第百五十四話「異変」
ベックマンさんの講義から数日後。
俺は相変わらず王国大学の講義室、その一番後列の左端で頭を下げて必死に気配を殺していた。
なぜならば。
「今日の特別講義を担当させて頂くセーラ・ウィンザー・ベアトリス・ディアドルです。主に生体魔術を専門としています。よろしくお願い致します」
うちの大学に深緑の前髪パッツン触覚ヘアーでお馴染みの宮廷魔術師、セーラがやってきたからだ。
「先生ー! なんで今日に限って自己紹介したんですかー? みんな知ってますよー?」
「ええ、そうですね。この大学には定期的に講師として訪れますから、皆さん私のことはご存知だと思います。ですが、今日は私のことを知らない生徒もいると思いまして」
前列に座る女生徒の質問に、セーラはゆっくりと視線を動かしながら答えた。
「ですよね? ミコト・イグナート・フィエスタ・シルヴェストルさん」
「…………はい」
そしてセーラのその視線は、講義室の一番後列、左端の隅っこで頭を下げる俺に向けられていた。
「アナタは入学時期の関係で講義内容が途中からになりますから、わからないことがありましたら何でも気軽に質問してくださいね?」
「……はい」
「イグナートさん、どうかしたのですか? 気分でも悪いのですか?」
「いえ……悪くないです……」
「では顔を上げましょうね? そんな風にうつむいてたら黒板が見えないでしょう?」
「はい……」
俺が観念して顔を上げると、教壇に立つセーラはニッコリと笑って講義を開始した。
すると俺の右隣に座っているモニカが「ねぇねぇ」と小声で呼び掛けてきた。
「……なんですか」
「なんでミコト、セーラ先生にミドルネームで呼ばれてるの?」
「さぁ……なぜでしょうね……」
そうトボけてみるものの、正直なところ俺には見当がついている。
多分、セーラには俺が『真実の指輪』を使って変身したイグナートだとバレているのだろう。
冒険者時代の俺……『二代目イグナート』の噂はギルドに限らずどこでも聞けるからな。
俺がセーラの屋敷を訪問して『姿を変える神器』のことを話した直後に『二代目イグナート』が冒険者ギルドに現れたとなれば、これはもう完全にそいつが怪しいだろう。
「ハァ……」
セーラにはバレたくなかったのになぁ……色んな意味で。
俺がそんなことを考えながらため息をついていると、他の生徒たちが一斉に手を挙げ始めた。
考えごとをしていて俺は聞いてなかったが、状況的に考えておそらくセーラが『この問題わかる人?』とでも言ったのだろう。
まあ俺の場合は問題がわかってもわからなくても、手を挙げるつもりはないから関係ないんだけど。
「はい、それではこの問題を……イグナートさん」
「……はい?」
「前に出て、この問題を解いてください」
「…………え?」
「聞こえませんでしたか? 前に出て、この問題を解いてください。ミコト・イグナート・フィエスタ・シルヴェストルさん」
「え……えっと……」
手を挙げてない自分が当てられたことに若干混乱しながらも、黒板に書かれている魔術式問題を読む。
……あ、これ普通にわからないわ。
「すみません、わかりません」
「そうですか。では、何がどうわからないのかを前に出て教えてください。そしたら私が横から少しだけヒントを出しますので」
「あ、はい……」
ダメだ。これ完全に狙い撃ちにされてる。
俺は観念しながら前に出て、黒板の前に立った。
「それでは、どこがわからないのですか?」
「ええと、この部分が……」
俺が魔術式でわからない部分を指差すと、セーラはさりげなくこちらに近寄りながらヒントを出し始めた。
「ああ、ここはですね……」
「…………」
距離が近い。なぜだ。
『……大学が終わったら屋敷に来てください』
そして問題のヒントに交えて、小声で耳打ちしてくるセーラ。
「…………」
「わかりましたね?」
「はい……」
それから黒板に答えを書き終わったあと俺が席に戻ると、女生徒たちがこちらをチラチラと見ながら小さくざわめき始めた。
『ねぇ……今のやたら距離が近くなかった?』
『うん……ほぼ密着してたよね今……』
『セーラ先生って男っ気ぜんぜんないけど、まさか……』
『え……じゃあモニカと合わせて三角関係!? ひえー、修羅場だねー……』
「…………」
もうヤダこの学校。
◯
放課後。
ここで逃げても面倒なことになるだろうと思った俺は、観念してセーラの屋敷へと向かった。
「さて……私に何か言いたいことはありますか?」
「ごめんなさい」
そして屋敷の居間に通された俺は、ソファに座るセーラへ先手を打って謝った。
「まったく……やはりアナタがイグナートでしたか……」
「……バレてなかったのか?」
「いえ、様々な情報をもとに推測した結果、十中八九アナタだろうとは思っていましたが……まさか、本当に少女になっているとは……」
セーラはため息をつきながら、頭を悩ませるようにこめかみ辺りへ手をやった。
「アナタにそのような趣味があるとは正直、思ってもみませんでした……」
「いや、ちょっと待ってくれ。それは誤解だ」
俺は慌てて今に至るまでの経緯を話した。
ジル・ニトラにもらった神器である『真実の指輪』により、意図せずして今の姿になってしまったこと。
一年間は今の姿から元の姿には戻れないこと。
諸事情により、今はシルヴェストル家の養子となったこと。
「ちょ、ちょっと待ってください。シルヴェストル家の養子になったって……意味がよくわかりませんが……」
「…………」
「イグナート……もしかしてアナタ、元に戻る気がないのですか?」
「……今のところは」
「そ、そう……ですか……」
セーラは複雑そうな顔で目をつぶり、腕を組んだ。
……まあそりゃ心情的には複雑だよな。
年単位で一緒に仕事をしていた巨人野郎が消息不明になったと思ったら少女に変身してて、なおかつ『元に戻る気はない』とか言ってるんだもんな。
もし俺が逆の立場だったらそいつの正気を疑うだろう。
多分、積極的に関わろうとはしないと思う。
その点セーラはドン引きしながらも俺に関わってくるから凄いというか、情に厚いよな。
俺が薄情なだけかもしれないけど。
「……ちなみに、どういった心情で元に戻る気がないのか、聞いてもいいですか?」
「……わるい、それに関しては自分でもあんまり上手く説明できる気がしない。できれば聞かないでくれると助かる」
「…………わかりました。では、その点に関しては聞きません」
「その点に関しては? 他に何か聞きたいことがあるのか?」
「はい。……イグナート、アナタは最近身の回りで何か『異変』を感じてはいませんか?」
「異変?」
その言葉を聞いた瞬間、以前に姿隠しの術を使いながらも素っ裸で広場を歩き回っていたアイリスのことを思い出したが……あれは異変というより変質者だ。
セーラが言っている異変とは関係ないだろう。
「いや……特に異変は感じてないが」
「そうですか……では、帝国の宮廷魔術師、ジル・ニトラ様から『何か』を聞いていたりはしていませんか?」
「何か? 何かってなんだ?」
「それを私は探っているのです」
「要領を得ないな。つまりどういうことだ?」
「……今から言うことは他言無用です。よろしいですか?」
真剣な目で言うセーラの言葉に『また厄介事か?』と一瞬ひよりそうになったが、長年一緒に仕事をしてきた俺とセーラの仲だ。ここで話を聞かないという選択肢はいくら俺でもありえない。
しかもセーラには千年荒野でボーンワイバーンに囲まれた時や、黒騎士ディナイアルにトドメを刺されそうになった時にも助けてもらった身だ。
色々と忘れっぽい俺ではあるが、その恩義は忘れちゃいない。
だから俺にはセーラが持ってくる大抵の厄介事は甘んじて受け入れるだけの覚悟がある。
そんなことを一生懸命考えて、『面倒事は勘弁してくれ』という自分自身の本音を無理やり心の奥底に押し込み、俺がセーラに「ああ、わかった」と返事をすると、彼女は意を決したように事情を説明し始めた。
「実はここ最近、人が滅多に足を踏み入れない地域で大地や草木、動物や魔物などが異様に痩せ細る、という現象が各地方で多発しているようなのです」
「異様に痩せ細る……」
「はい。このことに関しては魔術師ギルドがすでに調査を開始しているらしいのですが、ディアドル王国からも私個人に依頼がありまして……それで今、原因を調べている最中なのです」
「セーラ個人に? なんでだ? 魔術師ギルドが調査を開始しているんだったら、魔術師ギルドに任せておけばいいんじゃないか?」
魔術師ギルドは殆どの魔術師が所属し、大陸中に支店が存在する超大所帯の組織だ。
その調査力は個人とは比べ物にならないだろう。
魔術師ギルドが動いているのなら、わざわざセーラが個人で動く必要性などまったくないように思える。
「それが……どうやら、ディアドル王家はこの件に魔術師ギルド自体が関わっているのではないかと考えているようなのです」
「魔術師ギルドが?」
「はい。王家の諜報員による調べですが、各地で魔術師ギルド直属の魔術師が怪しい動きをしているそうです」
「魔術師ギルド直属、ってことは組織の中枢部ってことか」
つまり怪しい動きをしているのはセーラみたいな魔術師ギルドに所属だけしている末端の組員ではなく、魔術師ギルドの運営自体に関わるような中枢部の組員ということだ。
「そういうことです。ただ、怪しい動きといっても具体的に何をしているかまでは掴めていないらしいのです。帝国の頭脳であり、伝説の魔術師と名高いジル・ニトラ様と懇意にしているアナタなら、何か知っているかと思ったのですが……」
「いや……」
何かが頭の片隅で引っかかってる。
何かを忘れているような気がするんだが……思い出せない。
「……知らないな」
「そうですか……」
「わるいな。何かわかったら知らせるよ」
「はい。お願いします」
そのあと俺はセーラとしばらく取り留めのない話をしてから、彼女の屋敷を後にした。