第二百二話「偏執狂」
全力で走っていたせいか、家に着くのはあっという間だった。
自室にカバンを置き、サッパリするために風呂場へと向かう。
「えっ……?」
「あ、すまん」
脱衣所のドアを開けると、そこには今まさに服を脱いで素っ裸になりつつあるミコトの姿があった。
すぐにドアを閉じ、足早にその場を去る。
遅れて、背後からミコトの叫び声が聞こえてきた。
人の気配を察知できないほどボーッとしていた俺も悪いが、脱衣所のカギを掛け忘れていたミコトも人のことは責められないだろう。
……しかし、今まで天使か女神かというほどに可愛く思っていたミコトの全裸を見ても、自分が大して動じていないのはなぜだ?
今までだったら衝撃のあまり気絶してもおかしくないはず……と、そんなことを考えながら自室に戻っている最中。
猫耳と尻尾を備えた猫獣人メイド、ティタが廊下の向こうから現れた。
「メトラ、ただいま」
「ああ、ティタ……戻ったのか。お帰り」
ティタはある日盗賊に襲われ、奴隷にされそうになったところを俺が助けた関係でウチのメイドになった獣人の少女だ。
彼女にはここ最近まとまった休みがなかったので、貿易都市への買い付けついでに一定期間、実家に戻っても良いと伝えていた。
「親御さんは元気にしてたか?」
「元気してた。父さんも母さんも、相変わらず仲良かった」
「そうか」
それは良かった。
ティタは俺のことを恩人だと言ってよく働いてくれるが、たまには実家に戻って親御さんを安心させてあげたほうが良いだろう。
ティタは自分の両親のことが大好きだからな。
そんな風に考えていたところで、何か強烈な違和感を覚えた。
「メトラ?」
「…………いや、なんでもない」
一瞬、脳裏に自分の父親を殺そうとするティタの姿が浮かんだ。
……何を考えているんだ、俺は。
そんなこと絶対にあるはずがないのに。
「メトラ、どうした? 顔色が悪い」
「大したことはないんだ。今朝はちょっと夢見が悪かったってだけで」
「夢見が悪かった? それはどんな……にゃ!?」
「どうだったかな。忘れちまったよ」
俺は心配するティタの頭をくしゃくしゃと撫でて誤魔化し、自分の部屋に戻った。
●
満月の夜、深い森の中にて。
『寿命ね』
アタシがわかりきっていた事実を呟くと、未だ名前も知らない優男は苦々しい表情で言葉を繰り返した。
『寿命……』
『ええ。この世界はもう寿命。もともとそこまで容量は大きくなかったから……アナタが来たことでトドメになったんじゃない? アナタ、特異体質だかなんだか知らないけど、アーカーシャから情報と一緒にバカみたいな量のアニマ引っ張ってくるから』
世界にはアニマ……エネルギーの許容量がある。
そして、この優男はただ存在するだけでそのエネルギーを無尽蔵に引き寄せる、特異体質だった。
アタシの指摘に心当たりがあったのか、優男はすべてに合点がいったような様子で弱々しく呟いた。
『ああ……そうか、そうだったのか。じゃあ、前の世界が寿命で滅んだのも……』
『そうね。多分、アナタが原因じゃない?』
基本アタシも普段から周囲に濃度の高いアニマを引き寄せているから、最初は気が付かなかったけど……この優男が引き寄せているアニマは異常だ。
規模、量、濃度いずれも、世界そのものに影響を及ぼすだけあって、尋常じゃない。
このままいけばこの世界は間違いなく、限界を超えて膨らんだ風船が破裂するかのごとく、壊れて終わる。
『まあ、これだけ規模が大きくて、自分がその中心にいつも居るとなると中々気がつかないだろうけれど』
『……ヴィネラは、どうするんだ?』
『どうするって?』
『この世界は寿命だ。ここに居たら空間ごと消滅する』
優男は悲壮な表情で問いかけてきた。
『他の世界に移動はしないのか?』
『うーん、そうねぇ……』
少しだけ考える。
もう記憶……もとい記録さえ残っていないほど長く存在しているアタシでも、世界の終わりはまだ実際に『体験』したことはない。
『アタシは残るわ。まだ世界の終わりは体験したことないから』
『……体験しても、そのあと空間ごと消滅したら意味がないんじゃないか?』
『意味なんて関係ないわ』
クスクスと笑って答える。
『やりたいことを、やりたいようにやる。それだけだもの』
『他のやりたいことはどうなる? 神の細胞を汎用化するための制御術式は? 自分の思考とアーカーシャから最適な術式を読み込んで行う世界改変は?』
『そういえば色々と途中ね』
この優男が情報とエネルギー両方のチートを持っているから、ここ最近は随分と研究が進んでいた。
『それじゃ、そこらへんはアナタに託すわ。完成したら別の世界に居るアタシに報告して頂戴』
『……本気で言っているのか?』
『あたりまえじゃない。あぁ、面倒だったら別の世界に居るアタシにぶん投げても良いわよ』
アタシがそう言うと、優男は怒っているような悲しんでいるような、よくわからない表情で黙り込んだ。
そこでピンときた。そういえば、この優男はアタシに執着心があるんだった。
それを思い出してどことなく愉快な気分になる。
今はもう大して気にしていないが、そういえばこの優男には当初、屈辱を与えられていた。
少しぐらいはやり返してやろう。
『フフフ……しょうがないわね。それじゃ、どうしてもって土下座するなら、他の世界に避難してあげなくもないけど……?』
『どうしても』
『早いわね!?』
優男は残像が見えるレベルのスピードで土下座した。
残像が見える土下座とか初めて見た。
『予想以上にすごいものが見れたわ……』
『それじゃあ、他の世界に避難してくれるか?』
『ええ、まあ』
別になんらこだわりのない、どうでもいいことだし。
そんなことを考えながらアタシは懐から、黒い宝石が嵌った銀色の腕輪を取り出し、優男に渡した。
『……これは?』
『それはアタシのバックアップが保存してある異空間に通じる、カギみたいなものよ。アニマを込めれば空間座標がわかるから、別の世界に移動したら起動して。アタシはそれまでに記憶をバックアップに同期させておくから』
『…………バックアップ、ってことは……今、目の前に居るヴィネラは?』
『アタシ? アタシは別に動かないわよ?』
でなければバックアップ起動のカギを渡す意味がない。
『この世界の終わりを見たいし、別に動く理由もないし』
『いや、世界が終わったら君は消滅するじゃないか』
『だからそれまでに記憶をバックアップに同期しておくってば』
『でもそれだと君が消滅する事実は変わらない』
優男が大真面目な顔で言う。
『そうなったら、君が避難したことにはならない』
『……あのねぇ、他の世界のアタシがどうだったかは知らないけど、このアタシはエネルギーリソースさえあれば分体が無限につくれるのよ? そのうち一個体の消滅なんて、人間では髪の毛を切るレベルの話なの。痛くも痒くもないし、なんなら気分転換に近いわ。増やしすぎたからそろそろ消滅させようかしら、みたいな』
個体としての執着など捨て去って久しい。
いつ肉体を捨てたのかわからない程度には昔だ。
『だからアタシ一個体の消滅がどうこう言う意味はないの。わかる?』
『わかるけど、嫌だ』
『……は?』
『どのヴィネラひとりでも、世界と一緒に消滅はさせたくない。絶対に』
優男は真剣な表情で言い切った。
『……バカなの? いえ、バカって言うより偏執狂?』
『なんでもいい。とにかく、ヴィネラを消滅はさせない』
『…………』
優男のどこか妙な態度と、その目に映る異様な光を見て、アタシはすべてを悟った。
この男は……アタシを見ていない。
過去の――前の世界で消滅したという、別のヴィネラを見ている。
別のヴィネラとこのアタシを重ね、このアタシを救うことで、過去に自分が救えなかったヴィネラを救おうとしているのだ。
『ふぅん……』
不愉快極まりない。
よりにもよってこのアタシを別のアタシと重ね、しかも救おうとするなど。
忘れていた殺意が蘇る。
しかし同時に、この男がどこまでやれるのか、見てみたいという気持ちも湧いてきた。
『まあ、いいわ。ならどうするつもり? アタシはこの世界から動くつもりはないわよ?』
『……ヴィネラの研究成果を使わせてもらうよ』
さっき受け取った腕輪をアタシに返しながら、優男は言った。
『あと、神の細胞もね』
『別にいいけど、まだアレは未完成よ?』
『問題ないさ。今ある材料で十分作れる』
優男は両手を広げ、笑顔で言った。
『――人工の神を』




