第百六十六話「人工の神」
「スヴァローグが……」
人工の神の……複製?
「そう。とはいえ、ここで言う神はキミが知る一般的な信仰対象としての神とは別物なんだけどね」
少年は人差し指を立てながら言った。
「まず、ここでの神の定義は、『超巨大で無色透明な力の塊』……みたいなものなんだ。とりあえず、そういう生き物がどこか遠い次元にいると思ってほしい」
「……わかった」
つまり超越的な存在としての呼び方で神、ってことだな。
「そういうこと。それで、その神はアメーバみたいな感じで、意思があるのかないのかもわからない、とにかくスケールがデカい変幻自在な不定形のエネルギー生命体なわけなんだけど、その力がね、すごく汎用性が高いエネルギーなんだよ。それこそ人間の視点で見たら万能に近い、神の如き力なんだ」
「へえ……」
超巨大って、どれくらいデカいんだ?
「個体にもよるらしいけど、ヴィネラが見たのはどれも宇宙を何十個も丸呑みできるぐらいの大きさだったらしいね」
「それはデカいな!?」
スケールがデカすぎる。
「あっ! もしかして例の『黒き星』ってのは、その超巨大な神のことなのか!?」
「違うよ」
「違うのかよ!?」
じゃあ何なんだよ『黒き星』って!
「それはボクにもわからないけど……もしかすると神の亜種とか、突然変異かもしれないね」
「そうか……」
「話を戻すけど、そのすごく汎用性の高いエネルギーに目をつけたある魔法使いが、神の細胞を元に魔女ヴィネラと一緒に作ったのが『人工の神』」
「……ふむ」
経緯はわからんが、言ってることはわかる。
「そしてその『人工の神』を複製して、改良したのが、ボクらのスヴァローグ初代と二代目」
「なるほど」
そういうことだったのか。
……いや、どういうことだよ。
「今はとりあえずそれだけ知っておけば良いと思うよ。ヴィネラが最終調整に入ってるんだったら、どうせそのうち『見る』ことになるだろうし、他にも聞きたいことはあるでしょ?」
「それは……そうだな」
経緯はサッパリわからないし、そのうち『見る』ことになるというのも意味不明だが、スヴァローグの大まかな成り立ちは理解した。
今は成り立ちの細かい部分を聞くよりも『その先』を優先すべきだ。
「それじゃあ、ヴィネラは何のためにスヴァローグを作ったんだ? ヴィネラの目的は?」
「それはボクにもわからない。でも大体の予想はついてるし、ボクらが担うべき役割なら知ってるよ。まず……おっと」
少年が空を見上げながら眉をひそめる。
「雨が降りそうだ」
「そうなのか? 雨雲とかは見当たらないが……」
「少し経ったらいきなり来るよ。天気雨だね。ひとまず雨宿りしよう」
少年はそう言うと街道の脇にある森に向かって手をかざし、呟いた。
「汝ら、現に映し出された影よ、その姿は仮初めに過ぎず……ええと、あとなんだっけ……まあいいや、『分子分解』からの――『小屋構築』」
少年が適当な呪文を唱えると街道の脇にあった森の木々が数十本、輝く粒子となって霧散した。
直後、粒子はすぐその場に再度集まり、今度は木造の小屋が出来上がっていく。
「うわっ……!? なんだそれ、超便利だな!」
「まあね。ボク基本、大抵のことはできるから」
「大抵のことは……?」
じゃあ、アイスクリームとピザ出したりとかは?
「できるよ。はい」
「っ!?」
少年が両手のひらをこちらに差し出すと、そこに箱入りのピザとカップ入りの抹茶アイスが突如として現れた。
「ほ、本物……?」
「キミの記憶から作ったから本物だと思うよ。ボクはいらないから食べてみたら?」
「……そういうことなら」
いただきます、とピザを一切れ指で摘み食べてみると、温かいチーズとトマトソースと焼けたハムの旨味がジュワッと口の中に広がった。
これは遠い、遠い昔に味わった宅配ピザ的な味……!
「本物だ……!」
「でしょ?」
「うまい……うますぎる……! 少年……いや、初代皇帝……あなたが神か……!」
「そんな大げさな……あ、ボクのことはルカって呼んでよ。少年とか皇帝じゃちょっと……」
「ルカ?」
なんでルカなんだ?
「アルカディウスの略だよ」
「へえ……?」
珍しい略し方だな。
アルカディウスを略すなら、普通は『アル』とかになりそうなもんだと思うが。
俺がそんなことを考えていると、少年……改めルカは目を伏せ、小さく呟いた。
「アルは……もう、いるからね」
「もういる?」
どういうことだ?
「うん……そうだね、キミには話しておこうかな。これはボクがヴィネラに協力する理由でもあるから」
ルカがそう言った直後、空が急に暗くなった。
そしてポツポツと水滴が落ちてきたかと思うと、まるで冗談のように激しい豪雨が突然、周囲一帯に降り始めた。
痛いぐらいに。全身に叩きつけるかのごとく。
あまりに急すぎて、もはや俺とルカは落ち着いて豪雨に打たれていた。
だってもうほぼ一瞬で全身、服の中までずぶ濡れなんだもんな。
そりゃ慌てる気も失せる。
「………………とりあえず、中に入ろうか」
「………………そうだな」
もう手遅れな気はするが、俺とルカは小屋に入って雨宿りすることにした。
ちなみに小屋のドアは普通サイズであり、そのままだと身長と肩幅の関係で通れなかったので、俺は身をかがめながらカニ歩きして中に入った。
「ひどい目に遭ったね……。ひとまず服を乾かそう。『水』『分子分解』『水蒸気』へ」
ルカがそう言った直後、俺とルカから勢いよく水蒸気が立ち昇った。
「うおっ!? 熱っ……くない?」
「熱で蒸発させてるわけじゃないからね。『水蒸気』『小屋の外』へ」
ルカの言葉通り、部屋の中に立ち込めていた水蒸気が開けっ放しだったドアから外に吸い込まれるように移動して、あっという間に消えていく。
「メチャクチャ便利だなぁ……それって呪文とか必要ないのか? 最初はなんか唱えてたと思うが」
「ああ、実のところ、何も唱える必要なんてないんだよ。やろうと思えば無詠唱でもできるし」
「必要ないのかよ……」
じゃあなんで最初にそれっぽい呪文唱えてたんだ。
「ボクの能力は自分自身の気分とかイメージとか、そういうのに結構影響されるからね。やっぱり詠唱ってあったほうが盛り上がるでしょ?」
「それはまあ……わかるけども」
盛り上がるって……その程度の話なのか。
なんか釈然としない。
「あはは、気持ちはわかるけど、でもボクだってここまで能力を使いこなすまで随分と苦労したんだよ? 最初は詠唱したって中々イメージ通りにいかなかったし」
「へえ……」
「あ、ドア閉めてくれない? なんか寒くなってきちゃったから」
「…………」
大抵のことはできる凄まじい能力を持っているのに……。
そんなのチョチョイと自分でドア閉めるか、自分を温めるかすればいいじゃん。
「あのね……自己紹介も兼ねてチョチョイと能力を使って見せてるけど、この力、実はかなり燃費が悪いんだよ。それに見た目ほど簡単じゃないし、神経使うし、疲れるんだ」
「なんだ、そうなのか」
思ってたより万能じゃないんだな。
「まあね。……昔は万能どころか、ほぼ全能に近かったんだけどね」
「ほぼ全能って……」
どんな能力だよ……すげぇ欲しいわ全能の力とか。
そんなことを考えながらドアを閉める際、外の様子を見てふと思った。
さすがにこの豪雨だったら学園祭は中止だろうな、常識的に考えて。
……約一名、常識というものが通じない少女がいたような気もするが。
「まさかこの雨の中で待ってるとか……」
あるかも……いや、ないか。
あいつはそこまで健気じゃないだろう。
もし万が一、待っていたとしたら……今度会った時に全力で謝り倒すしかないな。
俺はそうなった時のことを考えてやや憂鬱になりながら、ドアに背を向けてルカと向き合った。
●
場所は代わり、王国大の校門前。
常識というものが通じない少女、アイリスはひとり、豪雨の中で佇んでいた。
「…………いつまで待たせるのかしら」
アイリスはイライラしていた。
雨除けの術を掛けているため豪雨は自分を避けて当たらないものの、この持続型の魔術には少なくないアニマと集中力が費やされる。
魔術師として自身の気力とアニマに重きを置いている彼女にとって、それは『痛い』消耗だった。
とはいえ消耗の問題は屋根がある校舎にでも入れば解決できる。
しかし今回の学園祭をとても楽しみにしていたアイリスはそんな簡単なことにも気がつかず、ただひたすらにミコトを待っていた。
「まさか……また、約束を忘れてるんじゃないでしょうね……」
そしてアイリスは雨天中止という言葉すら聞いたことがない世間知らずだった。
「まったく、もしそうだったらただじゃおかな……きゃ!?」
雨避けの術が解け、全身が豪雨に打ちつけられる。
あまりの苛立ちに集中力が切れてしまったのだ。
冷たい雨で急速に体温が奪われていく。
慌てて術を掛け直そうとするが、精神状態がひどく不安定なせいか成功しない。
アイリスはそこまで至ってからようやく、屋根のある校舎内に入れば良いことに気がついた。
自分の迂闊さに歯噛みしながら踵を返し校舎に向かおうとする。
だがその直後から豪雨は勢いを失い、みるみるうちに小雨へ変わり、やがては完全に降らなくなった。
「………………なにをやってるのかしら、私」
まるで道化のような自分の姿に、アイリスは思わず呟いた。
「もう……全部、終わるのに」
どうしようもない虚無感に襲われ、何もかもが無意味に思えてくる。
「……いえ、違うわね」
自分の考えを自分で否定して苦笑する。
全部終わるからこそ。だからこそ、今のうちに。
まだ人であるうちに、人間らしい思い出を作ってみたかったのだ。
そう結論付けたと同時に、周囲の色がゆっくりと赤く染まり始めた。
「あぁ……結局、来ても来なくても……時間だったのね」
空を見上げると雨雲はすべて綺麗に消え去っていた。
そして目に映ったのは透き通るような青空ではなく、血をぶちまけたかのように濃く、不吉な赤い空。
『アイリス』
背後から声が聞こえた直後、アイリスの影から一匹の黒い鳥が浮かび上がり、その肩に飛び乗った。
『時は満ちた。戻れ』
「ええ、わかってるわ」
『わかっているのなら、こんなところで何をしている?』
「………………何も」
だだ自分にはやっぱり『お母様』しか居ないのだと、再認識しただけ。
それだけのことなのだと、アイリスは小さく笑った。