第百八十一話「人類の救済」
「……うん。ジル・ニトラの言ったことは嘘じゃないみたいだ。魂が通常時より半分……をやや上回るぐらい、損傷してる。魂が抜け始めた時にキミがすぐ強固なアニマで彼女を囲んだから、損傷はしててもまだ肉体に定着はしているみたいだけど……このままだと目を覚まさないどころか、そのうち遠からず肉体の生命活動すら維持できなくなると思う。数日間ぐらいは大丈夫だと思うけど」
「…………そうか」
半ばわかっていたことではあったが、そこは本当だったか。
これだけはジル・ニトラの嘘であってほしかったが……そう甘くはないようだ。
「ルカの初代スヴァローグの力でティタを治せないか? 俺のアニマならいくらでも使って良いんだが」
「……ごめん、これはボクの力じゃ治せない」
ルカは申し訳なさそうな顔をして謝った。
「ボクが全盛期時代に例の宝玉を作った時、『意図せず重くなった』っていう話はしたよね。どれだけスヴァローグの力自体が凄まじくて、理論上ではそれこそ全知全能に近い振る舞いができるとしても……その力を宿した人間自体が全知全能になるわけじゃないんだ。力を使うのに習熟は必要だし、習熟して力を使っても意図した結果にならないことだってある」
「それは、つまり……」
「うん。そういった意味で、ボクはスヴァローグの力で魂を復元することに慣れてないから……多分、膨大なアニマがあったとしても彼女を元の状態に治すことはできない。全盛期時代は、死んだ直後で魂がまるまる残っている人とかなら蘇生したりもしたけど、半分以上を『損失』してるってなると……」
「…………」
俺はルカの言葉を頭の中でよく反芻し、飲み込んだ上で質問した。
「……じゃあ、ジル・ニトラがティタを治すことができるってのは、本当か?」
「うーん……正直、今のボクじゃジル・ニトラの心を読むことはできないから、嘘か本当かはわからないんだけど、でも……」
ルカは王座に腰掛け妖艶な笑みを浮かべるジル・ニトラを見ながら、小さく呟いた。
「嘘は……言ってない、かな? ……ごめん、根拠はなくてボクの勘なんだけど」
「いや、それで十分だ。ありがとな」
何もわからないまま判断するよりはよほどマシだ。
これで取るべき選択肢はかなり限られる。
俺は再度ジル・ニトラに向き直って言った。
「待たせたな。最後にひとつ、聞きたいことがある」
「何かな?」
「俺が宝玉を渡したとして、おまえはそれでいったい何をするつもりなんだ?」
最低限これだけは聞いておかなければならない。
もし宝玉を渡したところで『ティタは助けるが、世界は滅亡する』なんて話だったら目も当てられない。
最悪、ジル・ニトラの答え次第では無理を承知でヴィネラと交渉をして、ティタを助けてもらう必要がある。
……おそらく無理だろうし、奇跡的に交渉が成功したとしてもヴィネラの場合、前例からして手痛い代償を払うことになるだろうが。
「フフ……そうだな、もうそろそろ事の全貌を聞かせても良い頃合いだろう。だがしかし、ここで私が話してしまうのも面白味がない。ふむ……ちょうど良い、彼女に語らせるとしようか」
ジル・ニトラはそう言って俺の背後に視線をやった。
するとしばらくして、部屋の外から何者かが歩いてくる足音が聞こえてきた。
「この足音、それにこのアニマは……」
「ほう、この距離で個体差が識別できるのか。随分と優秀だね。いや……優秀に育った、と言うべきかな?」
ジル・ニトラは意味深な笑みを浮かべながら呟いた。
それを見てふと、嫌な想像が頭をよぎった。
ヴィネラとジル・ニトラは数十年に一度、お茶を一緒に飲むぐらい仲が良いらしい。
はたしてそれは仲が良いと言えるのかどうかは不明だが、交友があること自体は間違いない。
もしこの二人が秘密裏に手を組んでいるとしたら……俺にはもう為す術がない。
悪い方向に思考がぐるぐると回る。
それを止めるため、深呼吸して自分の判断を振り返る。
……今まで二人の様子を見ていた限り、手を組んでいるようには思えなかった。
それにヤツらは共に絶対的な強者だ。
わざわざ俺を騙すためだけに小芝居を打ってまで、裏でつるむようなことをするとは考えにくい。
ジル・ニトラはともかくとして、ヴィネラは間違いなくそんな面倒なことはしないだろう。
ヴィネラの協力ありきで成立する例の『計画』は一種の賭けではある。
だが決して分の悪い賭けではない……はずだ。
そんなことを考えているうちに足音は王座の間へとたどり着き、巨大な扉がゆっくりと開き始めた。
そして現れたのは淡い銀髪に、強気で自尊心が高そうな笑みが特徴的な少女。
「アイリス……」
「準備が整いました」
アイリスは王座の間に入るなり、ジル・ニトラを見ながら声を上げた。
俺のほうには一切視線を向けず完全に無視している。
「すべては手筈通りです」
「ご苦労、アイリス。フフ……友人が戸惑っているぞ? 構ってあげたらどうかね」
「……はい」
いつもとは違い、肩に黒いカラスのような鳥を乗せたアイリスはどこか緊張した面持ちで言った。
「ミコト……いえ、イグナート。アナタがここにいるということは、宝玉を無事に回収したということね」
「知ってたのか」
「当然じゃない」
「……そうか」
何が当然なのかは知らないが、何よりもまず先に聞くことがある。
「アイリス。おまえは地下迷宮に罠があることを知ってたのか?」
「罠?」
俺は訝しげな表情で首を傾げるアイリスに地下迷宮での出来事や、それによってティタが意識不明の重体になったことを説明した。
「そう……なの」
「どうやらおまえは知らなかったみたいだな」
少しホッとすると同時に、改めてジル・ニトラへ不信感を抱く。
やはり例の罠はヤツの独断専行で間違いない。
「……私が知らなかったということは、私は知る必要がなかったということよ」
「そうか。じゃあ地下迷宮から回収した宝玉で何をするかも知らないか?」
「それは……」
アイリスは視線を王座にいるジル・ニトラへと向けた。
するとそれに応えるよう、ジル・ニトラがアイリスに指示をする。
「話したまえ。彼には随分と協力してもらったからね。知る権利があるだろう」
「……わかりました」
アイリスはいつもと違い礼儀正しく返答すると、俺に向き直って話し始めた。
「回収した宝玉で何をするかは、前にも言った通りよ」
「前にも言った通りって、世界を救うため……ってヤツか?」
「いえ、世界は救えないわ。黒き星が訪れる世界は必ず滅びる。救うのは人類よ」
「俺には違いがよくわからないんだが、つまり具体的にどうなるんだ?」
世界中のあちこちにある巨大魔法陣で草木や土地、魔物だけでは飽き足らず、無数の魔石や俺からもアニマを集めて、いったい何をしようとしているのか。
「安全な場所にこの世界の複製を作るのよ。そして全人類をそこに移動させる」
「………………は?」
この世界の……複製?
「何?」
「いや、だってそれは……無理だろ」
確かにこの世界ではアニマで物質を作ることができる。
そして大量のアニマを込めて作った物質は消えることもない。
それはこの世界では常識だし、俺自身、土魔法などを使うことがあるのでよくわかる。
だが逆に大量のアニマを込めて作っていない物質は脆く、すぐ壊れるのだ。
体感的にはもし石を一個、本物同様にアニマで作ろうと思ったら、本来その石が宿している何十倍ものアニマが必要になる。
つまり単純に考えた場合、アニマでこの世界をそのまま複製するなら、何十倍もの世界分アニマを集めなければ無理なのだ
俺単体でも凄まじい分のアニマを吸収されたとは思うが、さすがに俺だけでそれだけのアニマを用意できたとは到底思えない。
「もちろん物理界での話じゃないわ。物理界だったらアニマの絶対量が足りないし、足りたとしてもこの世界をまるまる解析して再現するなんて不可能だから。複製する先は……幽星界よ」