第百四十七話「値千金」
とうとうアイリス考案の『レオ少年更生計画』第一段階、『土を食わせる』を達成できたかと思った次の瞬間。
「む、無理だ……」
「……え?」
「やっぱり土は食えません……ごめんなさい……」
少年はゆっくりと頭を下げ、そのままひたいを地面につけて謝った。
五体投地状態である。
……あれ、おかしいな。
つい今さっき、リュイに対する想いで意を決したように見えたのだが。
「ええと……リュイが私に食べられてしまいますよ? 良いんですか?」
「良くないです……良くないけど、食べられないです……」
「理由はなんでしょう。いくら生の土とはいえ、少量だったら死にはしませんよ?」
まあ本当は少量でも食中毒で死ぬ可能性はあるが、俺が治癒魔法で治すから大丈夫だ。
「た、魂が……」
「魂が?」
「魂が……穢れてしまいます……」
「…………」
しゃらくせぇ……。
「だからすみません……土を食べるのは……」
「……たかだか土を食べたぐらいで穢れるような魂なんぞ、いっそ捨ててしまいなさい」
「へ……? 今、なんて……?」
「だから、グダグダ言ってねぇでさっさと食えや! 土を食う食わないでどこまで引っ張るんだこのヘタレ! 本当に食っちまうぞテメェ!!」
「ひぃぃ!? た、食べます食べますだから食べないでぇぇぇ!?」
俺が怒鳴ると少年は急いで土を手づかみし、口の中へと頬張った。
「ぐ……ぐむ……うぶっ……」
「吐くなよ。飲み込む前に吐いたら再チャレンジだからな。わかったか?」
「うぐっ……んぐ……」
少年はたっぷり数十秒掛けて土を咀嚼し、飲み込んだ。
「……はぁ、はぁ、はぁ、おぇ……た、食べました」
「やっと食べましたか。うん、よくかんばりましたね」
俺は満面の笑顔で少年の頭をえらいえらい、と撫でてやった。
「それで、土はどんな味がしましたか?」
「……………………濃厚な、土の味がしました」
「捻りがないですね。そのまんまじゃないですか。……どれ、では私もあなたに付き合って土を食べるとしますか」
「えっ!?」
「いくら更生させる為とはいえ、あなたひとりだけに土を食べさせるのは余りにも可哀想ですからね。あなたはひとりじゃないとわかってもらう為に、あなたの為にここまでやる人間がいるとわかってもらう為に、私もあなたと同じ土を食べます」
本当は土を食うのなんて凄く嫌なのだが。
でも仕方がない。
アイリスいわく、俺が少年と同じ経験をするのはとても重要なプロセスらしいからな。
ここを疎かにするわけにはいかない。
「では、食べます」
膝を抱えながらしゃがみ込み、土を右手のひらですくい口の中いっぱいに頬張る。
「もぐもぐもぐ……」
「…………」
「んぐっ…………ぷはぁ……」
「…………」
「んー……これは、なんというか……非常にマズいですね。確かに濃厚な土の味、という表現が一番しっくり来ます」
食べる前はウィットに富んだ味の表現でもしようかと思ったが、正直そんな気も無くなるぐらいに土の味だった。
生の土とか、人が食べるもんじゃないよこれ。
「でも、鎧鼠の方がよっぽど硬くて臭くてマズかったので、そう考えると全然余裕ですね。アレは量も凄まじかったですし」
「あ、鎧鼠……?」
「そうです。ちょっと前に鎧鼠をまるまる一匹食べる機会がありまして……うん、アレはちょっとした地獄でした」
「そ、そうですか……」
真っ青な顔をしながら俺を見上げる少年。
なんか超ドン引きされてる気がするけど気にしない。
「それでは、次のステージに移りましょう」
「つ、次のステージ……?」
「はい。心配しなくとも、もう生の土は食べさせませんよ」
俺はそう言いながら懐に入れておいた無限袋から大きめのフライパンを取り出した。
そして風魔法で手早く周囲の枯れ木を集め、土魔法で簡易的な焚き火台を作り、火魔法を使って枯れ木に火をつけた。
「ふ、複数の属性魔法!? ひぃっ……やっぱり悪魔……!」
「はいはい、私は悪魔ですよ。そんなことより聞いてくださいよ。このフライパンはですね、ただアニマを込めるだけで油をまったく引かなくても全然モノが焦げつかないという素晴らしい代物なのですよ。なんでも表面にそういった魔術式が刻まれているとか。少し前に出た新技術らしいですが、いやはや、本当に技術の進歩は日進月歩ですね。思わず衝動買いしてしまいました」
「……せ、先生」
「はい?」
「次は何を……食べるんでしょうか……」
少年は死んだ魚のような目で、呟くように言った。
「それはもう少し待てばわかりますよ」
「…………」
「ちょっと待っててくださいね。すぐ料理しますから」
そして数十分後。
「お待たせしました。『焼き土』です!」
「…………」
白い皿にこんもりと盛られたホカホカの土を前に、少年は固まっていた。
「さすがに生の土を食べ続けるのは無理がありますからね。食中毒とかありますし。ですがこうしてちゃんと火を通せば、食中毒の危険はかなり軽減できます。とはいえ完全に安全というわけではないので、もしこれから土の味が病みつきになっても気軽に食べちゃダメですよ? こうしてただ焼いただけの土が食べられるのは、治癒魔法がいつでも使える私がいるからこその特例です」
「…………」
「さて、ではいただきましょうか」
俺は自分の前にも少年と同じ焼き土の盛られた皿を置いて、その場に正座で座った。
さっきはあとで食べたが、今度は俺も少年と一緒に土を食べるからだ。
「…………」
「いただきましょうか」
「…………」
「いただきましょうか」
「……はい」
少年は観念したようにホカホカの焼き土を左手ですくい上げ、口元へと運んでいった。
◯
「ふぅ……ごちそうさまでした」
「…………」
「ちゃんと全部食べられましたね。えらいえらい」
「…………」
「ところでレオ少年。あなた今、喉が渇いたりしてませんか?」
「……はい、渇いています」
「ですよね。私もあなたと同じで、朝から水一滴も飲んでないので喉がカラカラです。土を食べたのでなおさらですね」
「…………」
「そこであなたに朗報です。実はこの山あっちの方に川がありまして、そこの水が飲めるのです」
「……泥水ですか?」
「いいえ、違います。ちゃんとした綺麗な水です。湧き水ですよ」
「……本当に?」
「本当ですよ。うふふ、驚きましたか? 好きなだけ飲んでいいんですよ。がんばって土を食べたご褒美です」
「あ……ありがとうございます!」
少年の目に光が戻る。
うんうん、そうだよな。
あの『土を食う』という苦行を終えた今となっては、なんてことないただの水でも値千金の価値がある。
そんな状態で『山を流れる綺麗な湧き水』が飲めるとなれば、これはもう凄まじい価値を持つだろう。
俺だってそうだ。
早く綺麗な水をガブ飲みして、この口の中に広がる土の香りを消し去りたい。
「じゃあ、行きましょうか。ちょっと遠いですけど」
「……へ? ……あの、どこに?」
「決まってるじゃないですか。その『川』にですよ」
「あの……オレ、骨折で動けないんですけど……」
「何を言ってるんですか。左腕が残ってるじゃないですか」
「……はい?」
俺は目をパチクリさせる少年に対して、満面の笑みを浮かべて言った。
「這いつくばって行くんですよ。左腕だけで」