第二百四話「因果」
ジル・ニトラの言葉を聞いて、顔をしかめる。
そうだ。
この世界はヤツが言う通り、アニマと魂の記憶で構成されている。
幽星界に漂う、現実を模した精神世界。
それが――この世界だ。
「ククク……どうした? ひどい顔をしているぞ?」
「……そりゃな」
ジル・ニトラの腹には収まらなかったものの、結局はコイツの言った通りになっているのだ。
良い気分であるわけがない。
「まったく、キミは贅沢だな」
「贅沢?」
「そうだとも。私が見る限り、あの黒き星に狙われて無事だった世界はないのだぞ? ましてや全人類が無事など、奇跡も良いところだ」
「肉体は無事にできなかったけどな」
自嘲的に笑うと、ジル・ニトラは微笑みながら足を組み直した。
「仕方あるまいよ。いくらスヴァローグが神のごとき力を持つとはいえ、それを使うキミは人間だ。できることとできないことがある。創造神の核であった『彼』ならば、あるいは……『物質的』にも世界を復元できたのかもしれないがね」
「…………復元、か」
創造神、そしてジル・ニトラが話す『彼』について、俺は未だに詳しいことを知らない。
例のごとく、話を聞こうとするとヴィネラが笑いながら背後を取って脅してくるからだ。
だが今までに得た情報と、今朝見た夢でなんとなく……その背景がわかってきた気がする。
「そうとも。なにせ元々この世界は『彼』が自らの力を使い一から創造した、言わば『彼』の肉体のようなもの。万能の情報源であるアーカーシャと繋がり、神の力を持つ『彼』にとっては自身の肉体を復元することぐらい、できてもおかしくないだろう?」
ジル・ニトラは何が面白いのか、ニヤニヤと笑いながら懐から葉巻を取り出した。
それを口に咥え、指先から勢いよく炎を出して葉巻に火をつける。
「本当ならあの力、私が全部喰らってやりたかったのだがね……残念だ。いや、たとえ喰らえなかったとしても、せめてキミのスヴァローグが覚醒さえしなければ……」
「そうだな」
ジル・ニトラの腹の中で創造神と繋がり、その力を借り受けなければ、俺はあのまま死んでいた。
「未だに不思議だよ。元は同じ神の細胞を持ち、ヴィネラの記憶という共通の因子を持つとはいえ、なぜあのタイミングでキミのスヴァローグは覚醒したのか。あれではまるで……」
ジル・ニトラはそこまで言って、ハッと何かに気がついたように目を見開いた。
「そうか……そうだったのか。ハハハ……なんということだ」
「……なんだよ?」
「フフ……フフフ……」
俺が問いかけると、ジル・ニトラは葉巻を手のひらでグシャリと握りつぶし、笑いながら言った。
「イグナート。話を戻そうじゃないか。キミはこの世界の何かが『おかしい』と感じる。そうだったね?」
「ああ……そうだ」
何かがおかしい。
それはわかるのに、何がおかしいのかはわからない。
しまいには『おかしい』と思う気持ちすら消え薄れていく。
「フフ、それもそのはずだ。なぜなら、私が推測するにこの世界はおそらく、『作られた』世界……もしくは、『改変』された世界なのだから」
「なんだって?」
ジル・ニトラの言葉に耳を疑う。
それは……ありえないだろう。
「俺に幻術は……」
「『作られた』もしくは『改変』と言っただろう? 幻術ではないのだよ、この世界は。物質世界ではなく精神世界ではあるが、『本物』だ」
「……どういうことだ?」
ジル・ニトラの突飛な発言に頭が混乱する。
わけがわからない。
「さてね。私も詳細は不明だ。むしろわかることのほうが少ない。根本から作り変えられたはずのキミが、この世界に違和感を覚えていることも謎だし……いや、この世界を作ったのはキミであり、自分自身は完全に作り変えられなかったという可能性もあるが……」
「俺が……この世界を作った……?」
なぜ、何のために?
「あくまで可能性の話だよ。まあ私は大方、ヴィネラの気まぐれが原因だろうと思ってはいるのだが……」
「待て。なんでそんなことが……この世界が、作られた世界だって、わかるんだ?」
「簡単だよ」
ジル・ニトラはソファに身を沈め、肩をすくめながら言った。
「私が、キミに『負けている』からだ」
「……は?」
「わからないか?」
ジル・ニトラが身を乗り出し、俺の左胸に人差し指を突き立てる。
「この世界は……キミに都合が良すぎる。本当ならば、キミは私に喰われた時に死んだはずなんだ。それが死ぬ間際、奇跡的に創造神と繋がり、奇跡的にスヴァローグを覚醒させ、私を倒した」
「……奇跡が重なることだって、あるんじゃないのか?」
そもそも俺がスヴァローグと出会い、転生したのも奇跡みたいなものだ。
そのあと何度も死にそうになったところでスヴァローグやヴィネラに助けてもらえたのも、必然だったり偶然だったりはするかもしれないが、普通は滅多に起こりえないという意味では奇跡と言っても過言ではないだろう。
「もちろん、奇跡が重なることはあるだろうさ。だがね……本来、物事が起きる前には必ず『原因』がある。それは奇跡とて例外ではない。だが今回は、キミに奇跡が重なるには『原因』が薄すぎる。多少の因果関係はあるにしても、弱すぎる」
「その因果関係が弱くても起こったから奇跡って言うんだろ?」
因果関係が強くて絶対的に起こるのなら、それは奇跡じゃなくて必然だ。
「あぁ、そうか。キミには言ってなかったな。神竜である私にはね、多少ではあるが因果律を操作する力があるのだよ。自分が望むようにね」
「……は?」
「まあキミのスヴァローグが持つ神の力と比べたら、弱いものではあるが」
「ちょっと待て、それはつまりどういうことだ?」
頭が混乱してきた。
「簡単に言えば、『私の前では因果関係の弱い奇跡は起こらない』ということだ。しかしキミの場合はスヴァローグの力があるから、あの時もそれが原因で私の因果律操作が効かなかったのだと思い込んでいたが……」
「違うのか?」
「フフ……違うのだよ。なぜならキミのスヴァローグが神の力を発揮したのは『覚醒後』だ。『覚醒前』……つまり奇跡が起こる前は、ただの膨大なアニマタンクに過ぎない。そして――」
ジル・ニトラが自分の側頭部を指でトントンと叩きながら言う。
「――こんなあたりまえのことに私が今まで『気がつかなかった』という事実自体が、答えを出している。私にも幻術は効かないからね」
「……根本的な認識からして作り変えられた世界、か」
俺が作ったのかヴィネラが作ったのかは知らないが、とんでもない話だ。
「おまえは……どうすれば良いと思う?」
「フフ、決まっているじゃないか」
ジル・ニトラはソファから立ち上がりながら言った。
「出るのだよ。この世界からね」
○
帝都の上空、分厚い雲の上。
俺はそこで風魔法を使い、ひとり浮かんでいた。
ジル・ニトラからは『アドバイス料だ。私も一緒に外へ連れて行ってくれ』と言われ少し悩んだが、結局は置いてきた。
アイツの中に埋め込んだスヴァローグの制約が外でも効果を発揮するかは不明だ。
用心するに越したことはない。
「外の世界……か」
この世界で暮らすようになってから、どれぐらい経っただろうか。
その間、外の世界に出ることなんて考えたこともなかった。
「どうなってるんだろうな……」
この世界の時間と外の時間がリンクしているのならば、結局は何もかもが終わっているはずだ。
だがもしリンクしていないのであれば……あるいは、『やり直す』ことができるのかもしれない。
「俺に力を貸してくれ……創造神」
スヴァローグの力を使い、呼びかける。
すると空の色が赤く染まり、空間が歪んで、視界を埋め尽くすほど巨大な真紅の光が目の前に現れた。




