第百四十三話「悩み」
「……あなた、死にたいのですか?」
「だから昨日からそう言ってんだろ。ほら、さっさと殺せよ」
少年は投げやりに言って目をつぶった。
……これは随分と根が深いな。
「確かに今あなたを取り巻く環境は非常につらいものだと思います。ですが、それはこれから先もずっと続くようなつらさではないはずです。今は苦しいかもしれませんが、ここを乗り越えればきっと……」
「うるせぇ!!」
少年は慟哭するように叫んだ。
「どいつもこいつも似たようなことばっかり言いやがって! 乗り越えるとか、乗り越えないとか、時間が解決してくれるとか……そういう問題じゃねぇんだよ!」
「……どういうことですか?」
「うっ……うぅ……」
左腕で目を覆い、嗚咽を漏らす少年。
「泣いてるばかりじゃわかりませんよ。聞かせてください」
「うるっ……せぇよっ……ぐぅ……お前に言って……何になんだよ……」
「話すだけで楽になるということもあるでしょう? それに、もしかしたら力になれることもあるかもしれません」
「ねぇよ……そんなもん、絶対にねぇ……」
「なぜ断言できるのですか? あなたを苦しめる原因にひとつひとつ対処していけば……」
「対処なんか無理だ……」
「確かに苦しみの原因、そのものをなんとかするのは厳しいかもしれません。ですがここは考え方を変えて、苦しみの元から一時戦略的撤退という形を取るのはどうでしょう? どうせいつかはひとり立ちするのですし、なんなら大学なんて行かなくても……」
「だから違うって言ってんだろ! 家庭環境とか、大学がどうとか、そんなの関係ないんだよ!」
「……へ?」
まさかの衝撃発言に一瞬固まる。
「いや……あの、だったらなぜ?」
「…………」
「教えてください。家庭環境や大学が関係なければ、他に何があるのです?」
「……………………怖いんだよ」
「……怖い?」
「オレには……オレにはもう、なんにもないんだ……」
少年は内心を吐露するように語り始めた。
自分は王族なのに王位継承権もない。
家柄もない。
相続できる財産もない。
剣の才能もない。
魔術の才能もない。
容姿も優れていない。
勉強ができるわけでもない。
話術に長けるわけでもない。
そのくせプライドは高く、負けず嫌いで、嫉妬心に溢れ、自分にないものを持っている人間すべてが妬ましい。
一部の教師やクラスメイトの心配する声も、自分をバカにして優越感を得ているように聞こえる。
「オレは……オレが、このまま生きてても、何者にもなれない……そんな未来がハッキリと見えるから…………怖いんだ……」
「…………ええと、だから死にたいと?」
「そうだよ……」
「…………………………」
いや、まあ、うん。
言ってることはわかるけど。
「なんだよ……言いたいことがあるなら言えよ……」
「そうですね……いや、なんと言えばいいのかちょっとアレなんですけど……」
なんというか、思いのほか悩みのレベルというか、次元が高くてビックリした。
ある意味向上心があるというか、ちゃんと将来のことを考えているというか。
その割には随分と悲観的だけど。
ここでそれは贅沢な悩みだ、とか。
何者にもならなくていいじゃん、とか。
そういうことを言うのは簡単だが……うーん……。
「……難しい問題ですね」
「ハッ、別にいいんだぜ気を使わなくても。何者にもなれないから死ぬだなんて、甘ったれんなって言いたいんだろ?」
「…………」
「でもな、どうしようもねぇんだよ。努力が足りねぇって言われても、オレにはその努力をする才能がねぇんだよ。ちょっとやったら諦めちまうんだよ。すぐ心が折れちまうんだよ。オレは……負け犬なんだよ」
「…………」
「でもそのくせオレは負けず嫌いで……負け犬なオレ自身を認められねぇ。でもオレは自分を変えることも、現実を変えることもできねぇ……だから、もう死ぬしかねぇんだよ、オレには……」
「それはちょっと短絡的だと思いますが……」
「うるせぇよ偽善者が! だったらお前がオレを救ってみせろよ!」
「私が……ですか?」
「そうだよ! できねぇんだろ!? だったら偉そうに説教たれるんじゃねぇよ! 帰れ偽善者! お前はなんの役にも立たねぇんだよクソ女!!」
「…………」
コイツ……マジでこらしめてやりてぇ。
「なっ……なんだよ、また骨でも折るつもりか? お前ってホント、とんだ偽善者だよな! クソ女!」
「……このままだと本当に骨を折ってしまいそうなので、今日のところは帰ります」
俺はそのあとも暴言を吐き続ける少年を無視しながら、倉庫のような彼の部屋から出ていった。
◯
その日の夜、消灯後。
俺は寮の二段ベッド、その上段に寝そべりながら、少年との会話を思い出していた。
「救ってみせろ、か……」
ううむ、何度思い出しても腹立たしい。
いったい何様なんだあの少年は。
だがしかし、『何もできない、しない癖に説教たれるんじゃねぇ』的な言葉は非常に耳が痛かった。
確かに、もし俺がつらい状況にあって『説教だけはするが何もしてくれないヤツ』が近くにいたらウザったくって仕方がないだろう。
「うーん……」
どうすればいいのだろうか。
痛めつけて根性を叩き直してやる、というのは簡単だが、それでは根本的な解決にはならないのは目に見えている。
かといって自信を持てるよう付きっ切りで鍛えてやるということもできない。つーかしたくもない。
できれば俺が少年にあまり施しを与えることなく、腐った性根を叩き直しこらしめつつ、少年自身も生きる希望を抱けるような、そんな方法があったらいいのだが。
「まったく思い浮かばない……」
「お悩みのようね」
「ん……アイリスですか」
暗闇の中、二段ベッドのハシゴを上ってきたアイリスが俺の左隣に寝転がって言った。
「珍しいじゃない。ミコトがこんな時間まで起きてるなんて。いつもはグッスリ寝てるのに」
「ええ、ちょっと考え事をしていて……っていうか、当然のように私のパジャマ脱がせようとするの止めてもらえません?」
「だってミコトの肌がスベスベでツルツルで、なのにしっとりと吸いつくみたいで柔かくって……もう病みつきなのよ。アナタを知ったらもうどんな抱き枕も使えないわ」
「以前も言いましたが私は抱き枕じゃないので」
「もちろんよ。抱き枕なんかとは格が違うわ」
「そういう意味で言ったのではないのですが」
「わかってるわよ。冗談よ、冗談」
「…………」
まったくもって冗談に聞こえない。
「それで、アナタはいったい何をそんなに悩んでるの?」
「それはですね……」
俺はアイリスにリュイとレオ少年のことを話した。