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第百七十一話「不敬の罰」

 異常な才能を持つ優男の秘密――自分から言ってきたのでもはや秘密でもなんでもなかったが――を知ってからというもの、アタシは少し考えを変えた。


 この優男を楽には殺さない、という部分は変わらない。

 しかしこの男は中々に希少価値が高い『オモチャ』だ。

 となるとまだ『料理』するには少し早い。

 消耗するのはひと通り遊び倒してからにしよう、と。


 それからアタシは優男に対して無理難題をあまり吹っかけなくなり、代わりに魔術研究の手伝いをさせたり、自分の機嫌が良い時は逆に手伝ってやったり、時にはただ普通にからかって遊んだりした。


 そして数週間後のある日。

 アタシはふと何気なく、優男に対して気になったことを聞いてみた。


『ねぇ、そういえばアナタと違う世界のアタシって、どういう関係だったの?』

『え?』


 沸騰する鍋の中身をお玉で掻き回していた優男が、キョトンとした顔で宙に浮いているアタシを見上げる。

 ちなみに鍋の中身は近場の村人に依頼されたという薬の原料らしい。


『ヴィネラがそんなこと聞くなんて珍しいなぁ。どうしたの急に』

『別に良いじゃない。暇なのよ』

『暇って……自分の研究は進んでるのか? 例の、『神の細胞』を培養して万能エネルギーにするってやつ』

『はぁ? あんなのできるわけないじゃない』


 アタシは肩をすくめながらため息をついた。


『あんまりにも暇で死にそうだか少しだけ着手したけど、すぐにやめたわ。細胞培養の取っ掛かりが見える見えないの話以前に、そもそも万能のエネルギーなんてありえないから』

『えぇ……自分から言い出しといて』

『うるさいわね。そんなことよりさっきの質問に答えなさいよ』


 そう促すと、優男はどこか遠い目をしながら言った。


『そうだなぁ……違う世界でのヴィネラは俺にとって育ての親であり、師匠であり、共同研究者であり、恋人であり……すごく、大事な人だったよ』

『へぇー、それはまた別の世界のアタシも節操が……ちょっと待って、今、恋人って言った?』

『言ったけど?』

『…………へぇ』


 それは面白いことを聞いた。


『違う世界とはいえ、このアタシと恋人になるなんて……アナタ、やるじゃない』

『はは、それはどうも』

『でもさっきの言いぶりだと過去形だったわね。もう別れたのかしら?』

『……うん』


 優男は目を伏せながら呟いた。


『別れたくは……なかったんだけどね』

『あら、含みのある言い方ね。ということはつまり、違う世界のアタシは死んだのかしら?』

『えっ……なんで……』

『なんでわかったのかって? だってアナタ、すごくしつこいでしょう。自分が別れたくないんなら、それこそ相手が死に別れでもしない限り付きまといそうだわ』


 この優男と知り合ってからまだ数週間ほどだけれど、それぐらいのことは容易に想像がつく。


『はは……ヴィネラはなんでもお見通しなんだな』

『アナタがわかりやすいのよ。それで死因は? 違う世界とはいえ、このアタシが普通に死ぬとは思えないから、自殺……もとい自己消滅したのかしら?』


 アタシの言葉に優男は大きく目を見開き、反射的に何かを言いかけ……やめた。


『あら、図星?』

『言葉にされると違和感があるけど……そうなるのかな』


 優男いわく、別のアタシが居た世界は寿命により消滅した、という。

 そしてその世界に居たアタシは、世界の寿命と共に消えることを望んだらしい。


『ああ、そういうことね』

『……驚かないのか?』

『ええ。記憶の同期から外した分体がいつの間にか自己消滅してるとか、よくあることだし』


 いくら遠い昔に肉体を捨てほぼ人外になっているとはいえ、元来アタシは飽きっぽい上に生きる理由などない。

 このアタシが自己消滅してないのは自己改造を繰り返すうちに偶然、惰性で生きる性質を持っただけだ。

 アタシがそう語ると、優男はどこか悲しげな雰囲気で笑いながら言った。


『はは……でも、惰性だとしても、君が生きる性質を持ってて良かったよ』

『あら、その性質も変えようと思えば簡単に変えられるのよ? フフ……そうねぇ、アタシは気まぐれだから、今すぐにだって自己消滅しちゃうかも』


 肉体がない上にいくらでも自分を増やせるアタシは、各世界に自身とまったく同じ自分をコピーして無数に送り込んでいる。

 亜空間にも常時記憶を共有しているバックアップがあるから、このアタシが消滅しようが何も困ることはない。


 というより、たとえバックアップもろとも消滅しようが『この』アタシは困らない。

 なぜなら、自意識の消滅を嘆くのは自意識が残っているからであって、自意識が消滅している時点で自意識の消滅を嘆く自意識はないからだ。


 なーんてくだらないことを考えていると、優男は真剣な表情をしながらアタシの肩を掴んだ。


『冗談でも……そういうことを言うのは、やめてくれ』

『フフ、誰が冗談って言ったかしら?』

『……もしそうなったら、俺は全力で君を止め……いや』


 優男は小さく首を振りながら両手を上げた。


『無理だな。君の頑固さはよく知ってる。俺じゃどうやっても止められない』

『あら、随分とあっさり引き下がるのね?』

『それはもちろん。違う世界とはいえ、俺はヴィネラのことをよく知ってるからな』


 その言葉に嘘はないように見えたが、しかし直前まで目に宿っていた熱を考えると、唐突に『引いた』この態度には若干の不自然さが感じられた。


 ……なるほど。

 己が我を通せばアタシが本当に『その気』になりかねないと判断し、この男は引いたわけだ。

 とぼけているようで中々に聡い男である。


『フフ……』


 多少愉快な気分になって、思わず小さな笑いが漏れる。

 聡い人間は遊び甲斐があるから好きだ。

 しかもこの男は特別な異才持ちで、なおかつアタシを相手に物怖じしない希少な人間。


『しばらくは退屈しなさそうね……』

『なんのこと?』

『フフ、なんでもないわ。それよりアナタ、不敬よね?』


 アタシは今まで少し……ほんの少しだけ気になっていたことを優男に言った。


『アナタはアタシのことをよく知ってるとは言うけれど、アタシはアナタのこと名前すら知らないのよ?』

『……え?』

『自分は名乗りもせずに、アタシのことを旧来の付き合いみたいにヴィネラ、ヴィネラって連呼して……失礼だと思わない?』

『あ……ご、ごめん!』


 優男は面白いほどにうろたえながら両手を合わせて謝ってきた。


『俺たちが初対面だったことすっかり忘れてた! 違う世界でのヴィネラにも名前を呼ばれることってほぼなかったから、全然違和感なくて……!』

『あらそう』


 どんな意図があるのかと思ったら、ただ失念していただけなんて。

 こっちもたかが人間の個体名に興味なんてサラサラないから、別に構わないのだけれど……少し癪ね。


『俺の名前は――』

『んー? 聞こえないわねぇ?』

『――いや、あの、ヴィネラさん?』


 優男が苦笑いしながら指で頬を掻く。


『耳を塞いでたら聞こえないと思うんだけど……』

『あら、アタシ耳なんて塞いでないわよ?』

『つい今さっきまで塞いでたくせに……。あ、ちなみに俺の名前は――』

『聞こえないわねぇ』

『えぇ……』

『フフフ』


 アタシは情けない顔でこちらを見上げる優男に対し、満面の笑顔で言った。


『不敬の罰として、アナタの名前なんて聞いてあげない』

『そ、そんなぁ……』

『でも、そうね』


 空中で足を組み、肘をついて、優男を見下ろしながら続ける。


『アナタがアタシをたくさん楽しませてくれたら……いつかは聞いてあげても良いわよ?』

『うわぁ……それ、すごく大変そうだなぁ……でも』


 優男は眩しそうにアタシを見上げて言った。


『俺、気は長いほうだからさ。きっといつか聞いてもらうよ』

『フフ、良い心がけね。せいぜい頑張りなさい』

『あ、ちなみに俺の名前は――』

『今さっき気は長いって言わなかったかしら!?』


 こうして時は流れていく。

 長い……長い時が。


 今まで通りであればこのような遠い過去の記憶などは殆ど消して、その間の出来事は端的な情報記録として保存しておくだけなのに。

 アタシはなぜか、この時の記憶をいつまでも消せないままでいた。


 そして――




 ○




 土魔法で作った小屋の中。

 月明かりが差し込む深夜にふと目が覚めると、俺はヴィネラに頬を踏みつけられていた。

 ……いや、これどういう状況?




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