第百三十一話「覚悟」
「ぐすっ……別に……悲しくって泣いたわけじゃないわ……アナタの力があまりにも強いから……痛くて泣いたのよ……」
「ええ、わかってますよ」
「くっ……! アナタ全然わかってない……!」
「わかってますってば」
「くぅぅー!」
俺と手を繋いでない方の手でポカポカと叩いてくるアイリス。
「でもほら、いつの間にか太陽が出て雪も溶け始めましたよ?」
「それが私になんの関係が……」
「ないんですか? 関係」
「…………」
アイリスは頬を染めてそっぽを向いてしまった。
「それにしても、太陽が出てからは暖かいですねー。これぐらいがちょうど良いです」
「…………」
「これだけ環境がよければ、まあしばらくはこっちに居てもいいかなって思いますね」
「…………」
「とはいえ、永遠はさすがに長すぎますけど」
「……助けるから」
「もっと娯楽があれば……え?」
「ハンナのこと……だけじゃなくて、今まで私がハンナと同じようにしてしまった子たちも……絶対に、助けるから」
「アイリス……」
「勘違いしないで。アナタに言われたからそうするってわけじゃなくて、元からちゃんと動いてたのよ、私は。言ったでしょう? 『何もしていないわけじゃないのよ』って」
「でもアイリス、この前はハンナを目覚めさせることはできないって」
「そうね。できないわ」
「は?」
「色々と事情があるのよ。とにかく私に任せて。なんとかするから」
「はあ……わかりました」
アイリスがそう言うのであれば、俺としては頷くほかない。
俺にできる事なんて治癒魔法ぐらいだからな。
それが効かない以上、史上稀に見る天才と名高いアイリスの方がよっぽど頼りになる。
もちろんアイリスが口からデマカセを言っているのだとしたら前提からして崩れるが、まあそれは無いだろう。
アイリスは嘘がヘッタクソだからな。
嘘をつく時はすぐわかる。
さっきだって抱き締めるのに全然力なんて入れてないのに、
「力入ってたわよ! すっごく! 痛かった!」
「はいはい、そうですね」
「くぅぅぅぅー!!」
「ちょっ、手を離すのはダメ! それは反則!」
「離す!」
「この手は絶対に! 離さない!!」
数分後。
「…………」
「…………」
不毛な争いに疲れた俺たちの間には、静寂が訪れていた。
「……アイリス」
「……なによ」
「もうそろそろ帰りたいです……」
「私だって帰りたいわよ。アナタの中にいるベニタマっていうのに頼んでなんとかならないの? アナタの過去を読んだ限りでは、すごい力を持ってるのは間違いないと思うんだけど」
「ベニタマはですね、初回の瀕死だけは助けてくれたけど、それ以降は基本的には何もしてくれないんです。そうですね……夢の中とか、瀕死になった時とかに話し相手になるぐらいですかね」
「なにそれ……使えないわね……」
「私の持つ能力の殆どは多分ベニタマによるものなので、恩恵は十分受けてるんですよ。膨大なアニマとか属性魔法のコピーとか。まあそれはともかくとしてもう一度、さっきの帰る呪文みたいなの試してみてくれませんか? もしかしたら今度はいけるかも」
「いいけど……根拠は?」
「ほら、太陽が出て雪が溶けてきたので、いけるかな、と」
「……それは関係ないと思うけど」
そう言いながらもアイリスは先程と同じように呪文を唱え、虹色の光を展開させた。
だがしかし、結果は一度目と変わらなかった。
「やっぱりダメね」
「ダメですか……なぜ、私はアイリスと一緒に帰れないのでしょう?」
「なぜって、そんなの知らないわよ。資質の問題じゃない?」
「資質、ですか……。私としてはアイリスと打ち解けたあとは、なんとなくそのまま一緒に帰れるって感じなのかと思ったのですが……」
「なにそれ。なんとなくってどういうこと? 根拠は?」
「いえ、そんな根拠ってほどのものはないんですけど、ほら、アイリスに受け入れられたから、あの虹色の光にも受け入れられるのかなぁー……って」
「……なんで?」
「ええと、その、だって精神世界ですし……?」
「なにそのフワッとした理由」
「ごめんなさい」
「別に謝ることじゃないけど……でも、そうよね、虹色の光に受け入れられない、つまりは帰還術の対象にならないのが問題なのよね……」
ブツブツと呟き始めるアイリス。
「光……受け入れ……帰還術……資質……」
「…………」
「ベニタマ……吸収……属性魔法……コピー……」
「…………」
「……わかったわ!」
「さすがアイリス! わかりましたか!」
「私のアニマをアナタが吸収、コピーするのよ!」
「お、おお……なるほど、ベニタマの特性を使うのですね! 盲点でした!」
早速試してみた。結果。
「ダメですね……」
「むぅ、方向性は間違ってないと思うんだけど」
一応アイリスが平常時のアニマと、帰還術を使っている時に展開する虹色の光も吸収&コピーを意識してみたが、結果は振るわず。
「なぜダメなのでしょう」
「属性魔法じゃないから、かしらね」
「でも感覚的には吸収、コピーできそうな感覚はあるんですよ。ただあと一歩というところで吸収できないというか、入ってこないというか……」
「入ってこない、ね……」
アイリスは俺を横目でチラッと見た。
「……なんですか?」
「アナタって、偽善者よね」
「え? ……ええ、まあ、はい。そうですけど」
「でも、自覚のある偽善者よね。私ね、自覚のない偽善者が大っ嫌いなの。まるで自分が聖者みたいな顔して、人間の本質とは真逆である、利他的な仮面を人間の本質だと言い張って、それだけならまだしもその仮面を他人にまで押し付けてくるような、そんな偽善者がね、大っ嫌いなの」
「ご、ごめんなさい……」
「だから、私は自覚のない偽善者が嫌いなのであって、自覚のある偽善者であるアナタは嫌いじゃないのよ。……まあ、押し付けがましいのには辟易したけど」
「は、はあ……」
この子は急にいったい何の話をし始めたんだ?
意図がサッパリわからん。
「それにアナタはバカで、学がなくて、頑固で、変態だけど……頭が悪いってわけじゃないものね」
「なんか最後に持ち上げた風ですけどそれって普通に私のこと貶してますよね?」
「だから私、覚悟を決めたわ」
「……はい?」
「アナタはとにかく、私を受け入れることだけ考えなさい。他のことは一切考えないで、それに集中して」
「わ、わかりました」
俺がそう言うと、アイリスは三度目となる帰還術の呪文詠唱を始めた。
勢いに押されて返事をしてしまったが、『覚悟を決めた』ってのはどういう意味なのだろうか。
……ハッ!? まさか!?
これでダメだったら、そのまま俺を置いていく『覚悟』が決まったって意味じゃないだろうな!?
「違うわよ、バカ」
「え?」
気がつけばアイリスは詠唱を終え、その身に虹色の光を纏いながら俺のすぐ目の前に迫っていた。
「私の『初めて』をあげる覚悟、よ」
「初めてって……んんっ!?」
続きの言葉を口にする前に、頬を染めたアイリスは俺の唇を奪っていた。




