第百五十一話「しまらない」
山でレオの更生計画を始めてから、一ヶ月が経った。
「レオとも、今日でお別れですね」
「…………」
一ヶ月目の昼過ぎ。
山を下り、東の森を抜け、東門前の荒野で俺とレオは向き合っていた。
あれからレオは沢山の試練を乗り越えた。
その中でも、俺との模擬戦における『腕の切り落とし地獄』と、俺が瀕死にしたワイバーンとの死闘、名づけて『治癒魔法で無限回復レオVS瀕死のワイバーン』は相当につらい試練だったと思う。
だがそれをレオは乗り越えた。乗り越えたのだ。
「よくここまでがんばりましたね、レオ」
「……先生」
「なんですか……わっ!?」
レオが俺に抱きついてきた。
「先生……先生だけだった……先生だけが、本気でオレに向かい合ってくれた……」
「レオ……」
「ありがとう……先生。オレ、先生がいなかったら……」
「レオ」
俺はレオをゆっくりと離して、その両肩に手を乗せた。
「それは少し、違いますね」
「え……?」
「あなたがここまで来るのに、ずっと影から支えていた人がいます。あなたがここまで来ることができたのは、その人がいたからだと思いますよ。私はただきっかけを与えたにすぎません」
「影から支えていた人……」
「わかっているでしょう? あなたなら」
「……リュイ」
「お呼びでしょうか、レオ様」
「え!?」
レオが振り返った先には、いつも通り無表情で佇むメイド服姿のリュイがいた。
「彼女はあなたが山に行った初日から、ずっとあなたのことを見えないところからフォローしてくれていました」
「フォローって……」
「主に魔物関係ですね。私が土魔法で周囲一帯を壁で囲みはしましたけど、空を飛んで襲ってくる魔物などもいましたので。あなたが最後に戦ったワイバーンが襲撃してきた時も、一番最初に気づいたのは彼女なんですよ」
ワイバーンが襲撃してきた時、俺とレオは寝ていたのだ。
治癒魔法を使えば別に寝なくとも大丈夫なのだが、ずっと寝ないでいるのも精神的にシンドイものがあるからな。
その点、俺とレオが寝ている間の警戒はリュイに任せていたから安心だった。
ちなみにリュイ自身は自分ひとりだったらいくらでも身を守れるし、睡眠も警戒しながら取れるとのこと。
俺自身も勇者パーティーとの旅で浅く眠りながら周囲を警戒する技術は習得していたが、ここ最近はずっと治癒魔法で起きていたせいかあの時はグッスリと眠ってしまっていた。
リュイがいなければ俺自身、一カ月ずっと魔物の襲撃に意識を集中していなければならなかっただろう。
リュイさまさまである。
「それでは最後に彼女から成長したレオに対して、お言葉を頂きましょう。リュイ。嘘偽りのない、あなたの正直な言葉をどうぞ」
「はい。それでは僭越ながら、正直に述べさせて頂きます」
リュイは淡々と話し始めた。
「今回の試練を初めから最後に至るまで、私はずっとレオ様のご勇姿を拝見させて頂いておりました。その結果、レオ様が懸念する『何者にもなれない』というお悩みが解消できたのかどうかは、私にはわかりません。そしてレオ様が今回乗り越えてきた数々の試練は、例えば他のご学友であっても乗り越えられるものなのかもしれません」
「…………」
「ですが、間違いなく言えることがひとつあります。先月までのレオ様のままであれば、あれらの試練は間違いなく乗り越えられなかったでしょう。レオ様はご自身の限界を超えて、今までのご自身に打ち勝ち、困難に打ち克ち、大きく成長なされました」
「…………」
「ご立派になられました。レオ様」
「…………っ」
レオは右腕で目元を隠した。
どうやらすぐ泣くところは変わっていないようだ。
俺はレオの肩に手を乗せて言った。
「レオ、安心してください。リュイはああ言いましたが、あなたと同じ試練を乗り越えられる同年代の人間は多分そうそういないと思いますよ。最初は我が強い割にはヘタレだなぁと思ってましたが、中々どうしてあなたは根性があります」
まあ根性というか、もはや自暴自棄だったけどな。
ともあれ乗り越えたことには変わりない。
「うぐっ……オレ、そんなこと気にしてないっての……先生……」
「そうですか?」
「そうだよ……」
涙声で答えるレオ。
「そうですか。まあ何はともあれ、あなたは本当にがんばりました。お疲れ様です」
「なんだよその……どうでもいい感じ……」
「そんなことないですよ。さぁ、早く家に帰って服を着替えて、大学に行きましょう」
「え……だ、大学?」
「そうですよ。まさか行かないつもりだったのですか?」
冬休みに入ってから一ヶ月だから、もう今日から大学は始まっているのだ。
レオが今までどれくらい不登校だったかは知らないが、これからは大学ぐらい通ってもらわないと。
「い、行くよ……行く」
「そうですか。じゃあ着替えたら王国大通りの分かれ道で集合しましょう」
「えっ……」
「見送りますから。それじゃ、いったん解散で」
「ちょ、ちょっと先生!?」
俺は引き止めようとするレオを無視しながら、寮へと向かって歩き出した。
○
そして王国大通りの、女子校舎と男子校舎への分かれ道にて。
「遅いですよ、レオ」
「別に見送ってくれなくたっていいのに……」
ブレザーのポケットに両手を突っ込みながら、ブツブツと文句を言うレオ。
「記念すべき修業後、初の登校ですから。見送るに決まってるじゃないですか」
「記念すべきって……十六にもなって恥ずかしいっての……」
「何を言ってるんですか。胸を張って行ってください。恥ずかしがる方が恥ずかしいですよ」
俺はレオの背中を手のひらで叩いて、男子校舎へと続く右の分かれ道へと押し出した。
「いってぇ!?」
「気合は入りましたか?」
「し、心臓が止まるかと思った……」
「またまた大げさな。ほら、行きなさい」
「お、押さないでくれよ。わかってるってば」
「帰りも待ってますからね。真っ直ぐ帰ってくるんですよ」
「いいよもうそういうのは! 勘弁して!」
「それではまたあとで」
「ちょっ! 先生!」
例のごとく俺はレオの声を無視しながら、女子校舎へと続く左の分かれ道を歩いて行った。
◯
放課後。
王国大通りの分かれ道にて。
「どうでしたか? 久し振りの大学は」
「……ッフ」
レオは笑って前髪をかき上げた。
「完全に無視された」
「あー……それはまた、なんというか……」
もともと大学内では孤立してたって言ってたもんな。
久し振りに登校したらそれが解消されるなんて、んなわきゃないか。
「でも全然オレは気にしてないよ先生」
「そうなのですか?」
「ああ。なんていうか……どいつもこいつも平和そうな顔してて、微笑ましいっていうか……」
「…………」
「こいつらみんな、土の味とか知らねぇんだなって思ったら……なんだか笑えてきちゃってさ」
「…………」
「圧倒的に暗い経験が足りない。本物の闇を経験したオレからしたら、おままごとにしか思え……」
「ああ! 懐かしいですね! この草! 山でよく食べましたよね! こんなところにも生えてるんですね! すごぉい!」
「……な、なんだよ先生。急に」
「…………いえ、なんか、なんとなく」
なんて言って適当に誤魔化す。
話題が急に不穏な方向へと逸れ始めたから、無理やり軌道修正しただけである。
他意はない。
「……ところでさ、先生」
「なんですか? 告白ならやめてくださいね」
「…………」
レオは固まった。
「……ところでさ、先生」
「いやホントに告白ならやめてくださいね。無駄ですから」
「オレ、先生に比べたらまだまだ未熟だけど……でも、それでも、いつか先生に並んで立てるようにがんばるから……」
「無視すんなよ」
「だから、結婚を前提に付き合ってください!」
「お断りします」
「そう言われるのはわかってた! けど、オレあきらめないから!」
「それだけはあきらめてください」
「あきらめない! あきらめたらそこで試合終了ですよって、先生も言ってたじゃないか!」
「いや確かに言いましたけれども」
どうしても言いたくなって試練の途中、言ったけれども。
でもそれとこれとは話が別だから。
「というかレオ。あなた正気ですか? 私にどれだけ痛い目にあわされたと思ってるんですか」
「そんなの関係ない! オレは……クズみたいな自分がずっと嫌いだった。でも……でも先生といる自分は好きになれるんだ! だから!」
「ひどい告白ですね」
良いこと言ってる風だが、結局は自分本位である。
人間やっぱり根っこの部分は変わらないものなのか。
「というか、それ以前に男からの告白とか予想以上に気持ちが悪いことに気がつきました。もし今後も言い寄るのならば、私はあなたと絶交させて頂きます」
「調子に乗りました。スミマセン。言い寄りません。絶交は勘弁してください」
「ふむ……良いでしょう。ただ、どちらにせよ私は今後、あなたと関わる気はありませんよ」
「じゃあオレが勝手に押し掛けるよ! 先生として慕う分には問題ないだろ!」
「先生という呼称もこれからはやめてください」
「え……じゃあ、なんて呼べば……?」
「呼ばないでください」
「ひでぇ!?」
「それではさようなら」
「ちょ、ちょっとちょっと先生!?」
腕を掴んで引き止めようとするレオの手をまるで千手観音のように払いのけまくる。
終わりがなんだかしまらない感じだが……それもまたレオらしい。
俺は小さく笑いながら、拳でレオのみぞおちに一発良いのを食らわせて身動きを封じたあと、颯爽とその場から去っていった。