第百五十五話「大正解」
セーラと屋敷で話してから数日後。
王国大学のグラウンドにて。
「あ! 思い出した!」
俺はセーラと話していた時に忘れていた『何か』を思い出した。
「アイリス……」
そういえば、前にどこかでアイリスが言っていたのだ。
自分の父親は魔術師ギルドの会長だ、と。
「…………」
セーラと話している時は忘れていたので関係ないと思っていたが、この思い出した記憶を加味するとアイリスに対する見方が変わってくる。
アイリスの不審な行動と、魔術師ギルドの中枢スタッフが関わっているとされる各地方の異変……考えすぎかもしれないが、これらはもしかしたら無関係ではないのかもしれない。
「ミコト……わたしを前にして、随分と余裕ね……?」
そう言いながら木剣を片手に俺と対峙しているのは、水色の長髪と涼しげな目元が特徴的なA級冒険者、スフィ・トゥルク・リングロード。
「いえ、ぜんぜん余裕ではありませんよ。ちょっと現実逃避してただけです」
俺は意識を目の前の状況に戻した。
俺とスフィが対峙しているのを、大勢の女生徒たちが遠巻きに見学している。
これは言わずもがな、修練教官による『外部講師招致』の結果だ。
エウラリアさんとサリナさんでは俺の本気を引き出すことができなかったと見て、修練教官はA級冒険者であるスフィを呼んだらしい。
「現実逃避……ね……フフフ……」
スフィはうつむいて、小さく笑い始めた。
怖い。
「いいわ……アナタの言い分はあとで聞くとして、今は仕事をしましょう。アナタの剣術がどれだけ成長したか、確かめる良い機会でもあるし」
「け、剣術ですか……」
「そうよ。成長してるでしょう? だって、週一でわたしから剣術を教わるって約束を反故にするぐらいなんだから」
そう言ってニッコリと笑うスフィ。
「もちろんアナタは魔法の使用禁止。身体能力強化もわたしと同程度で、純粋に剣術のみで戦うこと」
「あ、あの……スフィ……」
「できるわよね? いつもやってたから」
「…………はい」
俺はスフィの圧力に屈した。
どうやら適当にやって誤魔化すのは不可能なようだ。
そんなことを考えていると、周囲で見学している女生徒たちがヒソヒソと話し始めた。
ここ最近お馴染みのパターンだ。
耳をすませて聞かなくても話している内容はだいたい想像がつく。
「さぁ、ミコト……いくわよ!」
「……はい」
俺は木剣を片手に覚悟を決めた。
◯
スフィとの模擬戦と修練時間が終わり、昼休み。
俺はグラウンドの端にある大きな木にスフィと二人で寄りかかっていた。
「ふーん……アイリスねぇ……」
「そうなんですよ。そのアイリスって子が当時、相当に怪しくって……いや、今も怪しいんですけど、だからこそ、親友であるスフィを巻き込みたくないと思いまして……」
「……だから、ミコトはわたしに内緒で王国大に通ってた、ってこと?」
「そういうことです。だから、決してスフィのことを忘れてたというわけでは……」
「ミコト」
スフィは俺の頬に手を伸ばすと、その肉をつまみ上げた。
「す、すふぃ……?」
「わたし、そんな心配されるほど弱いつもりはないんだけど」
「……ごめんなふぁい」
「…………」
スフィは俺の頬から手を離すと、無言でそっぽを向いた。
「スフィ……」
「……なんか」
「はい?」
「なんか、空が暗くない?」
スフィは空を見上げながら呟いた。
「そうですか? 私は特に暗いとは思いませんが……」
「そう?」
「ええ」
「……そう。じゃあ気のせいね」
「…………」
「それはそうとして、ミコト。さすがにないとは思うけど、もし次もわたしに黙って消息を絶ったりしたら……」
「しません。反省しました。もう二度としません」
「返事が軽い」
「えぇ……」
「だいたいミコトはね、いっつも……」
スフィはそのあと俺に対しさんざん説教をしたのち、『また来るから』と言い残して大学を去っていった。
◯
大学で今日分の講義を一通り出席し終えたあと。
俺はアイリスを探すべく、ディアドル王国上空から王都を眺めていた。
「…………」
空の雲で視界が隠れる手前ギリギリの高度から、超視力で王都を端から順に探していく。
普通はこれだけ地上から離れていたら人なんて砂粒どころか、存在すら知覚できないはずなのだが……俺の目はハッキリと人ひとりひとりを認識していた。
……昔はここまでの超視力じゃなかったような気がするんだけど、なんか俺、日に日に人外化が進んでいるような気がするな。今更だけど。
「………………今日は無理か」
そのまましばらく上空から王都を眺め続けたが、アイリスは見つからず。
日が落ちて辺りも暗くなってきたので、その日は寮へと戻った。
◯
「おやすみ、ミコト」
「おやすみなさい、モニカ」
俺は部屋の明かりを消してモニカと就寝前の挨拶をしたあと、寮の二段ベッド上段で横になった。
だが実際に眠りはしない。
今日アイリス探しを早々に切り上げて寮に戻ってきたのは、夜になればアイリスがたまに俺のベッドへ潜り込んで来るという事実を思い出したからだ。
俺のベッドにアイリスが来る頻度は決して高くはないが、それでも来たら確実に見つけられる。
それは上空から王都を見張ってアイリスを見つけることができる確率よりはよっぽど高いだろう。
「…………」
あとはただひたすら、ベッドの中でアイリスが来るのを待つだけである。
◯
そしてアイリスを探し始めてから数日後の夜。
未だに見つからないアイリスを待ち構えるため、俺は今日も今日とてベッドの中で起きていた。
「…………」
暇というものに苦痛を感じるタチであるため、ジッとしている時は強敵との模擬戦でも想像しながら時間を潰しているのだが、流石にいい加減もう飽きてきた。
アイリスめ……探してない時はちょくちょく目撃してたのに、いざ探し始めると全然見つからないとか、どうなってるんだいったい。
そんなことを考えていると次の瞬間、まるでタイミングを計ったかのように部屋のドアが小さな音を立てながら開いた。
「…………」
ゆっくりと、誰かが息を殺して二段ベッド上段に登って来る気配を感じる。
誰かがっていうか、気配でなんとなくわかる。
これはアイリスだ。
「……ミコト、起きてるの?」
「…………」
アイリスは二段ベッドのハシゴに登って俺を覗き込みながら問い掛けてきた。
……なんで俺が起きてるってわかるんだ?
「前にも言ったけど私、アストラル体の揺らぎ方で相手の精神状態がなんとなくわかるのよ」
「…………」
そういえばそうだった。
じゃあアイリス相手に寝たフリとか意味ないじゃん。
「まあでも別に、夜は寝るものだから……いいわよ、寝たフリしていても」
アイリスはそう言いながらベッドに入り込み、俺のパジャマに手を伸ばしてくる。
「……ちょっと、なんで防御するのよ」
「…………」
いや、そりゃ防御するだろう。
裸族じゃあるまいし、脱がされるままにしておくわけがない。
俺はいたってノーマルだ。
「なんでそんなに抵抗するのか私にはよくわからないけど……まあいいわ」
アイリスは俺のパジャマから手を離すと、そのまま横から抱きついてきた。
「…………」
「…………」
「……ねぇ、ミコト」
「……なんですか」
「約束……忘れないでね」
「…………」
「…………」
「…………」
「……え、まさか忘れてる?」
「え、えっと……ど、どの約束ですか?」
「どの約束って……私の記憶には、ひとつしかないのだけれど……?」
「うっ……」
「……本当に忘れているの?」
「……ごめんなさい」
「あきれた……」
アイリスは小さくため息をつくと、小声で俺に耳打ちした。
「ヒント。レオ少年」
「ああ、学園祭!」
「思い出した?」
「思い出しました。学園祭をエスコートする約束でした」
そうだ。
レオ少年の更生計画をアイリスからアドバイスしてもらう代わりに、彼女を王国大の学園祭でエスコートする約束をしていたんだ。
「そうよ。……私は結構楽しみにしてたんだけど、アナタにとってはどうでもいいことだったみたいね」
「そ、そんなことはないんですけど……」
「いいのよ別に。取り繕わなくても。アナタは私のこと嫌いだものね」
「嫌いじゃないですよ」
「以前よりは、でしょ? 結局『ディナスよりはマシ』レベルなんでしょ?」
「うっ……結構アイリスって根に持つタイプなんですね……」
「そうね。そうかも。そんなアナタは、根に持つタイプが嫌いよね?」
「根に持つタイプが好きな人っています?」
「さぁ? いるかもしれないわよ。私は嫌いだけど」
「…………」
ツンツンしてるなぁ……。
「……アイリス、怒ってます?」
「怒ってはないけど、お世辞にも機嫌が良いとは言えないわね。大事な約束は忘れられてるし、何やら疑われてるし」
「え……」
「何か言いたいことがあるなら、ハッキリ言ったらどう? 私には嘘も隠し事もできないんだから」
「…………わかりました」
俺はセーラと屋敷で話した内容を、セーラのことは伏せてアイリスに聞いた。
◯
「……という、話なのですが」
「ふーん……今、各地方で起こっている植物や動物、魔物や土地が痩せ細る異変に、私が関わっているかどうか……ね」
「はい。とある筋の調べでは、その事件には魔術師ギルドの中枢スタッフが関わっている、との話でしたから」
「なるほどね。私のお父様は魔術師ギルドの会長だし、私の最近の行動を見てたアナタだったら、そういった結論に至ってもおかしくはないわね」
「話が早くて助かります。……それで、実際のところはどうなんですか?」
そう問いかけると、アイリスはより一層ピッタリと身を寄せてから、俺の耳元に囁くよう言った。
「――大正解よ」