いくらヴィネラの気まぐれでオリジナルの私がキミを生かすことになったとしても、キミの復讐に対する策を立てておかないほど、私はバカじゃないからね。いくらキミが創造神の力を手にオリジナルの私を追っても無駄だから、それは止めておいたほうが良い。もし仮に追いつけたとしても、必ずつまらない結果になる」
「……いきなり随分と饒舌になったな。別の自分を庇っているのか?」
「まさか」
ジル・ニトラは小さく笑って答えた。
「こうして別個体として存在する以上、私が私を庇う理由など何もない。単純に、キミの無駄死にを惜しんでいるだけだよ。それに……創造神の力を自由自在に使えない今のキミが、腹の中に人質を入れた『神竜』の私に敵うと思うのかい?」
「今は無理でも、いつかは敵う」
ヤツを……絶対に、野放しにはしない。
「フフ……そうだね、確かに『いつかは』敵うかもしれない。でも、そんなに待つ必要もないだろう?」
「……なに?」
ジル・ニトラは訝しげに眉をひそめる俺に、邪悪な笑みを浮かべて言った。
「やり直せば良いじゃないか。私が術式を提供しよう。創造神の力を使って――キミは過去へ戻りたまえ」




