第百八十四話「茶番」
「城が空を……飛んでる?」
下から全身を持ち上げるように強風が吹きすさぶ。
俺の体格だと微動だにしないが、もし普通の人間が丈夫な傘を持っていたら飛んでいってしまうのではないだろうか。
そう思うぐらいの風が上へ上へと、城を押し上げるように吹き荒れていた。
「フフフ、本来ならばキミが宝玉を取ったと同時に浮かび上がる仕組みだったのだが……あの時は思いもよらぬ方法でキミが止めたからね。勘で動かしてみたが、上手くいったようだ」
まるでちょっとしたイタズラが成功したかのように笑うジル・ニトラ。
……宝玉を取った時の地震は城が浮かび上がる前兆だったのか。
「まったく、キミは本当に私を楽しませてくれる。しかし……まだまだ爪が甘いな。さっきもあと少しで何も知らずに宝玉を渡してしまうところだったじゃないか。フフ、精進したまえ」
「……どういうつもりだ?」
俺は肩をすくめて話すジル・ニトラを睨みつけながら言った。
「なんでわざわざそんなことを俺に話す。黙ってれば……いや、おまえがワザとしつこく笑わなければ、そもそも俺は宝玉を渡していた」
「楽しませてくれたから、と言っただろう? それにワザと笑っていたわけじゃないさ。笑いを堪えられなくて、ついつい笑ってしまったのだよ」
「……そうかよ」
城の端で下から吹きすさぶ強風に煽られながら、ジル・ニトラに意識を集中する。
ジル・ニトラが本性を現した今となっては、宝玉を渡すという選択肢は取れない。
ただ単に魂だけになるだけなら、認識はあくまでこの世界に生きているままで変わらないのなら、百歩譲って納得できた。
しかし、その結末がジル・ニトラの腹の中で飼われる未来だというのなら、納得はできない。
「親切に教えてくれてありがとよ」
「おっと、私の虚を突いてそこから飛び降りるつもりかな? それはやめておいたほうが良い」
「…………なんでだ?」
考えていたことを見透かされ内心ギョッしながら、態度は平然を装い質問する。
「簡単なことだよ。せっかくこれから新しい世界の幕開けが始まるというのに、この場に居なくては勿体ないじゃないか」
「それは……俺が宝玉を渡さなかったらそもそも始まらないだろ」
ヤツが他人に向けても転移魔法を使えるのは知っているが、あれは発動するまでに多少のタイムラグがある。
あらかじめ意識しておけば避けられない速度ではない。
「クックック……キミは本当に迂闊だな」
ジル・ニトラはそう言うと右手を振るい、宙に黒い穴を出現させた。
それからその黒い穴に手を入れ、中から琥珀色の宝玉を取り出した。
「なっ……おまえ、それ!?」
「キミの無限袋を作ったのは私だぞ? それに繋がっている異空間ぐらい開けるに決まっているだろう。渡すも渡さないも、無限袋に入れた時点で宝玉はすでに私の手の内にあったのだよ。いやはや、まさか本当に気がついていなかったとは……ククク、実に良い茶番だったぞイグナート!」
「くっ……!」
こうなると、もしここで逃げたとしても意味がない。
俺は即座に覚悟を決め、手で抱えていたティタを床に寝かせた。
そして全力のアニマで土魔法を使い、即席のドーム型シェルターを作ってその中に閉じ込める。
ジル・ニトラ相手では心もとないシェルターだが、この中にいればある程度のとばっちりは防げるはずだ。
「ほう……やる気になったのかな?」
「おかげさまでな」
「なるほど、であればぜひとも相手をしたいところではあるが……残念ながらまだ完全には準備が整っていなくてね。少しの間だけ待ってもらえるともっと楽しめるのだが」
「そうか、わかった……って言うわけねえだろ!」
背中のハルバードを抜きながらジル・ニトラへ向かって突進する。
「ふむ……ではこう言えば良かったかな。『しばし待て』、と」
「っが!?」
ジル・ニトラが手のひらを前に突き出した瞬間、硬い『何か』に顔面を強打した。
慌てて飛び退き前を見ると、そこには青白く透明な光が現れていた。
「これは……魔法障壁か!」
「そうとも。自衛の手段さ。私は制約の関係上、直接人間を害することはできないからね。とはいえ、抜け道はいくらでもあるのだが……フフ、キミを相手にそんな勿体ないことはしたくないのだよ。だからそこで少し待っていてくれたまえ」
「よくわからないが、随分と買い被ってくれるんだな」
そう言いながらぐるりと周囲を見回し、魔法障壁の範囲を確認する。
どうやら魔法障壁はジル・ニトラではなく、俺を内側に入れた状態で大きな正方形になっているようだ。
「ああ、私はキミを高く評価しているよ。ククク……そこらの道化師よりも、よほど上質な喜劇を見せてくれるからね」
「はは……楽しんでもらえてるようで何よりだぜ。っていうかおまえその宝玉よく持てるな? しかも片手で」
軽口を叩いて時間を稼ぎながら、ハルバードを背中に隠し全力でアニマを込めていく。
「フフ、こう見えても昔は肉体派だったのだよ。人の姿になっていようが、これぐらいの物は持てるさ」
「だったら自分で取りに行ってくれたら良かったんだけどな」
「私は地下迷宮に立ち入ることができないと言っただろう?」
「ああ、そういやそうか。なんで立ち入れなくなったんだ?」
ハルバードに込めたアニマを圧縮して、研ぎ澄ませていく。
「当時は私もまだ帝国内での立場を確立していなくてね。地下迷宮を私物化していたところ、帝国文官たちから吊し上げを食らったのさ。その結果、帝国から追い出されることこそなかったものの、アルカディウスに新たな制約を課せられることになった……というわけだ」
「へぇ……いったい何をやらかしたんだ?」
「大したことじゃないさ。強いて言うなら実験かな」
ジル・ニトラはそう言ってニッコリと笑った。
一点の曇もないその笑顔に実験の『内容』を想像し、気分が悪くなる。
「……なるほど、それはさぞおぞましい実験だったんだろうな」
「おや、何やら誤解があるようだが……と、ああ、私のことは気にせず、好きなタイミングでやってくれたまえ」
「…………何をだ?」
「とぼけなくて良い。背中のハルバードのことだよ」
「……………………」
どうやらこちらがやろうとしていることはお見通しのようだ。
「……それじゃ、お言葉に甘えて」
「ああ、良いぞ。お手並拝見といこう」
「――はあああ!!」
背中に回していたハルバードを両手に握り、全力で魔法障壁へ振り下ろす。
直後、凄まじく硬い手応えと共にガラスが割れるような音がして、魔法障壁は砕け散った。
「おお……私の魔法障壁を砕くとは、まるでディナス並じゃないか! 素晴らしい!」
「…………おい」
砕け散った魔法障壁。
俺はその先にある、『正方形の魔法障壁』を見ながら言った。
「なんか……魔法障壁を砕いたら、その先に一瞬で魔法障壁の小部屋が出来上がったんだが」
「フフ、今そこから出てこられても大して楽しませられないからね。その前にやることがある」
そう言いながらジル・ニトラは右手に持った宝玉に艶めかしい表情でキスをした。
そして人の頭並に大きいそれを、大きく口を開いて飲み込んだ。