第百五十七話「質問」
「ヴィネラ!」
「久しぶりね、イグナート。いえ、今はミコト、って呼んだ方がいいのかしら?」
金髪碧眼の魔女はそう言いながらクスクスと笑った。
「たまにアナタの様子を見てはいたけれど、こうして話すのは……千年荒野に転移魔法陣が開いた時以来ね」
「……その節は、どうもありがとうございました」
詳細は不明だが、確かヴィネラにとって俺を生かしたのは『その時』が来るまでの『暇潰し』だったはずだ。
だとするならば。
「まさか、『暇潰し』はもうおしまいですか?」
「いいえ。まだ『その時』じゃないわ。もうそろそろではあるけれど」
「そうですか。ちなみに『その時』が来たら私はどうなるのか、聞いてもいいですか?」
「聞いてどうするの?」
「わかりません。でも自分のことなので、聞かないよりは聞いておいた方がスッキリするかと思いまして」
「スッキリねぇ……」
ヴィネラは再びクスクスと笑いながら、俺の隣に立つアイリスに視線を向けた。
「アイリス・ノワール・ドゥーム・レディアント。アナタは私に何か、聞きたいことはないのかしら? たとえば……そうね、自分の肉親について、とか」
「…………」
「あら、真面目ねえ……お母さんに『魔女とは話すな』とでも言われたのかしら?」
「…………」
「ヴィネラ。こっちの質問に答えてください。私はこれから先、どうなるんですか?」
「そんなに焦らなくても、そう悪いことにはならないわよ、多分。それもアナタ次第だけれど」
「……答えてはくれないんですね」
「アナタの答えは、アナタが見つけるのよ」
魔女ヴィネラの姿が徐々に薄れ始め、空気に溶け込むように透明化していく。
「そのうちアナタを私の協力者が迎えに行くわ。そしたらアナタは彼について行きなさい」
「断ったら?」
「死ぬわね」
「それは嫌です」
棚ボタ的に得た二度目の人生ではあるが、できることならもっと生きたい。
「なら彼について行きなさい」
「彼って誰ですか? 私の知ってる人ですか?」
「会ったことはないでしょうね。でもアナタがよく知っている人間よ。中身はともかく、外見は」
「外見? ……どういう意味ですか?」
「フフフ、本人を見ればわかるわ」
徐々に透明化していたヴィネラの姿が完全に消えて、何もない空間から声が聞こえてくる。
『じゃあね、ミコト。またそのうち会いましょう』
「待ってください! あなたの目的は!?」
声が聞こえてきた方向に向かって問い掛けるも、返事はない。
この場から離れてしまったのだろうか。
「相変わらず自由なヤツ……」
そう俺が呟くと、隣にいたアイリスが突然ガクリと地面に膝をついた。
「アイリス!?」
「あれが……創世の魔女ヴィネラ……」
地面にしゃがみ込んで呟くアイリスのひたいには、いつの間にか大粒の汗が浮かび上がっていた。
「なんて……なんて禍々しい……お母様に話を聞いてなければ……ミコトがいなければ……私は……」
「アイリス?」
「……アナタはいつだって、変わらないのね」
アイリスは俺を見ると小さく笑って立ち上がった。
「アナタやスヴァローグのことで色々と気になることもあるけど、アナタ自身も本当に何も知らないみたいだし、私が問い詰めたところで意味はないわね」
「やっとわかってもらえましたか」
「ええ。……ただ、アナタがこれからどうするにせよ、私の邪魔だけはしないでもらえると嬉しいわ」
「それは……」
「約束できないんでしょ。わかってるわよ。その代わり、学園祭のエスコートはすっぽかさないでね」
「随分と念を押しますね」
「楽しみにしてるもの」
アイリスはそう言ってニッコリと笑った。
プレッシャーがすごい。
忘れないようにしなければ。
◯
それから数時間後の朝。
俺は寮の屋根に登り、寝転がって空を見上げながら考え事をしていた。
「他言無用、か……」
地下から地上に出て俺と別れる間際。
アイリスは俺に『巨大魔法陣の存在は他言無用』だと言い含めた。
しかし、俺はセーラに『異変の原因について何かわかったら知らせる』と約束している。
「うーん……」
どちらを立てても、どちらかの約束を破ることになる。
「どうすれば……ん?」
寮の中で俺を呼ぶ声がする。
この声はモニカだ。
「よっと」
俺は寮の屋根から庭に飛び降りて、こちらに向かってくるモニカを待った。
「あ、ミコトここにいたんだ」
「どうしたんですか、モニカ」
さも今気がついた風を装って聞く。
「ミコトに手紙がきてたよ」
「手紙?」
モニカから手紙を受け取り裏を見ると、そこには『セーラ・ウィンザー・ベアトリス・ディアドル』と書いてあった。
「なんだろう」
封筒を開けて中身を読む。
ふむふむ、なるほど。
……マジか。
「どうしたの?」
「なんでもないです」
手元を覗き込んできたモニカから手紙を後ろ手に隠して答える。
手紙の内容は要約すると『例の件は魔術師ギルドとディアドル王国で解決したので、調査の必要はなくなりました。詳細は守秘義務があるため話せませんが、ご心配には及びません。お手数をおかけしました』的な内容だった。
具体的なところはボカしてあるから読んでわかる内容ではないが、念には念を入れてモニカには読ませない方がいいだろう。
「へえー、秘密なんだ、ふーん、そうなんだー」
「な、なんですか?」
「ううん、別にー。ミコトってなんか秘密が多いなぁって思っただけ。なんか昨日も夜中に抜け出してたし」
「う……」
バレていたのか。
「別にいいんだけどねー、あたしなんか、ただ寮が同じ部屋ってだけで結局はその他大勢のひとりなんだろうしー、別にいいんだけどねー」
モニカはそう言いながら俺に背を向け、寮の中へと入って行った。
寮の中に入る直前こちらをチラ見していたので、多分追いかけてきてほしいのだろう。
「…………」
モニカの機嫌取りはあとでするとして、まずは確認しなければならないことがある。
俺は懐から無限袋を取り出して、その中に入っているギルドカードを手に取った。
「ええと……」
前にも思ったが、このギルドカード操作方法がわかりにくい。
普段滅多に使わないから慣れないだけかもしれないが。
「これで掛かったはず……」
『ジル・ニトラだ。どうしたイグナート』
「相変わらず早いな」
『他ならぬキミからの連絡だからね。……おや?』
「なんだ?」
『いやなに、キミは少女の肉体を嫌がっていたと思ったが……どうやら声からして、まだ真実の指輪を再使用はしていないようだな』
「…………」
『確かもうあれから一年は経っているだろう。元の姿には戻らないのか?』
「……ちょっと事情があってな」
しかもかなり特殊な事情だ。
人に話せるような内容じゃない。
『ふむ、そうか。まあ満月の夜とパワースポットが必要という縛りはあるが、真実の指輪は前回の使用から一年間経っていればいつでも再使用できる。好きなタイミングで使うといい』
「ああ、そうさせてもらう。……ちなみに再使用したら今の姿に戻るまで、また一年間はインターバルが必要なのか?」
『そういうことになるな』
「そうか」
『なんだ、その姿が気に入ったのか?』
「そういうわけじゃない」
ただ俺は、伯爵と夫人を悲しませたくないだけだ。
あの二人にとって俺は、今は亡き娘の代わりなのかもしれない。
俺にとってあの二人は、自分を捨てた両親の代わりなのかもしれない。
俺が自分の本当の正体を明かせば、明日にだって壊れる歪で嘘に塗れた関係なのかもしれない。
それでも俺は、たとえ嘘に塗れているとしても、今の関係を壊したくはない。
あの二人には笑って幸せでいてほしい。
そう思う気持ちだけは本当で、本物だ。
『ふむ……どうやら心境の変化があったようだね。それは先ほど言っていた事情とやらが関係しているのかな?』
「いや、まあ……その話はちょっと勘弁してくれ。そもそも今日はそれとは別件であんたに聞きたいことがあって連絡したんだ」
『ほう? なんだ? なんでも聞いてくれたまえ。他ならぬキミが相手だ。私にわかることであれば何でも答えよう』
「じゃあ聞くが、ジル・ニトラ」
俺は大きく深呼吸をしてから、その言葉を口にした。
「あんたは、『黒き星』を知ってるか?」