第百七十四話「趣味」
「っぐ……ティタ! 顔面に落ちてくるな! 俺じゃなかったら鼻折れてたぞ!」
「メトラ以外にはしないから大丈夫!」
「俺にもやめてくれ!」
顔面に張り付くティタを剥がしながら言う。
そういやティタは今、ジル・ニトラのところで働いていたんだった。
「メトラ、今までどこに行ってた? 最近ずっとメトラの行方がわからなくて、心配してた」
「あー……それは、だな……」
言えない。
性別が変わって女子生徒として学校に通ってたとか絶対に言えない。
「……いや、すまんな、かなり遠くに行ってた」
「遠くって?」
「おまえの知らないところだ。そんなことよりティタ、なんで天井から落ちてきたんだよ」
追求を逃れるため強引に話題を変える。
「天井裏に潜んでたから」
「なんで」
「曲者がきたら上から襲ってやっつけるため」
「…………普段からそんなことやらされてるのか?」
四六時中、天井裏で待機とかそれブラックすぎるだろ。
「違う。趣味」
「……え? なんて?」
「趣味」
「…………」
前から思ってたけど、ティタってそこそこ変だよな……。
いや、忍者ごっこして遊んでるみたいなもんだと思えば微笑ましいか……?
「ティタ……」
「なに?」
「ジル・ニトラに変なことさせられてないか? 冷や飯食わされたりしてないか?」
「チキは冷たい飯のほうが好き。熱い飯は苦手」
「そういうことじゃなくてな?」
「冗談。大丈夫、ジル・ニトラ様は良くしてくれてる」
ティタはそう言うと口角を持ち上げニヤリと笑った。
……普段からずっと無表情でほぼ笑わなかったティタが、こんな他愛のない会話で笑顔を見せるなんて。
随分と変わったものだ。
いや、笑い慣れてないせいか笑顔がなんか変だけど。
なんか企んでるみたいな笑い方になってるけど。
「フフ、キミから預かった子を冷遇することなどないさ」
「ジル・ニトラ……」
「これで少しは信用してもらえたかな?」
ジル・ニトラはニッコリと笑いながら両手を広げた。
「……ほんの少しだけな」
「おや、手厳しいね」
「あたりまえだろ」
何しろティタがジル・ニトラの元で働くことになったのは、ジル・ニトラの提案によるものなのだ。
俺は預けたどころか、むしろ反対した。
途中からはティタ自身がジル・ニトラの元で働くことに乗り気になったため、最終的には本人の意思を尊重することになったが……今も積極的に賛成はしていない。
「だが……ティタの面倒を見てくれている分の働きはするつもりだ」
「それは頼もしい。ではさっそく宝玉を取りに行ってもらおうかな」
「その前にひとつ聞かせてくれ」
俺はふと疑問に思ったことを質問した。
「ジル・ニトラが宝玉を取りに行けない理由は前に聞いたからわかった。だが、それは俺じゃなきゃダメな理由はあるのか? 他の人間を取りに行かせれば良いだけの話だろ?」
「ああ、それはだね……フフ、ルカ、説明してあげてくれるかな?」
ジル・ニトラがくつくつと笑いながらルカを見る。
するとルカは気まずそうな顔で目を逸らしながら口を開いた。
「あはは……実はね、あの宝玉……すっごく重いんだ」
「…………重い?」
「うん。もはや重すぎてどれぐらい重いのかよくわからないんだけど、少なくともボクの時代ではあれを持ち上げられる人間はひとりも現れなかったね……」
大きさはそうでもないんだけど、と続けるルカ。
「もちろんテコの原理で動かそうとしたり、機械使ったり、色々なことも試してみたけど結局、最初に固定した場所から動かせなかったんだよね。アレ自体が強力なアニマを纏ってるから魔術的な手段も通用しないし」
「……なんでそんなもの作ったんだ?」
「ボクも最初から重くしようと思って作ったわけじゃないんだけど、性能を上げようと思ったらなんでか重くなっちゃったんだよね、結果的に。ほら、当時ボクの力は全能に近かったけど、近かったってだけで全能そのものってわけじゃなかったから。ちょびっとだけ失敗しちゃったって感じ」
テヘペロ、って感じでルカが舌を出して笑う。
「でも台座を一緒に作ったのが不幸中の幸いだったかな。もし普通の台座に置いたら、鋼鉄製だろうがアダマンタイト製だろうがぶち抜いてただろうから」
「そこまで重いのか……」
俺自身とんでもない怪力だという自覚はあるが、そこまで重いとなるとちょっと持ち上げられる自信がなくなってくるぞ。
そんな俺の内心を察したのか、ルカは手をひらひらさせながら笑った。
「大丈夫大丈夫。キミなら持てるって。多分」
「多分かよ」
「持ち運ぶのが大変であれば私が作った無限袋に入れれば問題ない。そうすれば重さもなくなる」
横から言ってきたジル・ニトラの言葉に納得する。
そういや確かに無限袋の中に入れたものは重さを感じない。
最悪、持てなくても転がせれば良いってことか。
「それならまあ……大丈夫だろうな」
「良し。ならば向かってもらうとするか」
「ちょっと待て、地下迷宮の地図とか何かないのか?」
帝国の地下にずっとある迷宮なら地図ぐらいはあってもおかしくないだろう。
あるなら出してもらうに越したことはない。
「残念ながら、機密保持のために地図などは残していないな」
「あ、じゃあボクが案内するよ」
ルカがそう言って手を挙げる。
「道がわかるのか?」
「もちろん。もともと地下迷宮を作ったのもボクだからね」
「マジか」
全盛期のルカ半端ないな。
「おっと、アルカディウスはここに残ってくれないかな」
「え? なんで?」
「私が暇……もとい、積もる話があるからだ」
堂々と言うジル・ニトラ。
それに対してルカはキョトンとした顔をしたあと、苦笑いしながら俺のほうを見た。
「だってさ、イグナート」
「だってさって言われても……迷わないで済む道を迷うのもバカらしいんだが」
「彼女に案内してもらえば良い」
ジル・ニトラはティタを見ながら言った。
「彼女なら地下迷宮のことは手に取るようにわかるはずだ。ここしばらくは仕事で幾度となく出入りしてもらっていたからね」
「仕事……?」
「詳しくは地下迷宮を歩きながらでも本人に聞けば良いさ」
ジル・ニトラはそう言ってパンパンと両手を叩いた。
すると部屋の奥にある通路から黒紫のローブを身に纏い、顔もフードで隠した魔術師らしき人物が現れる。
「私とアルカディウスに紅茶を」
「かしこまりました」
ローブを纏った人物はうやうやしくお辞儀をしてから、再び奥の通路へと戻り消えていく。
……あんな魔術師っぽいヤツを召使い代わりにしてるのか。
っていうかよくよく思い返せばあの黒紫のローブを纏ったヤツって、いつもジル・ニトラの近くにいる気がするな。
魔王と戦う前の千年荒野でもジル・ニトラ、似たようなヤツぞろぞろ連れて歩いてたし。
「趣味悪いな……」
「ふむ? なんのことかな?」
「いや、なんでもない」
ジル・ニトラの趣味なんざ知ったこっちゃない。
今はそれよりもティタのことだ。
地下迷宮が危険な場所ならば、道案内とはいえティタを一緒に連れて行きたくはないが……ジル・ニトラの話によると、既にティタは幾度となく同所を出入りしているという。
だったら特に危険はないのか……?
そんなことを考えながら隣にいるティタに視線を向けると、彼女は俺の目を見ながら力強く頷いた。
「大丈夫。帝国の地下迷宮はチキの庭」
「……それなら案内してもらうか」
庭とまで言い切るならば特に問題はないだろう。
万が一の場合でも俺が守れば良いだけの話だ。
「地下迷宮はここからすぐ近く。メトラ、ついてきて」
「ああ、わかった」
ティタの後ろについて歩いていく。
そんな俺にジル・ニトラは笑顔で手を振りながら言った。
「行ってらっしゃい、イグナート。地下迷宮は危険だからね、気をつけたまえよ」