第百八十七話「犠牲」
正直な話、予想はしていた。
なにせ大量の魔石と俺のアニマをこれでもかというぐらいに吸収した宝玉だ。
壊せば大爆発ぐらいしてもおかしくはない。
だからこそ事前に硬化のアニマで、できる限りの防御は固めていた。
――にも関わらず、俺の意識は大爆発と共にブラックアウトした。
実際に起きた宝玉の大爆発は、俺の予想を遥かに超える規模と威力だったのだ。
そして気がつけば、俺は空を真っ逆さまに落ちている最中だった。
不幸中の幸いと言うべきか、どうやら意識を失っていたのはそう長い時間ではなかったらしい。
下に見える街並みとの距離からして、地面に衝突するにはまだまだ余裕がありそうだ。
俺はホッと息をつきながら、もはや手足を扱うまでに慣れた風魔法を使って宙に浮き留まった。
思い切り力を入れていたせいか、右手にはしっかりとハルバードを握り締めている。
意識は一瞬飛んだが、体力、気力、アニマ、いずれも消耗は軽微だ。
ジル・ニトラの生死を確認して、もし生き残っているようならトドメを刺さなくてはならない。
そこまで思い立って、ふと他の連中はどうしたのかと周囲を見渡した。
「……っ!」
そこそこ離れた場所で地面へ向けて落下中の魔王ゼタルを見つけた。
慌てて近くまで飛び回収する。乱暴に手で掴んでも何も言わないどころか、ぐったりしている。
当たり前かもしれないが、突然の大爆発はジル・ニトラだけじゃなくゼタルにも効いたらしい。
脈はある。死んではいないようだが、どうやら意識を失っているようだ。
ゼタルがこれなら、あいつは……と、再び周囲を見回したところでディナスを見つけた。
こちらもやや離れたところで落下中だったので、近くまで飛んで回収。
案の定、ゼタルと同じくディナスも意識を失っているようだった。
「おいおまえら、起きろ!」
ふたり同時に治癒魔法を掛けながら揺さぶるが、まったく起きない。
さてどうしたものかと思案していると、視界の端に巨大な飛行物体が見えた。
「……やっぱり完全には壊れなかったのか」
頭上高くに浮かぶ巨大な飛行物体。それは半壊した帝国城だった。
あれだけの大爆発で半分ほどとはいえ壊れず残っているのだから、全体的に相当頑丈なのだろう。
そしてゼタルとディナスを無事回収したからには、向かうべきはあの帝国城だ。
ふたりの意識はまだ戻らないが、もしジル・ニトラが生き残っているならばモタモタしてはいられない。
ヤツはゼタルやディナス、バルドや俺を同時に相手できるようなバケモノだ。
時間を与えれば与えるだけこちらが不利になると考えたほうがいい。
「ん? ……あれは」
俺が飛んでいる場所とは反対側の空から、帝国城に近づく小さな影が見えた。
よく目を凝らすと、それは巨大な黒い鳥だった。
両足の鉤爪には意識を失っている様子のアイリスを掴んでいることから、おそらくはあの場にいた魔術師ギルドの長だという老人、ウィズダムが变化した姿だと思われる。
アイリスを掴んで飛んでいるせいか、帝国城に向かう速度は遅い。
仮面の変態皇太子、ルウェリン・ザ・ラストから得た光魔法を使えば、この距離でもまず間違いなく撃ち落とせるだろう。
「…………」
ハルバードを背中の留め具に挿し、右手で黒鳥に狙いを定めながら葛藤する。
ヤツらはジル・ニトラの手下だ。
本来ならば、ここは最低でも再起不能になるぐらいの出力で光魔法を撃つべきなのは間違いない。
しかし……いざ撃とうと狙いを定めていると、アイリスとの学園生活が脳裏に浮かび上がってくる。
「むしろ嫌いだったはずなんだけどな……」
いくら嫌いな相手でも、好意を持って絡まれているうちに情が移ってしまったのだろうか。
そんなことを考えながらルウェリン・ザ・ラストが使っていた目にも留まらぬ光線を、黒鳥の羽に向けて放つ。
……遠距離だからか狙いが大きく外れた。
だがよくよく考えたら何も光線にこだわる必要はない。
狙いが外れた光線のアニマをそのまま無数の光球に変え、黒鳥の両羽に無数の穴を空けまくる。
結構な遠距離で光球を操っているせいか凄まじい量のアニマを消費している感覚はあるが、大丈夫だ。
俺のアニマはまったく枯れる気配がない。
最初は両羽に穴を空けられてもその都度それを再生していた黒鳥だが、途中から再生しなくなり、そのまま地面へ向けて落下し始めた。
魔術師ギルドの長だという割には随分と呆気ない。
おそらくヤツもあの大爆発で少なからずダメージを受けていたのだろう。
でなければ凄まじく重要なこの局面で、俺という敵にジル・ニトラへ近づく時間を与えはしないはずだ。
「…………ハァ」
帝国城に向かって飛びながら、落下していく黒鳥を見てため息をつく。
多分、この程度じゃウィズダムも、アイリスも死なないだろう。
下手すれば、しばらくしてまた敵として戻ってくる可能性すらある。
我ながら甘いことをしているとは思うが、仕方がない。
こうなれば自分ができることを全力でやるだけだ。
俺は覚悟を決めつつ、全速力で半壊した帝国城へと近づいていった。
○
半壊した帝国城。
無数の瓦礫が散らばったその上に、ジル・ニトラは一糸纏わぬ姿で立っていた。
しかしその体はおおよそ半分ほどが銀色の鱗に覆われており、ひと目で人外だとわかる容貌になっている。
「おや……イグナートか。キミは本当に頑丈だね」
ジル・ニトラはどこか気怠そうに俺を見て言った。
その手は黒紫のローブを着た女性らしき人物の頭を掴み、持ち上げている。
「私は今やっと、肉体の復元が終わったところだよ。だがまだ栄養不足でね。悪いが、食事が終わるまでお持て成しは待ってくれないかな」
ヤツがそう言ったと同時に、頭を掴まれた女性のアニマが急速にジル・ニトラへと吸収されていく。
そしてあっという間にアニマを吸いつくされ、ミイラとなった女性が地面に打ち捨てられる。
「フゥ……ダメだな、足りない。まったく足りないよ、イグナート。焼け石に水だ」
「おまえ、自分の仲間を……」
いや、コイツは自分の仲間だろうが配下だろうが、いざとなれば食糧にするぐらいのことはするだろう。
問題はそこじゃない。
「おまえ……人間には危害を加えられないんじゃなかったのか?」
「人間? ああ……これのことか」
ジル・ニトラは足元に転がったミイラの女性を足蹴にしながら言った。
「これは私がエルフをベースに各種の亜人を組み合わせて作ったキメラ……いわば実験動物だよ。人間じゃない」
「……そうかよ」
よく見れば、ジル・ニトラの足元には他にも何人か黒紫のローブを着たミイラが転がっていた。
帝国城の下部で生き残っていた自分の配下である連中を捕まえ、人間ではないのを良いことにそのアニマを『食った』のだろう。
ヤツが自分で作った生命体とはいえ、その行為は吐き気がするほどおぞましい。
俺は改めてヤツがバケモノだということを再認識した。
「やっぱりおまえには……全人類の命は預けられねえな!」
「こらこら、待ちたまえイグナート」
話の途中で背中から引き抜いたハルバードをジル・ニトラの首を狙って振り抜く。
だがヤツはそれを予知してたかのように後ろに下がって避けた。
「まだ私の食事は終わっていない。今、城の各所に詰めさせていた配下たちを呼んでいるところだ。まあ、彼女らのアニマをすべて吸収してもたかが知れているが……多少はキミを楽しませられるはずだからね」
「楽しませてもらわなくて結構だ!」
左手にゼタルとディナスを掴んだまま、右手のハルバードを連続で振るい続ける。
ジル・ニトラはそれを軽々と避けていく。
決して万全ではないどころか、むしろ極限にまで弱っているはずのヤツに本気の攻撃が容易く避けられる。
それは俺にとって悪夢のような光景だった。
「フフ……そうつれないことを言うな、イグナート。私は随分と楽しませてもらったぞ? まさかキミが、あの獣人を犠牲にしてまで……宝玉を壊しにくるとはね」
「……っ!」
ヤツの言葉に一瞬動きが止まりかけるも、そのままハルバードを振るい攻撃を続ける。
「クックック……ついさっきまでその命を救おうとしていた少女を、自分の手で殺した気分はどうかな?」
「っティタは! ティタはまだ死んだと決まったわけじゃない!」
思わず反論する。
ティタを囲んだ土魔法製のドームには俺ができる限りの、ありったけのアニマを込めた。
俺自身がほぼ無傷で生きているのだ。ティタが生きている可能性は十分にある。
「いいや、死んだよ。私は見たんだ。彼女が消滅する、その瞬間をね」
ジル・ニトラはハルバードを躱しながらニヤニヤと笑った。
「いやはや、キミは立派だよイグナート。大局を見て、必要とあれば非情になれる人間は優秀だ。ただ優しいだけじゃ事は成せない。英雄とは斯くあるべしという、まさに見本のような判断だった。恐れ入ったよ」
「――黙れ」
「それとも……まさか、宝玉を破壊した結果、ここまで大規模な爆発になるとは思っていなかった、とでも言うのかな? クハハ! だとしたら傑作だ! 道化ここに極まり、どちらにせよキミは最高だよ!」
「――――黙れ!!」
ハルバードの切っ先がヤツの腕を掠り、銀色の鱗を突き破って傷をつけた。
それを見てジル・ニトラはキョトンとした顔をして言った。
「おっと……少し遊びすぎたかな?」
「いいや、違う」
全身に巡らせるアニマの出力を過去最高まで上げていく。
体の動きを阻害しないギリギリまで筋力を増強し、無茶な強化で壊れた部分は治癒魔法で回復させる。
「ここまでやるのは久し振りすぎて、感覚がどうも掴みにくくてな。時間は掛かったが……準備はできたぜ」
体は熱く、力は漲る。
「――限界突破」
「おお……それか! 確かにキミのそれを見るのは久し振りだ! フフ! これは私も危ういかもしれんな!」
「危ういかも、じゃねえ……もう終わりなんだよ!!」
俺はハルバードを構え、全力でジル・ニトラに踏み込んでいった。