第百九十二話「素顔」
意識が加速する。
集中力が極限にまで高まっているからだろうか。
周囲の光景がゆっくりと流れ、超スピードで振り下ろしているはずのハルバードさえスローモーションに見える。
そんな中、ジル・ニトラが頭上から振り下ろされつつあるハルバードに気がつき、回避行動に移り始めた。
だが……遅い。
もちろん人間と比べたら尋常じゃない早さだ。
生き返った直後にも関わらず、おそらくゼタルやディナスと比べても遜色ない反応速度ではある。
それでもヤツの回避速度より、俺のハルバードのほうがずっと速い。
終わる。
これでやっと、すべてが終わる。
いや……違うな、始まりだ。
まずは行方がわからなくなっているティタを探さなくてはならない。
捕まえたアイリスのことも今後どうするか考えなきゃいけないし、ジル・ニトラの計画を台無しにした以上、この世界をいずれ消滅させるという黒き星の対策もなんとかしなくちゃならない。
やらなきゃいけないことは沢山ある。
しかし、やれるかどうかは見当もつかない。
だとしても……多分なんだかんだで、なんとかなるだろう。
この世界に来てからというもの、大変な目にも痛い目にも十分遭った。
それでも毎回、奇跡的になんとかなって、死なずにここまでたどり着いたのだ。
これからだって万事上手くいくとまでは言わないまでも、乗り越えていける。
極限にまで加速した意識の中でそんなことを考えた刹那。
――背後から、死の気配がした。
「っ!?」
ほとんど反射的に首を右へと倒す。
次の瞬間、俺の左頬を削りながら黒い棘のような物体が前に突き出した。
突如として背後から襲ってきた驚異に対応するため、俺は首と同じく全身も右に倒し、回避行動を取りながら地面を蹴った。
強引な方向転換により、このままだとハルバードはギリギリのところでジル・ニトラの頭ではなく肩に落ちる形となるが、問題ない。
それでも今のヤツにとっては十分にトドメとなる。
しかしそう思ったのも束の間、俺の隣から凄まじい速度で飛来した岩のような物体がジル・ニトラの腹に激突した。
結果、俺のハルバードは浅くヤツの肩を斬り裂く程度に終わった。
一体誰が……なんて、言うまでもない。
背後の驚異とジル・ニトラ、両方から距離を取り向き直る。
「イグナート……いくらアナタでも、お母様を傷つけるなら――殺すわ」
そこには巨大な岩を宙に浮かせたアイリスと、黒い影とローブを纏った老人が居た。
……アイリスはともかくとして、あの老人が生きていたのは気がつかなかった。
しかもさっき俺のアニマを貫通した黒い棘みたいなのは十中八九、老人の攻撃だろう。
そこまで軽く見ていたわけじゃなかったが、あの老人は思った以上に脅威だ。
「悪いがそれは聞けない相談だ」
そう言いながらハルバードを構え直す……フリをしながら、雷魔法を使って雷撃をアイリス、老人、ジル・ニトラに放つ。
もちろん出力全開だ。今ここに至って手加減などはしない。
極大の雷撃が一瞬で視界を埋め尽くす。
「ククク……眠気覚ましにしては随分と手荒じゃないか。嫌いじゃないがね」
視界が明けてそこに見えたのは、雷撃から庇うかのごとくアイリスの前に立っているジル・ニトラの姿だった。
闇を纏っていた老人は近くの地面に倒れている。
「ジル・ニトラ……!」
「この状況……どうやら私はヴィネラの気まぐれで生き返ったようだな」
ジル・ニトラは宙に浮かびこちらを眺めているヴィネラを一瞥したあと、地面に倒れている老人を見た。
「まったく……それならそれで、もう少しぐらいアニマを融通してくれれば良かったものを……そうすればウィズダムを失うこともなかった……」
『フフ……アナタに有利すぎるのもつまらないじゃない?』
そんな風にジル・ニトラとヴィネラが話している最中。
アイリスは感極まったようにジル・ニトラへと抱きついた。
「お母様……! 生きてて、本当に良かった……!」
「おお、アイリス。それはこちらのセリフだよ」
ジル・ニトラはアイリスを抱き締め返し、その横顔に頬ずりした。
「今日ほど、キミのことを可愛く思ったことはない。アイリス……これからは、ずっと一緒だ」
「ぁ……お、お母様……!」
あまりに予想外な展開に、俺は唖然としてその光景を見ていた。
しかしすぐ我に返り、ジル・ニトラを睨みつけながら問いかける。
「おい、どういうつもりだジル・ニトラ」
「はて……どういうつもりも何も」
ジル・ニトラは苦笑しながらアイリスの首筋を舐めた。
「最愛の……ペット兼、『非常食』を労っているだけだが?」
「…………え?」
アイリスがジル・ニトラの言葉に疑問の声を上げた瞬間。
ジル・ニトラは大きく口を開け――アイリスの首筋に噛み付いた。
「なっ!?」
あり得るはずのない事態に一瞬思考が停止する。
みるみるうちにアイリスのアニマがジル・ニトラへと吸収されていく。
俺はそれを見て慌ててジル・ニトラの頭へと光魔法でビームを放った。
だがビームはヤツに当たる手前で現れた魔法障壁に当たり、光の粒子となって霧散した。
「ん……フゥ……さすが、私が特別に手を加えた作品だ。良質なアニマ……やっと人心地がついたよ」
ジル・ニトラはアイリスの首から口を離し、そう言ってうっとりとため息をついた。
希薄だったヤツのアニマが徐々に増大していく。
「ぁ……ぅ……お母、様……?」
「ククク……残念ながら私はキミの母親ではないのだよ、アイリス」
ジル・ニトラは虚ろな目で自分を見上げるアイリスを抱きながら、とても愉快そうに笑った。
「キミは私がエルフをベースに、様々な亜人の遺伝子を掛け合わせて創造した作品であり……ペット兼、非常食だ」
「…………?」
「フフ、理解できない、という顔だね」
ヤツが話している間に再び、出力を上げた光魔法のビームを放とうと密かに準備している最中。
俺は後ろから何者かの気配を感じて振り返った。
「…………」
「……おまえは」
そこに居たのは黒紫のローブを着たジル・ニトラの手下だった。
主人に危害を加えようとしている俺を排除するためか、両手を前に出して何らかの魔術詠唱らしき呪文を呟き始める。
「やらせねえよ!」
俺は硬化のアニマを纏いながら即座にそいつを掴み上げた。
その拍子にそいつが被っていたフードが脱げ、顔がさらけ出される。
「お……おまえは……?」
俺はそいつの素顔を見た瞬間、目を疑った。
……『誰か』によく似ている白い髪と、顔つき。
これは……コイツは……いや、コイツらは、まさか……。
「おお、イグナート。ちょうど良いものを持っているな」
ジル・ニトラが手招きするような動作をすると、手に掴んでいた黒紫の手下が目に見えない力で引っ張られた。
黒紫の手下は俺の手からすっぽ抜けてジル・ニトラのほうに引き寄せられる。
そしてジル・ニトラは引き寄せた手下の首を持つと、その顔をアイリスに見せつけるよう近づけた。
「ほら、どうだ? 顔といい、髪の色といい、キミによく似てると思わないか?」
「ぁ……ぇ……?」
アイリスは虚ろな目で呻き声を上げ、微かに首を傾げた。
ジル・ニトラはそれを見て楽しそうに言葉を続ける。
「ククク……まだ気がつかないか? 『これ』はキミの量産型……つまり姉妹なのだよ」
「しま、い……?」
「そうさ。まあ、キミは私が記憶を弄っているから、理解し難いのも無理はないかもしれないが……」
ジル・ニトラが首を掴んでいる手下のアニマが急激に吸い取られ、瞬く間にミイラ化していく。
「結末は変わらんよ。ククク……私の糧となること、光栄に思いたまえ」
「――ジル・ニトラぁああぁあああ!!」
ハルバードにアニマを込め、縮地で距離を詰める。
周囲の風景が一瞬で流れていく。
今度こそ――息の根を止める。
俺は激情に突き動かされるままに、ジル・ニトラへと向かってハルバードを振り下ろした。