第百七十九話「代替」
ただひたすらに無心で全身から膨大なアニマを放出し、その時を待つ。
すると長いとも、短いとも言い難い絶妙なタイミングで巨大魔法陣のアニマ吸収は止まった。
その時点で俺は様子を見ながら少しずつ全力で放出していたアニマを通常に戻し、重ねていた両手をゆっくりと開いた。
「ティタ……おい、ティタ」
手の中で目を閉じ、動かないティタに声をかける。
しかしティタは呼びかけに応じない。
呼吸はしているし、顔色も悪くない。
おそらく治癒魔法が効いたのだろう。
ならばなぜ、目が覚めないのか。
「まさか……」
背筋に冷たいものが走る。
以前、俺が千年荒野でジル・ニトラの魔法陣にアニマ供給をした時。
俺は急激にアニマを供給することにより、魂とやらが損傷して死にかけた。
それと同じことがティタの身に起こっているとしたら。
「クソッタレが……」
俺が魂を損傷して死にかけた時はまずヴィネラが最低限の治療をしてくれた。
しかしそれは特例で次はないと言っていたし、代償として魂の一部と引き換えだったから内臓は治癒魔法でも治らなかった。
そして魔王戦が終わったあと、魂の損傷とやらを代償なく完全に治したのはジル・ニトラなのだ。
つまり順当に考えれば、俺はティタの治療をジル・ニトラに頼むことになる。
……ここまで計算していたのかどうかは知らんが、ジル・ニトラのヤツ……本当に良い性格してやがる。
俺は怒りに拳を握り締めようとして、その手の中にティタが居ることを思い出しハッとした。
今、怒ったところで何の役にも立たない。
とにかく今は迅速にここを出て、ティタの状態を確認すべきだ。
そうだ、ジル・ニトラではなくルカに確認してもらってもいい。
初代スヴァローグの力だったらティタの診察ぐらいできるだろう。
あいつならジル・ニトラよりはよっぽど信頼できる。
そうとなれば行動あるのみ。
俺は周囲を見回して、どこにも出口がないことを確認すると正面の宝玉に向き直った。
やはり俺たちはこの宝玉を取らない限り、ここからは出られないようだ。
だったらさっさと取ってここから出る。
俺は琥珀色の宝玉に手を伸ばし、五本の指先で掴み上げ……すぐ元に戻した。
……重い。凄まじく重い。信じられないぐらいに重い。
一瞬だけは持ち上げられたが、とても持ち運ぶことなんて不可能だ。
この宝玉が重すぎて誰にも持てない、という話は俺をここにおびき寄せるための嘘かと思ったが、どうやらこれに関しては本当らしい。
「どうすんだよこれ……」
このままだとここから出ることすらできない。
地面を転がしていく……のはダメか。
宝玉に傷が付きそうだし、そうでなくとも時間が掛かり過ぎる。
この迷宮外に出たら強度のない地面なんか突き抜けていきそうだし。
なんか良い道具はないだろうか……と、懐に入れてた無限袋を取り出したところで気がついた。
そうだよ、これに入れれば良いんだ。
無限袋に入れた物はどんなに重いものでも、重さを感じず運べる。
それはハルバードを含めた様々な物を無限袋に入れてきた経験から実感済みだ。
「すまんティタ、ちょっと待っててくれ」
ティタを一度近くの地面で寝かせ、左手に無限袋を持つ。
そして無限袋を台座の上で準備してから、右手で宝玉を掴み、そのまま転がすように無限袋の中に入れる。
無限袋の重さは変わらず、異常もない。
どうやら上手くいったようだ。
そう思った瞬間、台座からカチリ、と何かのスイッチが入るような音がした。
「なんだ……?」
音の発生源である台座の上、大理石のような黒石が浅く円状に窪んでいる場所を見る。
するとそこには丸いスイッチのようなものがあった。
十中八九、さっきの音はこれだろうが……なんだこれは?
疑問符で頭の中が一杯になる。
――その直後、地震が起きた。
「うわっ……なんだ!?」
一瞬大きく揺れたあと、どこからともなく地響きが聞こえてくる。
そして先ほどに比べると弱いが、しかし決して小さいとは言えない揺れが断続的に襲ってきた。
ヤバイ。
何が何だかわからないが、これはヤバイ気がする。
そしてどう考えても原因は台座のスイッチだ。
「と……止まってくれ!」
慌てて台座のスイッチをグッと押し直す。
凄まじく重い宝玉が乗っていただけあって、かなり硬いスイッチだったがなんとか押し込めた。
って、何をやってるんだ俺は。
こんなので止まるはずが……え?
「……止まった?」
台座のスイッチを押し込んだと同時に地響きと揺れは徐々に収まり、やがて完全に止まった。
……マジか。
「なんだ、止まるのかよ……」
焦らせやがって。
だったら何も問題は……いや、あるな。
このスイッチが押した状態で維持されていたのは凄まじく重い宝玉が乗っていたからだ。
だが、その宝玉を取らないとおそらくここからは出られない。
これを解決するには代替となる凄まじく重い物が必要だ。
「そんな重い物、あるわけが……ハッ!?」
ある……あるぞ!?
俺は右手の人差し指でスイッチを押さえたまま、左手だけで無限袋を開いた。
それから『ある物』をイメージしながら無限袋の口を台座に向け、アニマを込める。
「おお……これだよこれ!」
無限袋の口からゴロン、と出てきた黒い玉を見て歓喜する。
そうなのだ。ボーリング玉ぐらいの大きさで、凄まじく重い物。
俺はそれを虫型魔物の巣跡地で、暇潰しに作っていたのだ。
あの時は使い道のない物体だと思っていたが……こんなところで役に立つとは。
「まさか、俺は神に愛されているのか……?」
そう呟いてすぐ、頭を振ってその考えを振り払った。
いや、それはないな。
だとしたら今までひどい目に遭い過ぎだ。
もし愛されているとしたら邪悪な何かに違いない。
そんなことを思いつつ、例の宝玉と比べてやや大きい黒玉を台座の浅く窪んだ場所に転がす。
そしてタイミングを見計らいスイッチを押さえていた指を引いて……よし! 嵌った!
『よもや、そのような物で起動を妨げるとは……クックック、やはりキミは面白いな、イグナート』
「っ……ジル・ニトラか!」
どこからか聞こえてくるジル・ニトラの声に怒りが沸き起こってくるのを押さえつつ、近くに寝かせていたティタを抱き上げ確保する。
できることならすぐにでもジル・ニトラの行いを追及してぶっ飛ばしてやりたいぐらいだが、今は我慢の時だ。
最低でもティタの治療と安全は確保しなければならない。
「……宝玉は取ったぞ。早くここから出してくれ」
『おや? 随分と冷静だね。開口一番で怒鳴り散らされると思ったのだが』
「っ…………おまえには言いたいことが山ほどあるが、それは後回しにすると決めたんでな」
深呼吸して怒りを抑えながら、自分に言い聞かせるように言う。
『フフ、つまり私が用済みになったら容赦はしない、ということかな? 怖いね、震えそうだよ』
「いいから早くしろ。ここから出せ」
『ああ、もちろん出すとも。キミには随分と役に立ってもらったからね。労わせてくれたまえ』
ジル・ニトラがそう言った瞬間、足元に光り輝く魔法陣が現れる。
そして瞬きをする間もなく視界が歪み――気がついた時には、見知らぬ赤い絨毯の上に立っていた。