第百三十三話「ホット・アイスクリーム」
「なーんてね、冗談よ」
「……はい?」
「大体、女同士でどうやって責任なんて取るのよ」
そう言ってイタズラっぽく笑うアイリス。
「あ……あはは、そ、そうですね」
「アナタが男に戻れば別だけど」
「え……」
「でもそう簡単には戻れないわよねぇ……少なくとも、大学卒業までは」
「…………」
それは……つまり、大学卒業したら男に戻って責任取れってことなのか?
アイリスの顔を見る。
ニヤニヤしている。
わ、わからん……また冗談の可能性もある。
「あは、は……嘘が上手くなりましたね……」
「上手くなったも何も、冗談と嘘は最初から別物よ?」
「なんですかその謎理論」
「でもどっちにしろこれから先は私も色々と忙しいから、責任なんて取ってもらえないかもね」
「はあ、そうですか」
「…………」
「えっ、なぜに私つねられてるんです?」
「露骨に安心した顔だったから。しかも事情もまったく聞いてこないし」
「あ、安心なんてしてないですよ? それで、何が色々と忙しいんですか? 私、気になります」
「ワザとらしい……まあ教えられないんだけどね」
教えられないのかよ。
「アナタ今、『教えられないのかよ』って思ってるでしょ」
「心を読まれた!?」
「私は精神世界でアナタの思考をさんざん読んだのよ? それぐらいのことは予想がつくわ」
ドヤ顔で言うアイリス。
「あの~、ちょっと早いけどあたし、もう行くね?」
「あっ、ちょっ、待ってくださいモニカ!?」
「ごゆっくり~」
制止もむなしくバタン、とドアが閉じられる。
「行っちゃったわね、モニカ。せっかくだから私たちはゆっくりしてから行きましょう?」
「ゆっくりしませんよ」
モニカ、顔は笑ってたけど目は笑っていなかった。
おそらくアイリスがこれから毎日ここに寝泊まりするであろうことを考えると……なんというか、前途多難である。
◯
アイリスが毎晩、俺のベッドに潜り込むようになってから一週間が経った。
最初の頃はさぞ様々な問題というか、トラブルが起こるのではないかと思われたアイリスの寝泊まりだったが、意外にも俺の生活は今までとほぼ変わることはなかった。
まあそれも当然といえば当然である。
なぜなら、アイリスがベッドに潜り込んで来るのは必ず俺が寝たあとだからだ。
そして朝もアイリスは俺よりよっぽど早く起きているらしく、こっちが目を覚ました時にはもうすでに部屋から消えている。
だから本当に実生活は殆ど今までと変わらないのだ。
変わった事といえば毎日、夜に着ていたはずのパジャマが朝になったら脱がされていることぐらいである。
やはりアイリスの『責任、取ってね?』というあの言葉は、冗談だったのだろうか。
「んー、わからない……」
「なんのこと?」
「いえ、なんでもありませんよ」
放課後。
王都北門前の広場にて。
俺はモニカと、この冬人気の『ホット・アイスクリーム』というモノを食べるため、屋台の行列に並んでいた。
「それにしても、本当に凄い行列ですね。まさかこんなに並ぶとは思いませんでした」
「ここはお一人様の注文ひとつまで、だからねー。それが影響してるんじゃないかな。食べたかったら自分で並ぶしかないもん」
「楽しそうですね、モニカ」
「そりゃあもう! 温かいアイスクリームなんて食べたことないから、楽しみで楽しみで!」
「そうですね、私も楽しみです」
前世でもホット・アイスクリームというものは聞いたことはあるが、食べたことはなかった。
それがこちらの世界では同じものなのか、それともまったく別物なのかわからないが、どちらにせよ非常に楽しみである。
「……ん?」
「どうしたのミコト?」
「いや、なんか見覚えのある後ろ姿が……えええぇええぇ!?」
「ど、どうしたのミコト!?」
「あ……アイリスが……!」
「アイリス? ……どこ?」
「え……?」
「見当たらないけど……」
俺が向いている方に視線をやるモニカだが、どうやらその目にアイリスは映っていない様子だった。
「あー……その、えっと、見間違えかもしれません」
「見間違え?」
「というより幻覚かも。あは、あはは……」
「幻覚、ねぇ……」
モニカがジト目でこちらを見てくる。
「な、なんですか?」
「べっつにー、ミコトって幻覚見るほどアイリスのこと好きなのかなーって」
「好きって……」
「あーあ、嫉妬しちゃうなぁー」
「もう、からかわないでください」
無難な返答をしながら数十メートル先にある広場の端っこで、明らかに何かをしているアイリスに視線を向ける。
この距離でモニカに見えないということはおそらく、何かしらの術を使っているのだろう。
それはまあいいとして。
俺がとにかくビックリしたのは、アイリスが……その……なんだ。
全裸。
だということだ。
いや、正確には黒と白の染料を使った幾何学的な模様を身体中に描いているから、普通の素っ裸というわけではないのだが、それは単にボディペイント的なものというだけで、裸は裸である。
……あんな格好で何をやってるんだ? アイツ。
誰にも見えないからって。こんな寒い時期に。
風邪ひくぞ。
「ミーコート」
「あ……えっと、なんですか?」
「まーだ幻覚見えてるのー? あたしは幻覚のアイリスにも負けちゃうのー?」
「そんなことないです。私的には実物のアイリスよりも、モニカの方が好きですよ」
「うっ……」
「モニカ? どうかしました?」
「……ミコトって時々、こう、ハートを鷲掴みしてくるよね。天然?」
「さぁ……どうでしょう?」
「わぁ、悪い顔してるー。女たらしミコトだぁ」
「ハハハ」
口から乾いた笑いが出る。
自分が女の時に女たらしでも、なんの意味もないんだよなぁこれが。
まあ男の時にはそもそも簡単に好きとか言えないけど。
「これは周りの子にも注意しなきゃだねぇ、気を抜くとミコトに落とされちゃうよぉって……わぁ!?」
「モニカ!?」
後ろ向きに歩いてたモニカが地面のタイルに踵を引っ掛け、倒れそうになった。
だが彼女の後ろには同じくこの列に並んでいる人がいたので、モニカはその背中に軽くぶつかる程度で済んだ。
「ご、ごめんなさい!」
モニカが謝ると、ぶつかられたメイド服の女性がゆっくりとこちらへ振り向く。
黄緑髪のショートボブと、それと同じ色の瞳が印象的な女性だ。
「…………いえ」
メイド服の女性は小さくそう呟くと、そのまま前に向き直った。
どうやら大して気にしてはいないようだ。
「大丈夫ですか? モニカ」
「う、うん。ぶつかったのが優しい人で良かった」
「そうですね」
そんな風に会話をしている間にも並んでいる列は進み、とうとう前に並んでいる人がホット・アイスクリームを買う順番になった。
さっきモニカがぶつかったメイド服の女性だ。
「ストロベリー味をひとつお願いします」
「はい、ストロベリーひとつですね! かしこまりました! 大銅貨一枚になります!」
屋台の女店員さんがお会計を済ませている間に、奥からコック帽を被った店主っぽいオッサンがカップに入った例のホット・アイスクリームを持って来た。
「はい、お姉さん。ストロベリー。冷めると溶けちゃうから、早めに食べてね」
人の良さそうな店主がにこやかにメイド服の女性へとホット・アイスクリームを手渡そうとしたその時。
「おっ、うまそーだな」
横から伸びて来た手が、そのホット・アイスクリームを奪うように取り上げた。