第百二十五話「原因」
意識を集中して、治癒魔法を発動させる。
するとハンナの全身を淡い光が包み込んでいく。
「ミコト……?」
背後のモニカが訝しげな声を上げる。
「まだです……まだ……」
まだこれが限界じゃない。
最大出力で治癒魔法を行使する。
治癒魔法の余波でベッドの脇に置かれている花瓶の花が、みるみるうちに元気を取り戻していく。
「は、花が……?」
「…………っ」
ありったけのアニマを込める。
だがしかし治癒魔法の波動にいつものような、対象物が復元していく際の『手応え』を感じられない。
数分後、俺は治癒魔法の行使を中止した。
「ミコト……今のは?」
「……治癒魔法です」
俺はそう言ったあと、小さく首を横に振った。
「ですが……どうやら私の治癒魔法では、効果がないようです。何も変化を感じられません」
「……そう、なの」
「ごめんなさい、期待させるようなことをして」
「ううん、いいの。ありがとうミコト。しょうがないよ。どんなお医者さんや、治癒魔術師や魔法師の人が来てもダメだったらしいから」
「…………」
モニカの言葉を聞きながら、俺はハンナが目を覚まさない原因について考え込んでいた。
今までの経験上、俺の治癒魔法は肉体面に関していえば万能といっていいほどの効力を発揮することがわかっている。
つまりハンナが目を覚まさない原因は……。
「ミコト?」
「……いえ、なんでもありません」
最悪の場合を想定して気が重くなる。
いずれにせよ俺は会いに行かなければならない。
答えを聞かなければならないのだ。
ハンナが目を覚まさなくなった原因であり、一連の出来事、その真実を知っているであろう人物……アイリスに。
◯
俺はハンナの実家を出てモニカと別れたあと、王都東門前にある広場へと来ていた。
数年前は虫型魔物への警戒として常に兵士が常駐していた東門前だが、今や一日を通して人気のない閑散とした広場となっている。
「早かったわね」
広場中央にある噴水のふちに腰を掛けていたアイリスが、俺の姿を見て手に持っていた本を閉じた。
「まだ夕方前じゃない」
「ハンナの実家が思いのほか近かったもので」
「ハンナの実家? ……ああ、そういうこと」
「ハンナのこと、覚えていますか?」
「覚えているわよ。つまり、私は今日そのことで呼びだされたのね」
スカートをパンパンと手で叩きながら立ち上がるアイリス。
「デートだと思ってたのに、残念ね」
「…………」
「それで、アナタがハンナのところに行ったってことは多分、治癒魔法を試したってことよね。どうだった?」
「……私の治癒魔法は、ハンナには効きませんでした」
「そう。やっぱりね」
「わかっていたのですか? 私の治癒魔法が効かないと」
「なんとなくね。昔にも似たようなことはあったから」
アイリスはそう言いながらゆっくりと俺に向かって近づいてきた。
「アナタの治癒魔法はおそらく、魂の情報を元に肉体を復元するもの。つまりそれは魂さえ健全であれば回復可能という意味で、これはこれで一般的な治癒魔術や治癒魔法と違って反則的な能力だけど、それでもさすがに肉体以外の面で問題がある場合は治すことが出来ない。そういうこと、今までになかった?」
「…………」
俺は『渇望の地下迷宮』で魔物に食われた青年を治癒魔法で治そうとした時のことを思い出した。
あの時、復元された青年の肉体はボロボロだった。
つまりそれは、魔物に生きたまま食われた時点で青年の魂がボロボロになっていたという意味なのだろうか。
「その様子だと心当たりがありそうね」
「……アイリス。教えてください。当時、あなたとハンナの間に何があったのか」
「それは教えられないわね」
「なぜですか?」
「アナタが私に『なぜ』と聞くなんて珍しいわね。初めてじゃないかしら?」
「茶化さないで質問に答えてください」
アイリスを睨みつけながら言うも、彼女は素知らぬ顔でそっぽを向いた。
「無理よ。教えられない理由も、教えられないわ」
「では質問を変えます。ハンナを目覚めさせる方法を教えてください」
「そんなものがあったらとっくの昔に私がやってるわ。モニカから聞いたんでしょう? あれは事故だったの。私の本意ではないのよ」
「…………」
「そう怖い顔をしないで、ミコト。私もね、何もしていないわけじゃないのよ。私と関わった人間で過去何人もハンナのようになってしまった子がいるの。私はその子たちを救う為に、ずっと世界中の禁書を探して旅をしているのよ」
身振り手振り、まるで舞台の劇でセリフを言うように話すアイリス。
「世俗に疎くて、ともすれば他人のことなんてどうでもいいと思っているように見られがちな私だけど、ハンナがああなって何も感じていないわけじゃないのよ。すごく可哀想だと思っているわ。本当よ」
「嘘ですね」
「……あら、なぜそう思うの?」
「その魔眼があって、今まで嘘をつく必要がなかったからでしょうか。セリフが棒読みすぎます。話の内容と表情が合ってません。演技が下手にもほどがありますよ。それに……」
「それに?」
「友達を失った人間が、愉快そうに『すごく可哀想だと思っているわ』なんて、言うと思っているのですか?」
「……フフ」
アイリスは小さく笑って、言った。
「人生で初めての演技と嘘、我ながら中々に上手だと思ったんだけど、そうでもなかったみたいね」
「アイリス……」
「バレちゃったらしょうがないわね。私が話せることは正直に話すわ。嘘をつくのってなんだか気持ちが悪いってことにも気がついたし」
「…………」
「とはいえ全部が全部、嘘ってわけじゃないんだけど……んー、どうしようかしら。あんまり詳しくは話せないのよね」
「ではこちらから端的に聞きます。まず、ハンナや他の子を助けるために禁書を探しているというのは本当ですか?」
「ああ、それは嘘ね。前にも言ったけど、禁書を読むのはただの趣味よ」
「そうですか。では次です。ハンナのことを、『すごく可哀想だと思っている』と言ったことは……」
「フフッ、それ、改めて聞くこと? 嘘よ、嘘。アナタもさっき指摘してたじゃない」
アイリスは俺の隣に並んで、空を見上げた。
「ハンナ、ね。随分とお節介な子だったわ。ミコトみたいに非凡で興味深い人間ならともかく、どこにでもいるような凡百の一般人だったから、本当に煩わしかった。あの子が倒れたのは事故だったけど、つきまとわれなくなったのはせいせいしたわね。ああでも、私にさんざん冷たくされた挙句、最後は寝たきりになってしまったというのは少しだけ可哀想だと思うわ。そうね、例えるなら研究用に飼っていたラットが死んでしまった時と同じぐらい……」
「もういいです」
「あら、まだ話せることはいっぱいあるわよ?」
「もう十分です。聞きたいことは聞けました」
「ねぇ、待ってよミコト。私はまだ話し足りないわ」
「離してください」
腕を掴んでくるアイリスの手を振り払う。
「なに、また怒ってるの? 今度は私、どうすればミコトの機嫌を取れるのかしら?」
「……目覚めさせてください」
「え?」
「ハンナを目覚めさせてください」
「それは無理よ。言ったじゃない。そんな方法があったらとっくの昔にやってるわ」
「そうですか。では、話すことはもうありません」
「待って!」
「…………」
「なんでそんなに怒ってるの? ハンナはミコトにとって赤の他人でしょう? 怒る理由はないはずだわ」
「……そうですね。確かにハンナとは話したこともない赤の他人です。正直な話、可哀想だとは思いますが、怒りを覚えるほどではありません」
「怒りを覚えるほどではない……って、わからないわね。じゃあなんでミコトはそんなに怒ってるの?」
「本当にわかりませんか?」
アイリスの金色と銀色の目を見つめる。
「んー……わからないわ」
「……そうですか」
「あ、わかったわ!」
アイリスが閃いた、とでもいうように手のひらを叩く。
「ハンナはモニカの友達で、モニカはミコトの友達。つまりハンナが目覚めないことによってモニカが悲しみ、モニカが悲しむことによってミコトが悲しむ。どう? これ名推理じゃない?」
「……間違ってはいないです」
「でしょう? フフッ、さすが私ね。それなら問題は解決したも同然だわ」
「……え?」
「魔眼でモニカの頭からハンナの記憶を消せばいいのよ。そうすればモニカは悲しくないから、ミコトも……」
「――あなたがそんなだから!」
俺はアイリスの襟を掴んで詰め寄った。
「あなたがそんなだから、私は……!」
「え……?」
「…………もう、いいです」
アイリスの襟から手を離す。
「ミコト……?」
「もう今後一切、私に話しかけないでください」
俺はそう言ってアイリスに背を向け、その場から去っていった。