第百八十二話「決断」
「幽星界……ってなんだ?」
最近ちょくちょく聞く単語だ。
今まで使われてた状況からしてなんとなく内容も想像はできるが、一応聞いておく。
「幽星界は私たちの認識する物理界と重なり合って存在する、アニマと魂で構成された世界よ」
「前に俺が入った精神世界ってのとは違うのか?」
「似てるけど、アレは幽星界の中に作った私の概念世界だから厳密には違うわ」
そう言いながらアイリスが右手を振るうと、空中に光で出来た小さなブロック郡が浮かび上がった。
これは街の模型……だろうか。細部は作り込まれていないが、造形からしてなんとなく街だとわかる。
「さっきまでしてた話の続きだけど、集めた膨大なアニマを使って安全な場所にこの世界の複製……正確には、ある術式を組み込んだ世界の大雑把な土台を作るの」
アイリスが左手を振るう。
すると今度は空中に光で出来た小さな人型が無数に現れた。
「なんだこれ?」
「この人型がこの世界の人間だと思って。そしてさっき作った土台に人々の魂を乗せると……」
アイリスが両手を振るうと、光で出来た小さな人型が移動し、光のブロック郡に乗せられ始める。
直後、まるで早送りで工事現場を見ているかのように次々とブロックの細部が形作られ、みるみるうちに精密な街が出来上がっていく。
「土台に組み込まれた術式が作動して、人々の魂と記憶から世界が形作られる。正確には、その土台を人々が元いた自分たちの世界だと認識するようになる」
「あー……色々と言いたいことはあるが……それ、人間は皆、魂だけになってるんだよな?」
「そうよ」
「じゃあダメだろ。死んでるじゃんか」
死後の世界で救われるとか究極的すぎる。
「死んではいないわ。アナタにわかりやすい言葉で例えるなら、単に高次元の情報生命体になるだけよ」
「それが死んでるんだって。肉体を失って人間として生きられなくなるんだろ?」
肉体を失って生きてたらそれは人間じゃない。
元人間の何かだ。
「いいえ、大抵の人間は幽星界に出来た新天地でも肉体を失わず、人間として生きるわ」
「肉体を失わない? いや、今さっき魂だけの存在になるって言っただろ? 矛盾してないか?」
「そうね。でもこうも言ったでしょう? 『人々の魂と記憶から世界が形作られる』……と」
アイリスがそう言いながら指を鳴らすと、光で出来た街と人々がまるで蜃気楼のように揺らめき始めた。
そして光の街と人々が徐々に色づき、色鮮やかに変化していく。
「人は皆、自分が認識する世界を真実として生きているわ。つまり実体がどうであれ、当人が肉体を失っていないと認識していれば、それは失っていないのよ」
気がつけば光で出来ていた街と人々は、まるで実物をそのまま動画で撮ってこの場に映しているかのように、精密な造形へと変化していた。
「人はそう簡単に既存の概念からは逃れられない。だからある程度の土台を用意し、認識を少し弄るだけであとは勝手に自ら『型』に嵌まる。そして人々の集合無意識、全人類の総意が『この世界の複製』を作り上げるのよ」
「認識を弄るって……それ、騙してるのと同じだろ」
「そうね。でも黒き星から逃れるにはこの方法しかないのよ。……それに」
アイリスは憂いを帯びた表情で呟いた。
「幽星界でなら……ハンナも、以前と同じように……」
「…………」
以前、アイリスは自分が原因で植物状態になってしまったハンナを『なんとかしてみせる』と言っていた。
詳しいことはわからないが、この口ぶりからしてさっきアイリスが言っていた壮大な計画が実行されれば、ハンナの目を覚ますことができるのかもしれない。
……だがそれは肉体を失い、幽星界とやらで魂だけの存在になったあとの話だ。
「俺にはそこらへんの話はよくわからないが……本当に、他に方法はないのか?」
「ないわ」
「即答か。でもよ、まだ黒き星が降ってくるのにはかなり猶予が……」
「この時期じゃないとこれだけ大規模な術式は発動できない」
アイリスが再び指を鳴らすと、宙に浮かんでいた街の風景が一瞬にして霧散した。
「千年、二千年先じゃもう遅いの。今しかないのよ」
「そうは言ってもな……」
「それともアナタは自分さえ良ければ、未来の人類なんてどうでも良いってこと?」
「そういうわけじゃない」
そもそもからして、アイリスが話す内容自体に疑いを持っているのだ。
アイリスは嘘が下手だから、おそらく話していること自体は本当なのだろう。
アイリス自身が魔術的なことに関して、凄まじい練度と知識があることも俺は知っている。
きっと『この世界の複製を安全な場所に作る』なんて荒唐無稽な話も嘘ではないのだ。
……しかし、そこにジル・ニトラの『罠』がないとは限らない。
「面倒だから単刀直入に言うぞ。俺は、おまえがジル・ニトラに騙されていると思ってる」
「……アナタ、人類の守護竜であり、導き手である御方を侮辱するつもり?」
アイリスの髪がブワッと宙に広がり、彼女を覆うアニマが燃え盛る炎のように立ち上る。
すると次の瞬間、アイリスの肩に乗っていた黒い鳥がしゃがれた老人の声で喋った。
『待て、ここは儂が話そう』
黒い鳥はアイリスの肩から俺の前に降り立つと、瞬時にして魔術師然とした格好の老人へと变化した。
「あんた……誰だ?」
「儂は魔術師ギルドの長だ」
灰色の髪に同色の豊かなヒゲを蓄えた老人はそう言いながら、俺が抱えるティタに視線を向けた。
そして眉間にシワを寄せ、厳しい表情で腰を深く曲げお辞儀した。
「その子がこのような目に遭ったのは、儂がジル・ニトラ様の動きを把握できていなかったことが原因だ。今回の計画の責任者として謝罪させていただく。申し訳ない」
「あんたが計画の責任者……?」
俺は玉座に座るジル・ニトラを見ながら言った。
「責任者はあいつじゃないのか?」
「助言は受けている。しかしあの御方が計画を主導しているわけではない。人間の問題は、人間が解決せねば」
老人はそう言うと、ため息をつくように小さな声で呟いた。
「……それに、ジル・ニトラ様は稚気に富む御方だ。計画を主導させたならば、どのような爆弾を仕込まれるかわからん」
「フフ……ウィズダム、聞こえているぞ?」
「これは失敬。さすがはジル・ニトラ様、耳が良い」
ウィズダムと呼ばれた老人は玉座を振り返らず言うと、俺の目を見ながら話を続けた。
「おぬしがジル・ニトラ様を疑う気持ちは理解できる。あの御方の本質は『守護者』ではなく、『神』だ。それも人間を振り回し翻弄するたぐいの、気まぐれで残酷な、人知を超えた存在としてのな」
「そこまでわかってるなら、なんであんなヤツを計画に関わらせてるんだよ」
あんなの人類の存亡に絶対関わらせちゃいけないタイプだろ。
「他に手がないからだ」
「……本当か?」
「ありとあらゆる手段を模索したが……本当だ。アイリスが言っていた『今この時期でないと手遅れになる』という話も間違いない。黒き星から人類を救うには今、我らが動かねばならんのだ」
老人は静かに目をつぶり、確固たる意思を感じさせる強い口調で言った。
「そのためには……たとえ形を変えようとも、人類は生き残らねばならん。前に進まねばならん。死ねば……そこで終わりなのだから」
「…………」
老人の言葉を黙って聞きながら考えていると、玉座に座るジル・ニトラがおもむろに口を開いた。
「イグナート、ウィズダムとアイリスの言っていることは本当だよ。全人類が助かるには今、この方法しかない。一部の人間だけであれば肉体を保ったまま他の世界に逃がすこともできなくはないが……それだと私としてはあまり面白くないから、できれば大多数の人間が生き残ってほしい。肉体を捨ててでもね」
「生き残ってほしい、か……」
もしジル・ニトラの言葉が本当ならば。
他に人類が生き残る道はないのならば。
俺は……ジル・ニトラに宝玉を渡すべきなのだろう。
「ジル・ニトラ」
「何かな?」
「その言葉が本当だって証明できるか?」
ジル・ニトラは俺の言葉に目を丸くしたあと、クツクツと笑いながら言った。
「証明とは、随分と無茶なことを言う。そんなことは無理だよ。しかし、そこまで言うのならば私は、私自身の魂に誓おう。先ほどの言葉に嘘偽りはない。無論、解釈の違いや詭弁が入る余地もないとも」
「…………そう、か」
俺はジル・ニトラの言葉を熟考したあと、ゆっくりと懐にある無限袋に手を伸ばした。