第百九十話「元凶」
「……俺がトドメを刺して良いのか?」
『もちろんよ。アタシがやってもつまらないじゃない。それとも……怖気づいた?』
「いや」
俺はヴィネラの言葉を受けて、周囲を見回した。
そして離れた場所に落ちていたハルバードを見つけ、風魔法で手元に引き寄せて掴み取る。
「やらせてもらおうか」
『あら、素手じゃないの?』
「素手だと気持ち悪いからな。ちゃんとした得物で仕留めたい。それに……」
ジル・ニトラはヴィネラにギリギリまでアニマを吸い取られたのだろう。
顔面は蒼白で唇はヒビ割れ、目は虚ろで生気が希薄だ。
何もしなくても死にそうなほどに弱って見える。
「……今のコイツだったら、普通に刻めば死にそうだしな」
『フフフ、わざわざ刻まなくても、心臓を一突きすれば死ぬわよ。それぐらいのアニマしか残してないもの』
ヴィネラはジル・ニトラの首に両手を回し、背後から抱き締めるようにしながら言った。
『アナタの長い長い人生……いえ、竜生もこれで終わりね。今、どんな気持ち?』
「…………あぁ、そうだな」
ジル・ニトラはヴィネラに寄り掛かるよう後ろに倒れ、空を見上げながら答えた。
「驚いているよ。キミのことは出会った時から只者ではないと思っていたが……まさか、私を終わらせるほどの存在だとは思わなかった」
『あら、アナタを終わらせるのはアタシじゃなくて、アナタの大好きな人間よ?』
ヴィネラがそう言うとジル・ニトラは一度俺に視線を向け、静かに目をつぶってから首を振った。
「いや……人間では私を終わらせることはできなかった。私を終わらせるのはあくまでキミだよ、ヴィネラ」
『ふうん、そう? まあどちらでも良いけれど、それなら最後に恨み言ぐらいは聞いてあげようかしら。何かある?』
「…………ふむ」
ヴィネラの言葉にジル・ニトラは思案気な顔でしばらく沈黙したあと、答えた。
「そうだな……恨み言とは少し違うが、私はキミが羨ましかったよ」
『羨ましい? 何が?』
「何もかも、さ。私が苦手とする霊体魔術に長け、制約やしがらみもなく自由に世界を見れて、なおかつ特別な存在さえいる……」
『特別な存在? なんのことかは知らないけれど、まあ仮にそうだとして……アナタ、そんなものが欲しかったの?』
ヴィネラが訝しげな表情で言うと、ジル・ニトラは小さく笑った。
「いや、欲しくはなかったよ。私は『個』として完成しているからね。自分以外の特別な存在など邪魔でしかない」
『何それ、いらないけれど羨ましいって、矛盾してない?』
「そんなことはないさ。自分には必要なくとも、他人が持っていたら欲しくなるモノだってあるだろう? つまり、単に私が強欲なだけだよ。まあ……人間ほどじゃないがね」
ジル・ニトラはそう言いながらこちらに視線を向けた。
……口を挟むなら今がチャンスだな。
「おい、もうそろそろ終わりにしても良いか? 待ちくたびれたんだが」
『そうね、良いわよ。ああ、でもその前にアレを片付けたほうが良いんじゃないかしら』
「アレ? ……うお、マジか」
ヴィネラの言葉に背後を振り向くと、少し離れた場所で黒い闇の塊みたいなモノがのそりのそりと、ゆっくりこちらに近づいてくるのが見えた。
なんだアレ。全然気がつかなかったぞ。
俺は慌てて風魔法で突風を発生させ、黒い闇の塊みたいなモノにぶつけた。
すると闇の塊は巨大な黒い鳥に姿を変え、その中からアイリスが姿を現した。
「あいつらか……」
予想はしていたが、やっぱり戻ってきてたか。
嘆息しながら巨大な黒い鳥に光魔法でビームを放つ。
今回はそこまで距離が開いてなかったせいか、黒い鳥はビームを避けることもできずあっさりとその体を貫かれ、变化前であろう老人の姿に戻った。
やはり宝玉の大爆発を受け消耗していたのか、老人はそのまま倒れ込んで動かなくなった。
ここからじゃ判断はつかないが……もしかすると、死んだ可能性もある。
そうなると、俺は初めて人を殺してしまったのだろうか?
あのギルド長、メッチャ变化とかしてたから全然人間っぽくなかったけど。
そんなことを考えている間にもアイリスはこちらに向かって走り続けていた。
……今はとにかく目の前のことに対処しよう。
そう決めた俺はアイリスに向かって風魔法で突風を放った。
さすがにアイリス相手にビームを撃つのは気が引ける。
するとアイリスは突風に自分の魔術で作った突風をぶつけて相殺した。
どうやら手加減しすぎたようだ。
仕方ない。こうなったら多少のケガをさせてでも……と考えたところで、視界の端に妙なモノが見えた。
それは真正面を走ってくるアイリスとは別の、半透明のアイリスだった。
「あー……なるほど」
さっきの突風で舞った土煙に紛れて自分の分身的なモノを魔術で作って走らせ、自分自身は透明になって別方向から攻めるって戦法か。
危うく騙されるところだった。
というか、普通の人間だったら騙されていただろう。
しかし俺は生憎と、ベニタマのおかげで普通の人間じゃない。
「俺に幻術のたぐいは効かねえ!」
左斜め方向に向かって風魔法で強い突風を放つ。
次の瞬間、半透明のアイリスは突風に直撃し――まるで風に溶け込むかのように、ふっと宙に消えた。
「あ……?」
あいつ、どこに消えたんだ?
そう思った直後、視界が深い霧に覆われた。
「うおっ……!?」
霧に紛れて、迸る電撃が俺の顔面にぶち当たってくる。
硬化のアニマを通り抜けてメッチャ痛い。
だが即座に治癒魔法を発動させたおかげか、もともとの威力がそこまでじゃないからか、意識を失うようなことはなかった。
すぐに風魔法で周囲の霧を散らしていく。
視界が開けてから辺りを見回すと、アイリスは俺の背後で倒れているジル・ニトラの側に寄り添っていた。
この時点で俺はハッと気がついた。
アイリスは俺の記憶を全部読んで、俺に幻術のたぐいが効かないことを知っている。
それを逆手に取り、まるで自分が幻術で姿を隠しているような分身をワザと見せて気を引いたのだ。
そして俺がその分身を相手にしている間に変わらず真正面を走っていた本人が霧を発生させ、ここを通り抜けた。
完全にしてやられたというわけだ。
「おいアイリス! そいつは……」
「お母様! お母様ぁ!」
アイリスがジル・ニトラにすがりついて泣き叫ぶのを聞いて、俺は驚愕した。
お母様……だと?
おかしい。ジル・ニトラにアイリスのことを聞いた時、確かヤツは……。
「……いや」
今はそんなことを追求している場合じゃない。
ヴィネラがいる以上、アイリスやジル・ニトラがここから何かできるとは思えないが……嫌な予感がする。
「おいアイリス、そこをどけ」
「やめてイグナート……自分が何をしているのか、わかっているの!?」
アイリスはジル・ニトラに背を向け、こちらに向き直った。
その手からはジル・ニトラに向けて治癒魔術らしき仄かな光が降り注いでいる。
しかしヴィネラが何かしらの妨害をしているのだろうか。
ジル・ニトラの顔色は一向に良くならない。
「もう一度言うぞアイリス。そこをどけ。俺は……そいつにトドメを刺さなきゃならねえ」
「嫌よ……お母様を殺すなら、私も殺して!」
「…………そうか」
アイリスの目は揺るぎなく、まっすぐに俺を見つめていた。
どうやら覚悟はできているようだ。
だとしたら、俺に躊躇う理由はない。
一刻も早くすべての元凶にトドメを刺す。
俺は右手のハルバードを強く握り締め、大きく後ろに振りかぶった。
「最後にもう一度だけ言うぞ。そこをどけ」
「嫌よ!」
「……わかった」
返事をして、大きく息を吸いハルバードを投擲する。
アイリスは目を見開き両手を前に突き出したが、もう遅い。
人外並みの豪腕から放たれた投擲は数メートルの距離を一瞬でゼロにした。
そしてハルバードはアイリスの腹部を貫き――そのまま、ヴィネラに寄り掛かっていたジル・ニトラの胸に突き刺さった。