第百六十四話「いるはずのない人間」
フィルにある種の『賭け』的な計画を伝えてから数日後の夕方。
俺は王都の商店街を歩き回り、アイリスの気配を探していた。
「……やっぱり見つからないか」
結局、巨大魔法陣のところに連れて行かれたとき以来アイリスとは会っていない。
もう一度あの場所に行けばアイリスに会えるかと思い例の地下に続く入り口を探してみたこともあったが、やはり鍵となる呪文がないとダメなのか階段自体を見つけられず。
そんなこんなでとうとうアイリスのエスコートを約束した学園祭が明日に迫ってきたので、ダメもとで王都を探索してみたのだ。
一応モニカに手紙を託してはあるが内容が『ドタキャンするかも』という話なので、やはり直接伝えるに越したことはないからな。
それに巨大魔法陣関連のことでもアイリスには色々と聞きたいこともあったし……いや、結局会えなかったわけだが。
しかしアイリス本人も『忙しい』とは言っていたが、まさかアレから一回も姿を現さないとは思わなかった。
「帰るか……」
まあここまでヴィネラからなんの接触もないから、普通に考えたら明日の学園祭で会えるだろう。
……なんてことを考えると俺の場合、ことごとく裏目に出るからな。
明日は会えないものだと思っておこう。
そうすれば逆に会えるはず……あ、いや、そう思ったらダメなのか。
「ややこしいな……ん?」
ふと商店街の人混みで気になる後ろ姿を見つけた。
「あいつは……?」
どこかで見たことがある。
そう思った瞬間、『あいつ』はこちらを振り返り、俺を一瞥した。
「なっ……!?」
直後、俺は人混みをかき分けて走り出していた。
そしてもはや人外並みに高性能な身体能力を駆使して、みるみるうちに距離を詰めていく。
だがそれでも間に合わず、俺が辿り着く前に『あいつ』は人混みの中に紛れ姿を消した。
「あいつは……」
……誰だ?
いや、俺は『あいつ』を知っている。
会ったことはないが、顔も名前も知っている。
だが、だからこそ、ここにいるはずがないことも俺は知っている。
「他人の空似……ってレベルじゃないもんな」
わけがわからない。
「……帰ろう」
最近は色んなことがありすぎて、ただでさえ頭を抱えているのだ。
これ以上はマジ勘弁。
ということでスルーしよう。
案外、ただの超絶そっくりさんなのかもしれないし。
○
ということで時間は飛びその日の深夜。
ベッドの中であれこれ考えながら目をつぶっていると、目の前に突然濃密なアニマの気配を感じて飛び起きた。
『フフフ……驚いた?』
「ちょ、ヴィネラ……!」
半透明なヴィネラが俺の目と鼻の先で微笑んでいる。
驚いたっていうか、怖っ……!
前からそうだけどコイツ本当に神出鬼没にも程がある!
『時は満ちたわ。日の出と共にこの国を出なさい』
「それは覚悟してたけど、声をもっと下げて、静かに……!」
モニカが起きてきたら面倒だ。
『あら、失礼ね。ちゃんと念話で話してるわよ』
「あ……そうなのか。すまん」
言われてみれば確かに耳からじゃなく、頭に直接響く感じだ。
驚いてテンパってたからか気がつかなかった。
『早とちりねぇ。元の姿の時みたいに、もっとドッシリ構えたら?』
「ほっといてくれ。それで、日の出と共に国を出るってのはわかったけど、どこの門から出ればいいんだ?」
『北門よ。協力者が待ってるから、合流して帝国に向かってちょうだい』
「前にも言ってたけど、その協力者って……ちょ、ちょっとちょっと!?」
話の途中でヴィネラがこちらに手を伸ばしてきた。
そしてそのまま半透明な腕をズブズブと、俺の胸に沈めていく。
「なにやってんの!?」
『スヴァローグの最終調整が必要なのよ。だからしばらくアタシ、アナタの中で作業するから』
「作業って……うひゃあ!?」
ヴィネラは俺の胸に沈めた腕をぐるぐる回したかと思うと、次の瞬間、全身でこちらにのしかかってきた。
するとなんとも形容し難いむず痒いような感覚が全身を襲い、半透明なヴィネラは俺に重なる形で消えていった。
「おい、ヴィネラ……おいっ……!」
「……もー! ミコトうるさいよー! 明日学園祭なんだよ!?」
ヴィネラは返事をせず、代わりに下段ベッドで寝ていたモニカが起きてきた。
「楽しみなのはわかるけど、もう寝ないと起きれないでしょー!?」
「あ、モニカ、そのことなんですが……前に『アイリスに会ったら渡しておいてください』て言ってた手紙があったじゃないですか。あれ、明日の学園祭でアイリスに渡しておいてくれますか?」
「ええ? なんで? 自分で渡せばいいのに」
「実は私、急用が出来まして……明日は学園祭に出られなくなったんですよ」
なんとなく予想はしてたが、まさかこんなタイミングだとは思わなかった。
ここまでくるとヴィネラがわざと学園祭直前を狙って言った可能性すらある。
あいつ人をからかって遊ぶの好きそうだし。
「え……ミコト、なに言ってるの?」
「早朝から出かけるので、学長に出す休学届もすみませんが代わりに提出お願いします。両親への手紙はギルドに寄って出しておくので」
「だから、なに言ってるの!?」
そのあとは中々こちらの言い分を理解してくれないモニカをなんとか説得し、アイリス宛ての手紙と休学届を押し付けて寮を出た。
そして二十四時間営業している冒険者ギルドに足を運び、伯爵と夫人宛ての手紙を出す。
モニカにも説得する際に直接言ったが、手紙の内容は『冒険者時代に恩を受けた人からの依頼をこなしてくるので、しばらく大学を休みます。急を要するのですぐ王国を出ますが、危険はまったくないので心配しないでください』というものだ。
よくよく考えたらヴィネラにはベニタマによるこの世界への転生で一回、同じくベニタマによる虫型魔物の巣での蘇生で二回、千年荒野での蘇生を含め合計三回の恩があるからな。
一回『依頼』をこなしただけで良いというのは相当良心的だろう。
まあ命を盾に半ば脅迫的な形で命令されているのと、その『依頼』の内容が問題ではあるのだが。
「はぁ……」
俺は小さくため息をつきながら冒険者ギルドを出た。
なんだか最近……っていうか、こっちの世界に来てしばらくしてからずっと、しがらみが多いよな……。
こっちの世界に来たばっかりの時は将来のことを考えるとワクワクして終始楽しかったのに、今はなんだかそのワクワク感もない。
「自由になりたいな……」
そしてあの頃のワクワク感を取り戻したい。
昔に比べて順調に力はつけているから、自由さえあれば人生を謳歌できるはずなのだ。
もちろん今の俺はシルヴェストル伯爵家の一員になっているから完全なる自由は望むべくもないだろう。
しかしそれでもヴィネラやジル・ニトラ、黒き星や巨大魔法陣関連のことを何とかすればかなり自由になるし、気が晴れるはずだ。
「よし」
サクッと片付けてさっさと帰ってこよう。
そう決意しながら周りに人目がないことを確認し、風魔法で空を飛ぶ。
それから空を経由して北東の森深部まで移動した。
パワースポットであるこの場所で『真実の指輪』を使い、元の姿に戻るためだ。
「このあたりかな……っと」
俺は無限袋から神器である『真実の指輪』を取り出して手のひらに乗せ、アニマを込めた。
すると自分のアニマがドンドン指輪に吸い込まれていく。
それに加えて大地、大気中からもアニマを吸い上げてる感覚が……あれ?
なんか変だ。大地と大気中からアニマを吸ってる感じがしない。
いや、正確に言えばちょっとは吸ってる感じがあるんだが、前回使用した時と比べると雲泥の差で少ない。
なぜだ。前回と何が違うんだ。
前回と違うこと……あっ! もしかして巨大魔法陣か!?
「そうか、そっちに吸い取られてるのか」
これは想定外だった。
しかもふと空を見上げると、月は三日月。
……そういえば、使用条件に『満月の夜』っていうのもあったな。
「ぜんぜんダメじゃん……」
このままじゃ元の姿に戻れない。
どうしよう。『真実の指輪』を作ったのはジル・ニトラだから、本人に直接会いに行けば別の方法でなんとかなるのかもしれないが、それだったら他にパワースポットを見つけて満月の夜を待つほうが俺的には気が楽だ。
でも日の出と共に旅立つようヴィネラに言われてるからな……。
……待てよ?
ヴィネラならなんとかできるのでは?
「おーい、ヴィネラ! 助けてくれー!」
『なに?』
「うわっ!?」
頭に直接ヴィネラの声が響いて驚く。
相変わらず姿は見えない。
『アタシ忙しいんだけど』
「いや、実はさ……」
俺は『真実の指輪』のことをヴィネラに話した。
『そんなことでアタシを呼んだの?』
「俺にとっては死活問題なんだよ。頼む、なんとかならないか?」
『まったく、しょうがないわねぇ……』
ヴィネラがそう言うと、何やらグニャグニャと内蔵を素手でかき回されているような気持ち悪い感覚が襲ってきた。
それから数秒もしないうちに俺の身体からアニマがゴッソリと抜け、目の前にふたつの光球が浮かび上がる。
『左側の黄色っぽいのが大地のアニマ代わり。右側の青色っぽいのが満月のアニマ代わり。アナタのアニマを変換して作ったから』
「お……おおお! ありがとう!」
『もうくだらないことで呼び出さないでよ』
それを最後にヴィネラの声は聞こえなくなった。
俺の中で作業とやらに戻ったのだろう。
しかしヴィネラのヤツ本当に『なんとか』してくれるとは。
試しに言ってみるもんだな。
「さて」
気を取り直して、もう一度手のひらの上にある『真実の指輪』にアニマを込める。
すると目の前に浮かんでいた黄色と青色の光球がそれぞれ指輪に吸い込まれ、加えて俺のアニマもギュンギュン吸われ始めた。
どうやら今度はちゃんと動作したようだ。
しばらくすると、自分の周囲に白っぽい糸のようなものが張り巡らされ始める。
前の時と同じく蚕の繭みたくなるのだろう。
そして一晩掛けて変身する、と。
……日の出までまだまだ時間はあるが、間に合うだろうか。
そう思った瞬間、俺は異常な眠気に襲われて――そのまま意識を失った。




