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第十七話「カルマ」

 

 

 どれだけのグバルビルを屠ったのか。

 魔物の巣で三百匹近くの虫型魔物を討伐した時よりもアニマの扱いが上手くなったおかげか、出力自体が前とは段違いなおかげか、今回は前回と比べると冗談みたいなスピードでグバルビルを殲滅することが出来ている。

 以前だったらこんな出力でハルバードを振り回していたら、とっくのとうにアニマが枯渇していただろう。


 おそらく最低でも三千、最大で五千はいるであろうグバルビルの群れを見て俺は最悪の事態――連合軍は全滅して、長城を突破される――を考えていたのだが、この調子でグバルビルの数を減らすことが出来ればその心配もなさそうだ。


 グバルビルさえ片づけてしまえば、他の虫型魔物はそこまでの脅威ではない。

 ザンザーラ(蚊のような魔物)やスコロエンドラ(ムカデのような魔物)など、スピードはあるが一人前の剣士であれば一人でも十分対処可能な魔物ばかりだからだ。


「まあだけど、そう簡単にはいかないよな……」


 俺はハルバードを振るうたび激痛が走る腕にチラリと視線を落とし呟いた。

 今のところアニマが枯渇するような兆候はない。

 だが、全身は重く、動くたびに体中の節々が痛む。

 その中でもハルバードを常に激しく振るう右腕と、グバルビルの突進を防いだり、逆に攻撃したりする左腕は特に痛みが酷い。


 ……無茶な動きをしている代償ってヤツか。


 普段からどれだけ体を動かしても疲労を感じることは殆どないことから、身体能力がアニマで強化されているのと同じように、自己回復能力も強化されているのは間違いない。

 間違いないのだが、その強化された自己回復能力にも限度があるということだろう。


 普通だったら初動で体を壊していてもおかしくない動きをしているからな。

 それを考えればよくここまで持ったといえる。

 自分自身、色々と随分規格外である自覚はあるが、ここら辺が人間の限界というヤツなのかもしれない。


「だけど、なぁ……それじゃ、困るんだ、よっ!!」


 左拳で隣にいたグバルビルの頭をかち割り、右手に持つハルバードで周囲を薙ぎ払い、一気に五匹ほど片づける。

 ハルバードを両手で持って立ち回れば多少は痛みもマシになるんだろうが、そうすればその分殲滅速度が遅くなる。


 自分ひとりだったらそれでも良いが、今回はそれじゃ間に合わない。

 それにこの調子でグバルビルを片づければ『全滅は』免れるだろうというだけで、多大な犠牲が出ることは変わらないのだ。


 しばらく密集地帯で戦っていると、周囲のグバルビルが少なくなってきたことに気付いた。

 もうそろそろ移動する頃合いか。


 グバルビルを蹴散らしながら長城の方へと向かう。

 しばらく移動すると、巨大な城門の前で大量のグバルビルが密集しているのを発見した。


(マズい、かなり押し込まれてる!)


 こちらに背を向けているグバルビルをハルバードで片付けながら密集地帯へと乗り込んで行くと、その中心地から透き通るような、美しい笛の音色が聞こえてきた。


(これは……セーラの虫笛。術が完成したのか!)


 よく見れば周囲のグバルビルは動きを止めていた。

 セーラの研究課題のひとつに、アニマを込めた虫笛の音色で虫型魔物を無力化するというものがある。

 術式の構築が難航しており、まだまだ実戦で使うには時間が掛かると聞いていたのだが、まさか完成していたとは。


「っおおおらあぁ! このイグナート様が加勢に来てやったぞ雑魚どもがぁぁ!!」


 動かないグバルビルをこれ幸いと蹴散らしながら、中心部の兵士たちに向かって発破を掛ける。

 挑発的に言ったのが功を成したのか、セーラと共に中心部でグバルビルの群れに囲まれている兵士たちから鬨の声が上がった。


(良し、士気は十分。あとはこいつらを片付けるだけだ!)


 あの虫笛はアニマを相当な量消費するらしいのでそう長くは持たないだろうが、セーラが術をあと五分程でも維持してくれれば、正門周りを囲むグバルビルを他の兵士たちが押し返せるぐらいには減らせるはず。

 そしたら俺はまたグバルビルの密集地帯へと移動すればいい。


「……っ、あとは俺がどれだけ持つか、だな」


 今となっては全身、そして両腕を襲う激痛にたびたび集中が途切れる結果、身体やハルバードを覆うアニマがその都度不安定になっている。

 このままではそのうち致命的なミスをしかねない。


「さて、どうするか……なにっ!?」


 急に周囲のグバルビルが動き出す。

 気がつけば虫笛の音も止んでいた。


 おかしい。まだ三分も経っていない。

 いくらなんでも早すぎる。

 まさか。


「この、邪魔だ!」


 腕や足に絡みついてくる触手を引きちぎりながら、目の前にいたグバルビルの背中に乗り上げ、そのまま密集するグバルビルの背中を足場にしてセーラの居る中央へと走る。


「……やっぱりな」


 屋根のない馬車の上で倒れているセーラの横に、ヒビの入った虫笛が落ちていた。

 やはりまだ術式は未完成だったのだ。


 息は……ある。


 セーラが呼吸していることを確認する。

 不完全な術を無理に行使すれば、命を失ってもおかしくはない。

 それを考えればまだ運はよかった方か。


 そう思いながらも気を失ったセーラを抱きかかえ、長城の裏に一度戻ろうとした瞬間。


「マジかよ……」


 俺はちょうど、破壊音と共に正門が大量のグバルビルに破られるのを目撃した。

 どうやら後側の防衛ラインが横から突破されていたらしい。

 一万近くの軍勢で長城を守っていたとはいえ、やはり少年兵士も混ざった急造の連合軍じゃ守り切ることは出来なかったか。


(しかもアレじゃ、通れない)


 正門が破られてしまったのならすぐにでも長城裏に回り応戦するべきだが、今は大量のグバルビルが一箇所に詰め寄り、グバルビルの上にまた別のグバルビルが乗るという状態が繰り返されているため、正門の大部分が埋まっている。


 普通の人間であれば少しかがめば通れるぐらいの空間ではあるが、俺のサイズじゃ間違いなく通れない。

 そのうえ腕にはセーラを抱えているから無茶なこともできない。

 セーラの虫笛が今使えればこの状況も打破できるのだが……。


(……そうだ!)


 懐からセーラに貰った紫色の液体が入った小瓶、『虫寄せの薬』を取り出す。

 こいつは俺が最前線で虫型魔物に囲まれ、身動きが取れなくなった時の脱出用として渡された薬だ。

 貴重な研究材料である紫色の魔結晶(俺が東の森で壊したやつ)を原料としているためあまり数は作れないそうだが、それでも三つ預かっており、まだ一つも使っていない。

 本来の用途とは違うがここは使ってもいい場面だろう。


「はぁっ!」


 大きく腕を振りかぶり、激痛に危うく小瓶を落としそうになるがなんとか目標に向かって投げることに成功。

 小瓶は正門から少し離れた長城の壁にぶつかり、紫色の液体を撒き散らしながら割れた。

 それと同時に正門に集まっていたグバルビルが一斉に方向転換してごそっと移動し、薬の染み込んだ壁へと群がる。


「よしっ、今だ!」


 セーラを抱えながらグバルビルの消えた正門を一気に駆け抜ける。


 まずはセーラを安全な場所に運ばなければ。

 正門を守るのはそれからからだ。


 そう思ったのも束の間。

 正門を抜けて三十メートルほどの位置に立ち並ぶ、布の屋根だけで出来た簡易テント群を見て、俺は考えを改めた。


(……ダメだな。これ以上遠くには行けない)


 屋根だけで出来た無数の簡易テント。

 これらは重傷を負った兵士が運び込まれる救急医療テントだ。

 ここにはディアドル王国中の医者、及び数少ない治癒魔術師が集合している。

 彼らは連合軍の生命線だ。

 絶対に守らなければならない。


「どうした! 救急か!?」


 テントから緑色の手術着らしきものを着ている壮年の男性がこちらに向かって声を掛けてきた。


「救急かどうかはわからないが、魔術の使用途中に気を失った」

「脈は!?」

「ある。呼吸もしている」

「じゃあ悪いが後回しだ! テントの中は空きがないから裏に寝かせておいてくれ!」


 そう言って壮年の男性はすぐにテントの中へと引き返して行った。


「裏にって……うっ」


 テントの裏側に回ると、そこには数え切れないほどの負傷者がいた。

 むせかえるような血の臭い。

 これが全員後回しなのか。


 片腕や片足を失っている兵士はざらで、中には下半身丸ごとや、四肢を全部無くしている兵士もいた。

 ……もうすでに死んでいると思われる人間も沢山いる。

 酷い状況だ。


 防衛戦に参加できるセーラのような魔術師は一般兵士より治療の優先順位が高いはずだが、これでは当分診断の順番は回ってこないだろう。


 俺はセーラをテントの裏に敷いてある布で出来た敷物の上に寝かせた。


「がっ!?」


 セーラを寝かせる際、腕の激痛で思わず右手に持っていたハルバードを落としてしまった。


「あ、あっぶねぇ」


 ハルバードはセーラの爪先手前に落ちていた。

 ギリギリセーフだ。

 セーラの身長が低くて助かった。

 グバルビルの群れから助け出したが俺のせいで足切断とか笑えないからな。


「っ……」


 それにしても、全身、特に両腕の激痛が本当に酷くなってきた。

 もうすでに立っているだけでもアニマが不安定な状態になっている。

 前線の兵士たちがどれだけ時間を稼いでくれているのかはわからないが、これではこのあと正門を抜けて来る虫型魔物からテント群を守り切ることは不可能だろう。


 救急医療テントの中を覗き込む。

 そこでは医者や治癒魔術師、患者を運び込む助手などがめまぐるしく立ち回っていた。


 両腕を治療してもらうことも考えたが、治癒魔術はその範囲に応じて詠唱や治療自体に時間が掛かる。

 だからもし今そこら辺の治癒魔術師に両腕の治療を頼んでも、グバルビルの侵攻にはまず間に合わない。

 俺の腕は片方だけでも成人男性の腰周り以上の太さがあるからだ。


(もう、ここで終わりなのか……)


 無力感に打ちひしがれていた時、俺は救急医療テントの中で衝撃的な光景を目にした。

 一人の少女が胸辺りに致命傷を負った重症兵士に手をかざすと、まるで時間を巻き戻すかのように、みるみるうちに傷口が塞がっていったのだ。


「ミサ……」


 その少女はショートカットの黒髪に白いローブをまとった王国最年少の治癒魔術師、ミサだった。

 彼女は治癒の属性持ちである。

 無詠唱だから効果はすぐ出るし、属性持ちは同じ術でも通常よりはるかに高い効力を望める。


 俺は前世から常々、自分には運が無いと思っていたが、どうやら今回はツイてるらしい。


「おいミサ! 急でわりぃが俺の腕に治癒を掛けてくれ!」

「ひぃ!?」


 突然テントの中に入って来た俺を見て地面に尻もちをつくミサ。

 腰が抜けたのかそのまま立ち上がろうとしない。

 いや、驚きすぎだろ。


「時間がねぇから早くしてくれ!」

「で、でも、他にもっと重症の人が……」

「どれ、私が診よう」


 そう言ってミサと俺の間に割り込んだのは、さっきセーラの状態を問答した壮年の男性医師だった。


「……なるほど、これは酷い炎症だ。痛みも相当なものだろう。これは筋肉の断裂が起きている可能性が高い」


 勝手に俺の腕を触診する医師。

 メチャクチャ痛いから触らないでほしいんだが。


「だが命に別条は無い。こんなになるまでよく戦ってくれた。あとは他の兵士に任せて休んでくれ」

「いや、俺は……」

「治療は重症兵士が先なんだ。わかってくれ」


 自分よりもはるかにデカイ俺に対して、目を逸らさず、一歩も引かずに言い切る医師。


「重症な奴が先なのはわかってるが」

「自分を治せばそいつらの百倍は敵を倒せる、か? 腕に自信がある者は皆そう言うが、残念ながら順番をずらすことはできない。裏に回ってくれ」


 医師は疲れたようにそう言って、こちらに背を向けた。


「正門が、破られたとしてもか?」

「……なに?」

「グバルビルに防衛線を回り込まれた。今はなんとか抑えてるだろうが、あと少しすればこっちにも奴らが来る」


 俺の言葉に医師は一瞬眉をピクリと動かしたが、その表情は変わらなかった。

 嘘だと思っているのだろうか。


「ふむ、そうか。だが、それが本当だとしても順番は変わらないな」

「……なんだと?」

「あの正門が破られるようであればもうこの国は終わりだ。キミ一人を治したところで何の解決にもならない」

「あのなぁ……」


 俺は右手の人差し指と親指でそっと医師の頭を掴んだ。


「俺は、治せと、言ってるんだ」


 ゆっくりと、指に力を入れていく。

 俺がその気になれば指二本だけでこの頭を潰すことができる。

 これはそれを示すための動作だ。


「本当はこんなことしたくないんだが、時間が無いんでね……なぁ、あんたからミサに、俺の腕を治すよう言ってくれないか?」

「ぬ……こ、断る!」

「んん? 聞こえねぇなぁ」

「ぐっ……がぁ……!」


 指に込める力を強くすると、医師が苦悶の声を上げた。


「ほらな、ほんのちょっとだけしか力を入れてないのに、もう腕が震えてきやがる。重症だ。このままじゃ手元が狂っちまう。……なぁ、ミサ、治してくれないか?」

「ぐぅ……聞く必要などない!」

「おいおい、わかんねぇヤツだな。早くしねぇと皆死ぬんだよ。それとも何か? 一足先に死にたいってのかおまえは?」

「うっ……貴様のような輩に屈するぐらいなら、死んだ方がマシだ!」


 苦痛に顔を歪めながらも、視線は逸らさずこちらを睨みつける医師。


「……そうかい」


 直後、俺は指を離し、右足で医師の腹を蹴り飛ばした。

 医師はテントの端まで吹っ飛び、そこにあった医療器具を盛大にぶちまけて倒れこんだ。


「先生!?」


 ミサが医師の元まで駆け寄る。

 派手に吹っ飛んだが、なるべくケガをさせないよう細心の注意を払った蹴りだ。

 大したダメージは無いだろう。

 だが、これでミサには俺が『危険人物』だという認識を持たせることが出来たはずだ。


「さて、と……じゃあミサ、よろしく頼むわ。バカのせいで時間食っちまったから、急いでくれよ?」


 ミサの前に腕を差し出す。

 外道極まりないおこないだが、今は本当に時間がない。

 俺が憎まれることでこの場所を守れるなら安いものだし、もとより悪役に徹するつもりでもある。

 ……医師やミサにとっては今回とんだとばっちりになるので申し訳ないが、嫌な思いをさせた分の借りはキッチリ働いて返すので許してほしい。


「……い、嫌……だ」

「ん?」

「わ、わたしは……あなたみたいな人は、絶対に治さない!」

「……ここで意地をはっても、良いことなんざ何もねぇぞ?」

「ひっ……」


 凄みをきかせ、ミサがひより始めたところで、長城の方から大きな破壊音と城壁の崩れる音が聞こえてきた。


「っち……来たか!」


 ミサを右腕に抱きかかえテントの外に出る。

 長城裏ではすでに大勢の兵士が展開しており、城壁を破ったグバルビルを相手に決死の戦いを繰り広げてはいるが、おそらくあの数では足止め程度にしかならないだろう。


「見ろ! 虫どもはもうそこまで来てるんだよ!」

「ひっ……で、でも兵士の人たちが……」

「あんな雑魚どもじゃそう長くは持たねぇ!」

「うっ、で、でも……でも……」

「いい加減にしろ! 死にてぇのか!?」

「ひぃ! わ、わかりました! 治します、下ろしてください!」


 俺が差し出した両腕にミサが手をかざし、目をつぶる。


「あ……あれ、おかしいな……なんで……あれ?」

「おい! なにやってるんだ!?」

「ひいぃ! ご、ごめんなさい! わざとじゃ、わざとじゃないんです!」


 ミサは泣きそうな顔で俺の腕を治そうと、その小さな手にアニマを集中させる。

 だが彼女の手元に集まったアニマはふわふわと、形にならず空中へと霧散していく。


 アニマは使用者の精神状態と深く関わりのあるエネルギーだ。

 アニマが出て形にはなっていないところを見る限り、おそらくミサは自分で思っている以上にビビっているか、テンパっているか、もしくはその両方だろう。


「おい……おい、ミサ」

「ひいぃ! ご、ごごごごめんなさいぃ! なんでわたし! こんな時に限って!」

「落ち着け。息が浅くなってる。まずは深呼吸だ」

「で、でもでも! 早くしないと!」

「焦りすぎだ。いや、急かした俺がわるかった。もう怒鳴ったりしないから、ゆっくりやってくれ」

「あ……は、はい!」


 俺の言うとおり、大きく深呼吸をするミサ。


「…………いけます!」

「おう、早いな。たいしたもんだ。んじゃいっちょ頼むぜ」


 そう言ってミサの前にしゃがみ込み、再び両腕を差し出したところで長城の方から叫び声が聞こえた。


「一匹抜けたぞぉぉ!」


 振り向くと、兵士たちの間を抜けて一匹のグバルビルがこちらに向かって来ていた。


「……ミサ、ちょいと中断だ」

「イグナートさん!?」

「すぐ戻ってくる。落ち着いて、呼吸を整えておいてくれ」


 背中から吊るしたハルバードを引き抜こうと右手を伸ばすが、その瞬間右腕に尋常じゃない激痛が走り、手を止める。


 グバルビルは一匹。

 だったらわざわざ痛みに耐えながらハルバードを使う必要もない。

 まあ特に両腕が酷いってだけで今となっては最早、身体を動かすだけでも十分痛いんだが。


「――良いとこで邪魔すんじゃねぇ!」


 アニマを大量に込めた右足を、グバルビルに向かって踏み潰すように上から振り下ろし撃破。

 不恰好な踵落とし、といったところか。

 グバルビルは木っ端微塵。一撃である。


「さて、今度こそ腕を治す……」

「二匹抜けちまったぁ! 誰か頼む!!」

「…………おいおい」


 なんだか凄く嫌な予感がするな……。


 時間差でこっちに向かってきたグバルビル二匹を先程と似たような方法で撃破すると、またさらに一匹、その次は三匹と、次々グバルビルが防衛ラインを越えてやってきた。

 もちろん腕を治す暇なんてない。


 そして同時に三匹以上来られるとさすがに足だけで撃破するのでは間に合わないため、途中からハルバードを使っての防衛を強いられるようになった。


「……ぐっ……がっ……!」


 ハルバードを振るう度に激痛で意識が飛びそうになる。

 もうハルバードをにぎる握力はないので、服の両肩部分を破りその布で右手を固め、大量のアニマを頼りに無理やり振るっているような形だ。


(なんで……俺は、こんなこと……してるんだろうな……)


 殆どの感覚が壮絶な痛みに支配されている中、俺は半ば無意識でハルバードを振るいながら、微かな意識の片隅でそんなことを思った。


 この世界に転生する前。

 魂だけの存在になった時、俺は誓ったはずだ。

 今度こそ自分のためだけに生きると。

 その結果がこれだ。

 全然、自分のために生きてない。


 俺は人のために自分を犠牲にして、それで『良し』と思えるような出来た人間じゃない。

 そりゃ感謝されるのは嬉しいもんだ。

 だけど、その感謝を糧に一生、自分を犠牲にして生きていくことは出来ない。

 俺は勇者でも英雄でもないのだ。


 じゃあなんで、俺は戦っているのか?

 それは自分でもよくわからない。

 ただ、『守らなければならない』という、焦燥感に似た何かに突き動かされている。


(もしかしたら、俺の前々世は罪人だったのかもしれないな)


 俺が小学生の時、児童養護施設に来た住職が話していた仏教の概念にカルマというものがあった。

 簡単にいえば善行も悪行も、そのおこないは魂に蓄積され、いつか必ず報いを受ける、という内容だった気がする。

 つまり俺は罪人だった頃の報いを前世、そして現世で受けているわけだ。

 自己犠牲の上に人を救い一生を終える、という運命によって。


 ……うん、じゃあ今回はしょうがないな。せいぜい現世では人助けして、来世に期待するか。


「――なんて思うわけがねぇだろうが、クソッタレ!!」


 また一匹、俺の横を抜けようとしたグバルビルのはらわたをハルバードでぶちまける。

 そしてその反動で体勢を崩し、グバルビルの死骸から流れた緑色の体液で出来た水溜りに顔から突っ込んだ。


「…………は、はは、なんてザマだ」


 四つん這いになって顔を上げる。

 すると視線の先には十数匹のグバルビルが兵士の包囲網を抜けてこちらに向かってきていた。

 俺の背後、医療テントの方ではミサが泣きそうな声で何かを叫んでいる。

 何を叫んでいるのかはよくわからない。

 だが、このままでは確実にミサはグバルビルに潰され死ぬ。

 それはわかった。


 震える左手で懐から紫色の小瓶を取り出す。


 俺の手じゃ守り切れない、どうしようもなくなった今の時点でこの虫寄せ薬の存在を思い出したが、今考えればさっさとこれを使っていればミサから治癒魔法を掛けてもらう時間ぐらいは稼げたのだ。


「……ったく、何が『落ち着け』だよ」


 自分が先ほどミサに言った言葉を思い出し、自嘲気味に笑う。

 こんな簡単なことに今まで気付かなかったなんて、どうやら俺も相当テンパっていたらしい。


 ゆっくりと立ち上がり、小瓶を持った左手を大きく後ろに振りかぶる。

 目標は長城の城壁。

 正確に狙いを定める。


「うっ!?」


 そして投げようと左腕を振ろうとした瞬間、腕に激痛が走り、左手から小瓶がこぼれ落ちて――俺の足元からポチャリ、と音がした。


「……え?」


 俺は自分がやらかした最悪の凡ミスに、一瞬思考停止した。


(この場面で落とすとか、ウソだろ……)


 すぐさま我に返り、緑色の水溜りに左手を突っ込んで探すが、見つからない。


 俺はどの辺りに小瓶が落ちたのか見ていない。

 音からして俺の足元近くに落ちているはずなのだが、こんな時に限って周囲はグバルビルの死骸とその体液で出来た水溜りでいっぱいだ。


 しかも右手はハルバードを持っており、柄を握る手は布で巻き固めてあるため、両手で探すこともできない。


 それらの事実に俺は焦っていたのだろう。

 より深い体勢で探そうと、安易に足をずらした。

 その結果がもたらしたのは。

 右足の裏から微かに伝わる、パキリ、という何かが割れる音だった。


「は、はは……なんだそりゃ……」


 足の裏で割れたのは多分、というか間違いなくさっき落とした虫寄せの薬だろう。

 あまりにも間が悪くて、思わず笑ってしまう。


 グバルビルの体液と混じった薬が果たして効果を発揮するのかどうか。

 あまり期待はしない方がいいだろう。

 そうなると、自然と取れる選択肢は限られてくる。

 グバルビルはもうすぐそこまで迫ってきているのだ。


 俺はグバルビルの体液でぬるぬるになった左手で、慎重に、懐から最後の小瓶を取り出した。


 今度こそ長城の壁を狙って投げるか?

 それともそこまで飛距離が稼げないことを見越して、こちらに向かってくるグバルビルを狙って投げるか?

 どちらも確実ではない。

 失敗したら硬化のアニマをまとっている俺はともかく、背後にいるミサを始めとした非戦闘員は全滅だろう。

 体液だらけの地面に叩きつけるのも下策だ。

 グバルビルの死骸も強度という点で信頼性が低い。


 いや、そもそも僅かに時間を稼いで俺の腕が治ったところで、続々と増えてくるグバルビルからミサたちを守り切れるのか?


 無理だ。

 腕が治ればそのうち殲滅することは出来るかもしれないが、俺は範囲攻撃の手段を持たない。確実に犠牲者が出る。


 どうすればいい。

 どうすればいいんだ。

 薬は分散すると効果が薄まる。

 背後のテントを守るために、薬を使う対象物は長時間グバルビルの突進を防げる耐久力が必要だ。


 グバルビルが目の前まで迫ってきている。

 丈夫なもの。

 信頼のおける強度。

 絶対的な耐久力。

 なにがある。どこにある。俺はどうすれば。

 ……俺は?


「なんだ、あるじゃねぇか」


 俺は左手に持った小瓶を、自分の額に叩きつけた。










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