第百五十六話「巨大魔法陣」
「……ということは?」
「その事件、私もお父様も関わっているわ」
「そう……ですか」
「でも安心して。アナタが心配するようなことにはならないから」
「どういうことですか?」
「私とお父様は……いえ、魔術師ギルドは、世界を救うために動いているのよ」
俺を見つめるアイリスの金と銀のオッドアイが妖しく光る。
「だから大丈夫。何も心配はいらないわ」
「……アイリス。私に魔眼は効きませんよ」
「魔眼? ……ああ、ごめんなさい、煩わしかった? 無意識で使っちゃってたみたい。ワザとじゃないのよ? 気持ちが入るとたまに使っちゃうの」
「えぇ……」
「でもアナタには効かないんだからいいでしょ?」
「いや、まあ私は大丈夫ですけど。でも他の人だったら効いちゃうわけですよね? だったら気をつけてもらわないと」
「アナタ以外と話すことなんて私、ないもの」
「そんなこと……」
……いや、アイリスなら普通にあり得るか。
なんて悲しい少女なんだ。
「同情するなら、私がやってることは放って置いてくれると嬉しいわね」
「それとこれとは話が別です」
「冷たいのね」
「冷たいですよ。知ってるでしょう?」
「ええ、知ってるわ。一度はアナタの心の奥底まで覗いたんだもの。モニカ、セーラ、スフィ、ティタ、イルミナ、ミサ……アナタが大事に思っている人間は多いけど、それは上辺だけ。本当のアナタは孤独で、冷たい、残酷な人間」
「はあ、そうですか」
「私によく似てるわ」
「もうどこにどうツッコミを入れたらいいのかよくわからないんですけど、さっきの話に戻していいですか?」
「どうぞ」
「世界を救うために動いてるって、どういう意味ですか?」
「そのままの意味よ。ああでも、『世界を』というより『人類を』と言った方が正確かしら」
「人類を?」
「そう、人類を。……アナタ、あの『黒き星』が見えないの?」
「見えないですけど……『黒き星』って、なんですか?」
「…………」
「アイリス?」
「……ついて来なさい」
「え? あ、ちょっと!」
急に体を起こして立ち上がったアイリスは、そのままハシゴを使って二段ベッドの上段から床に下りた。
「どこに行くんですか!?」
「秘密基地」
アイリスはそう言いながら寮の部屋を出て廊下を歩いて行く。
どこに置いてあったのか、彼女の右手にはいつの間にか木で出来た箒が握られていた。
「秘密基地って……」
「飛ぶわよ」
寮の外に出たアイリスは俺の言葉を無視して箒にまたがり、空へと飛び立った。
俺も慌てて風魔法を使いその後を追う。
そしてしばらく飛ぶと、見覚えのある森が見えてきた。
北東の森だ。
それから更に北東の森上空を飛んで移動すると、森が大きく開けた場所に着いた。
「ここは……」
「元、虫型魔物の巣があった場所よ。アナタが『真実の指輪』を使ってその姿になった場所でもあるわね」
「なんで知って……って、そういえば私、アイリスにひと通り記憶を読まれたんでしたっけ」
「そうよ」
「…………」
「どうしたの?」
「なんでもないです……」
自分の波乱万丈な過去を振り返って、ちょっと遠い目になってただけである。
アイリスはそんな俺を見て首を傾げたあと、懐から小さな杖を取り出して何やら呪文を唱え始めた。
すると地面の一部がスッと消えて、地下に向かう階段が現れた。
「ここは?」
「だから言ってるじゃない。秘密基地よ」
「いえ、そういうことではなく……」
「いいからついて来なさい」
アイリスはそう言いながら杖の先に光の球を浮かべ、階段を下り始めた。
……面倒そうな気配が濃厚だが、仕方ない。
これもセーラに恩を返すためだ。覚悟を決めよう。
そしてしばらく階段を下りて暗い通路を歩いていくと、小さなドーム状の地下空間に出た。
「アイリス様」
何もないように見えるドーム正面の壁が消えて、そこから黒いフードを目深に被ったローブ姿の男が現れる。
「そちらの少女は?」
「私の身内よ」
「身内……ですか?」
「そう、身内。だから通るわよ」
「お待ちください。いかにアイリス様といえど、組織外の人物をそのように……」
「問題ない」
アイリスの瞳が怪しく光る。
「何も『問題はない』。……そうね?」
「…………はい。何も、問題はありません」
「わかったのなら、下がりなさい」
「……はい」
「じゃ、行くわよミコト」
「えぇ……」
俺は虚ろな様子で道を開けたローブ姿の男を横目に見ながら、アイリスの後ろについて行く。
「アイリス、いいんですか?」
「何が?」
「さっき、魔眼を使ってましたよね?」
「そうだった?」
「そうでしたよ」
「じゃあ、きっと相手の物分かりが悪かったのね」
「いやいやいや……」
そういう問題じゃないと思う。
「っていうかアイリス、私以外の人間と話すことはないって言ってたの、嘘じゃないですか」
「あんなの話したうちには入らないわよ」
「それはそうかもしれませんけど」
「でも結局は魔眼を使ってる、って? いいじゃない、別にそんなこと。どうせ人間の意思なんてあってないようなものなんだから」
「あってないようなものって……」
「着いたわよ」
暗い通路を抜けると形状こそ同じだが、規模は先程と比べものにならないぐらいに大きいドーム状の空間に出た。
目の前には金属の手すりがあり、数十メートル下では巨大な魔法陣らしき模様が赤く光っている。
「あれは……」
「あれが大地や動植物からアニマを吸い取っているものの正体よ。正確にはあれ自体じゃなくて、あれに繋がるよう張り巡らされた吸気根が吸ってるんだけど」
「吸気根」
「ちなみに魔法陣はあれだけじゃなくて、世界中の地下に配置されてるわ」
「世界中? 大陸中じゃなくて?」
「世界中よ」
「どうして……」
「それだけのアニマが必要なのよ」
アイリスは眼下の巨大魔法陣を眺めながら、淡々と言葉を続けた。
「これは今に始まった話じゃないわ。私が生まれる前……それこそ何十年も前から、準備はされていた。私はそれの術式を起動させていっただけ」
「起動?」
「そうよ。アナタには確か、起動作業を見られたことがあったと思うけど」
「…………」
俺は王都広場で何やら怪しげな行動をしていたアイリスのことを思い出した。
素っ裸にボディーペイントで何やってるのかと思ったら、その起動作業とやらをしていたのか。
「それもこれも、『黒き星』から人類を救うため」
「『黒き星』とは?」
「……アナタ、本当に知らないの?」
アイリスが訝しげな表情で俺の目を見つめてくる。
「知らないって、なんの話ですか?」
「まさか、アナタ自分が無関係だとでも思ってるの?」
「え……?」
「アナタの中にいるスヴァローグは、あの『黒き星』をなんとかするために魔女ヴィネラが作ったんじゃないの?」
俺に近づき問い詰めてくるアイリス。
「ちょ、ちょっと待ってください。スヴァローグって、ベニタマのことですか? そんなこと私に聞かれてもわかりませんよ。知ってるはずでしょう? 私の記憶をひと通り覗いたんだったら」
「記憶をひと通り覗いたと言っても、余すところなく全部ってわけじゃないし、それに私が記憶を覗いたあとに魔女ヴィネラとアナタが接触してるかもしれないじゃない」
「接触してません。そもそも、魔女ヴィネラがいったい何者なのかも私はまったく知らないんです」
俺は詰め寄ってきたアイリスの両肩を掴んで言った。
「教えてください。魔女ヴィネラって何者なんですか?」
「……肩、痛いんだけど」
「あ……すみません」
「…………嘘はついてないみたいね」
「ついてないですよ。最初からそう言ってるじゃないですか」
「…………」
アイリスは俺の言葉に小さくため息をついてから喋り出した。
「魔女ヴィネラ。別名『創世の魔女』」
「『創世の魔女』?」
「一説によると、創世の時代からいるらしいわ。嘘か本当かは知らないけど」
「創世の時代って……どれくらい前ですか?」
「今の創世記が本当なら、十億年ぐらい前ね」
「十億年!?」
「まあ、今の創世記は殆どが帝国に都合よく作られた読み物だから信憑性は薄いけど……でもあの魔女は帝国の初代皇帝のかたわらで暗躍していたらしいから、相当昔からいるのは間違いないわね」
アイリスはそう言いながら俺のみぞおち辺りに人差し指を突き立てた。
「古人いわく、『かの魔女は実体がなく神出鬼没。そして暇潰しと称して人間に取り引きを持ち掛ける。しかし賢明なる者よ、決して応じることなかれ。応じれば汝は魔女に魂を吸い取られ、この世の理から外れることになる』」
「わ、私は取り引きなんて応じてないんですが」
「本当に? 記憶をいじられてるとか、そういうオチではなくて?」
「いや、それこそ私にはわからないじゃないですか。あの魔女ならそういうことやっててもおかしくはなさそうですけど」
『フフフ……失礼ね。アタシは人の自由意志を尊重するわ。記憶をいじるだなんて、そんなことしないわよ。どこかの神竜さんと違ってね』
どこからともなく声が聞こえてきた、その直後。
手すりの向こう側にある空間が歪み、何もない空中に突如として黒いとんがり帽子にローブ、マントを身に付けた金髪碧眼の魔女が現れた。