第百七十八話「大部屋」
ティタに先導されて、地下迷宮の中心部である大部屋に入っていく。
そして俺は大部屋に足を踏み入れた瞬間、その中を見回して驚愕に目を見開いた。
「なんだ、これ……?」
「魔石。チキが調達したのもいっぱいある」
大部屋の中には隅から隅まで、所狭しと巨大な木箱が並んでいた。
そしてその木箱ひとつひとつには漏れなく、大量の魔石が積み上がっている。
魔石は大きかったり小さかったり、丸かったり原石っぽかったりとまさに玉石混交だが、凄まじく高価であると予想される物も多分にあった。
「尋常じゃない数だな……そもそも木箱だけでも数え切れないぐらいあるし」
「黒紫の人たちと一緒にいっぱい運んだ。チキ、がんばった」
「お、おお……偉いな」
ティタの頭を撫でながら周囲を再度、見回す。
……さっきまで空気中の濃密なアニマに当てられて気がつかなかったが、大部屋のそこかしこに人の気配がある。
しかも一人や二人じゃない。かなりの大人数だ。
「ティタ……気がついてるか?」
「部屋に居るのは黒紫の人たちだから大丈夫。いつも警備でいっぱい居る」
「…………そうか」
理屈は通っている。
確かにこれだけの量がある魔石をなんの警備もなしに放置しておくことはないだろう。
……しかし、だとしてもおかしい。
ただの警備であるならば。
ジル・ニトラの手下である黒紫のヤツらは、俺たちから身を隠す必要はないはずだ。
「メトラ、あれが宝玉。……メトラ?」
硬化のアニマを体中に纏い、五感を研ぎ澄ませる。
そしていつ攻撃が飛んできてもティタを守れるように意識しながら、俺は返事をした。
「ああ……聞いてる」
「……なんでメトラ、やる気満々?」
「黒紫のヤツらに違和感がある。ティタも周りを注意しといてくれ」
「………………わかった」
ティタは少し間を置いてから、素直に頷いて返事をした。
ジル・ニトラに不信感を持っていない様子のティタにとって俺の言葉は謎だったかもしれないが、聞いてくれて良かった。
もしかすると俺が勘繰りすぎているだけで、黒紫のヤツらが隠れているのはいつものことなのかもしれないが、それならそれで良い。
取り越し苦労であるなら万々歳だ。
俺とティタは周囲を警戒しながら唯一、木箱が置かれていない正面の道を歩き始めた。
そして慎重に歩を進め、大部屋の中心部にある台座の前で足を止める。
「これが宝玉か」
俺は台座の上に置かれている琥珀色の宝玉を見ながら呟いた。
台座は黒い大理石のような材質で出来ていて、高さは俺の腰ほどぐらい。
宝玉はだいたいボーリング玉ほど大きさで怪しい点は見当たらない。
罠は……特になさそうに見える。
「よし、さっさと回収して……」
「メトラ!」
ティタの声を聞いて視線を即座に宝玉から周囲に移す。
すると先ほどまでと違い、木箱の陰に隠れていた黒紫の連中が立ち上がり、こちらを向いている姿が見えた。
そしてその手元には皆共通して、赤色に光る魔石のようなものを持っていた。
「なんだなんだ!? やっぱり罠か!?」
「メトラ、どうする!?」
「――こうする!」
俺はティタを左手で掴み、頭だけを出した状態で持ちながら全力で走り始めた。
目指す先は出口。ここが敵地である以上、とにかく逃げの一手だ。
「なんでっ……メトラ!?」
「すまんな! 俺の手の中が一番安全だ!」
今の俺にとって一番の弱点はティタだ。
逆を言えば昔よりも強くなった今の俺は、ティタさえ守れば大抵の敵には負けない自信がある。
まずはここを無事に切り抜け、ティタを安全な場所に運ぶ。
ジル・ニトラのヤツを問い詰めるのはそれからだ。
「め、メトラ……」
「なんだ!? あともうちょっとで部屋から出られ……る……?」
突然、ぐらりと視界が揺れて目眩し、転びそうになる。
急な異変に慌てて立ち止まり、体勢を立て直しながらふと地面を見ると、そこには赤色に光る巨大な魔法陣が輝いていた。
「これは……!?」
アイリスに見せられた巨大魔法陣と同じ……!?
そう思った瞬間、全身から凄まじい勢いでアニマが吸われていることに気がついた。
無論、吸われている先は地面に描かれた巨大魔法陣だ。
直後、背筋が凍る。
もはや様々な面で人外並みの俺ですら目眩がするほどの、強力なアニマ吸収。
常人に耐えられるとは到底、思えない。
「ティタ!?」
即座に左手を持ち上げてティタに呼びかける。
しかしティタは目を閉じており返事をしない。
それどころか顔は青ざめ、唇はひび割れて今にも干からびそうに見えた。
「――ティタぁああぁあああ!?」
全身、全霊を込めて治癒魔法を発動する。
そして体を丸め、左手を胸に抱えるようにして、その上から更に右手を被せた。
この魔方陣はアニマを吸収する。
それなら俺が手や体でティタを囲み、膨大なアニマを放出し続ければ――魔法陣によるティタのアニマ吸収を防げるかもしれない。
「うおおぉおぉおおおぉおぉおおおぉおおぉおおおぉおぉおおぉお!!!」
己を奮い立たせるために咆哮する。
防げるかも、じゃない。
絶対に防ぐ。ティタは俺が守る。
胸の奥から無尽蔵にも思えるほど膨大なアニマを引き出し、放出していく。
大丈夫だ。俺がアニマを放出する速度と魔法陣がそれを吸収する速度は拮抗している。
左手の中に居るティタからアニマが漏れているような気配もない。
意識を手のひらに集中すると、微かにティタが呼吸をしていることがわかる。
……大丈夫だ、ティタは生きている。
ひとまず火急の事態は抜け出した。
両手は変わらずティタに治癒魔法を使い、全身はアニマを全力で放出しながら正面の道を見る。
だが、その延長線上には壁しかなかった。
どうやら通路に続く出入り口はいつの間にか塞がれてしまっていたらしい。
「用意周到だなぁおい……!」
嫌な予感はしつつも出入り口があった場所あたりの壁まで走り、勢いをつけて力の限り蹴り込む。
だが壁は僅かにへこむ程度でビクともしない。
どう考えても普通の壁じゃない。
予想はしていたが、どうやらこの部屋からは出られないよう対策を練られているようだ。
「だったらこっちはどうだ!?」
巨大魔法陣を破壊しようと、地面を思い切り踏みつける。
だが結果は同じく……どころか、壁と違って僅かにへこみさえしない。
その事実に嘆息しつつも、今度は大部屋の端を進んで黒紫の連中を探す。
あいつらは何やら怪しい赤色の魔石を持っていた。
根拠のない思いつきだが、あの魔石を壊せばこの魔法陣を止められるかもしれない。
「うっ……」
だがその考えは、木箱と木箱の間で倒れている黒紫の連中を見て変わった。
「干からびてやがる……」
黒紫の連中は全員、まるでミイラのように干からび変色していた。
脈を確かめるまでもなく死んでいることがわかる。
手に持っていたであろう赤い魔石も地面で無造作に転がっており、それらは俺が壊すまでもなく砕け散っていた。
術者と同じくアニマを吸いつくされて壊れたのだろうか、よく見れば無数の木箱に入っている大量の魔石もすべて亀裂が入ったり、砕けたりしている。
ここに倒れている黒紫の連中はおそらく、この巨大魔法陣を起動したであろう術者だろう。
そんな彼ら……もしくは彼女らが自分自身『こうなる』であろうことを知っていたのかどうかは定かではないが、どちらにせよ首謀者のジル・ニトラは極悪だ。
決して許すわけにはいかない。
引き続き、誰か生きている者は居ないか大部屋の奥も探してみる。
だが倒れている術者は誰もが干からびており、髪も白く変色していた。
例外は居ないようだ。
「……本格的に手詰まりか」
最後に大部屋の中心部へと足を運ぶ。
そして台座を見ると、そこにはさっきまではなかった赤い術式らしき幾何学的な模様と文字が浮かび上がっていた。
よく見ると、台座から膨大なアニマが宝玉に向かって流れているのがわかる。
どうやら巨大魔法陣に吸い上げられたアニマは台座を通じて宝玉に溜められているようだ。
コイツをぶち壊せば、魔法陣を止められるのだろうか。
そんな考えが頭をよぎるも、しかし台座と宝玉に流れる凄まじいアニマの奔流を見て思いとどまる。
ダメだ。不確定要素が大きすぎる。
過去、俺が自力でアニマを圧縮する技を使った時でさえ、制御を手放した瞬間に大爆発したのだ。
この台座と宝玉の場合、似たようなことが起こったらそれは俺の時とは比べ物にならない規模になる。
安易に手を出すわけにはいかない。
ジル・ニトラの策に大人しく嵌まるようで癪だが……俺やティタに命の危険がない現状を考えると、ここは巨大魔法陣のアニマ吸収が終わるのを待つのが最善だろう。
俺はティタを両手で囲み全身から膨大なアニマを放出しつつ、その時が来るのを持ち続けた。