第百二十四話「ハンナ」
「まだ入学して間もない頃のある日、修練の実技中にいなくなったアイリスをその子……ハンナが探しに行ったの。でも結局ハンナも実技が終わるまで戻らなくって……その時は一緒にサボってるだけなのかな、って思ってたの。ハンナは、アイリスと仲がよかったから」
だがしばらく経って、探しに行ったハンナが修練道具倉庫で倒れているのをクラスメイトのひとりが発見したという。
「その子……ハンナは、そこで死んでいたのですか?」
「そう……だね。そこで死んだのと同じ、だと思う」
「どういうことですか?」
「今もね、ハンナは目を覚まさないの」
修練道具倉庫で意識を失っていたハンナは脈、呼吸、ともに正常で、当時はすぐに目を覚ますと思われていたらしい。
だが実際は、倒れてから数ヶ月経った今も……彼女が目覚める様子はなかった。
「あたし王国警邏隊の人が事情聴取をしに来た時、すごく悩んだの。ハンナが最後にアイリスを探しに行ってたって言うべきかどうか。でも結局言わなかった。アイリスが関係してるとは限らなかったし、当時はあたしもアイリスのことを友達だと思ってたから。疑いたくなかった。アイリスは色々と世話を焼きたがるハンナやあたしのことを煙たがっていたけど、その時はただ単にアイリスが素直じゃないだけなんだと思ってた。……でも、アイリスはハンナが倒れたあとお見舞いに行くどころか、悲しむ素振りさえ見せなかった」
そんなアイリスにモニカは問い詰めたという。
最後にハンナはアイリスを探していた。
アイリスはハンナが倒れたことに関して、何か知っているのではないか、と。
「それに対して、アイリスはこう答えたの。……『事故だったわ。運が悪かったのよ』って」
アイリスはそれ以外、何も言わなかった。
「あたし、許せなかった。不誠実だと思った。たとえアイリスの言う通りハンナがああなったのは本当に事故だったとしても、アイリスがあんなじゃ……ハンナが浮かばれない」
「…………」
「だからあたし、ハンナのお父さんとお母さんに教えたの。……ハンナを殺したのは、アイリスだって」
それから数日後、大学にアイリスを逮捕するため王国警邏隊がやってきた。
モニカの話を聞いたハンナの両親が知り合いの王国官憲にアイリスの罪を訴えた結果だった。
王国官憲とは前世で言う警察幹部のようなものである。
上流貴族であるハンナの両親が王国官憲に手を回した以上、アイリスは生きて帰ることは出来ないと思われた。
だがしかし、アイリスが王国警邏隊に連れて行かれた次の日。
アイリスは普通に大学へと登校していた。
それを不審に思ったモニカは、再びハンナの両親の元へと向かったのだが……。
「ハンナのお父さんとお母さん、覚えてなかったの。あたしが言ったこと……全部」
モニカは戦慄した。
そして悟った。
今までアイリスと関わったあと度々起こっていた、記憶が抜け落ちたような感覚。
それは、気のせいではなかったのだということを。
「あたし、アイリスのことが怖かった。人間じゃないのかもしれない、って思った。悪魔が人の形をしているのかもって。そう考えたら、不誠実だとか、許せないだとか、そんなこと頭から吹き飛んじゃった。人間じゃないんだから、人間の法で裁くことは出来ない。ハンナは災害に遭っちゃったんだって……そう思って自分を納得させるフリをして、ひたすらアイリスから目を逸らしてた。……でも」
モニカの目から涙が流れ落ちる。
「アイリスはミコトと会って、どんどん変わっていった。ハンナが死んでからアイリスは講義も実技もそれまで以上にサボりがちで、誰かと話すことなんてずっとなかったのに、ミコトとはすごく……すごく楽しそうに話してた。毎日毎日、まるで普通の女の子みたいに……」
「…………」
「あたし……許せなかった。ずっとひとりで、孤独で、超然として、物語に出てくる魔女みたいに、悪魔みたいに、人とは違う存在なんだって……そう思って目を逸らしてたのに、今さら人間のフリなんて……」
「……モニカ」
俺はベットの上で静かに涙を流すモニカの隣に腰を下ろした。
「明日大学が終わったら、私を眠り続けているハンナのところへ連れて行ってくれますか?」
「……どうして?」
「モニカの友達は、私の友達ですから。お見舞いに行きたいのです」
「…………うん、わかった。きっと、ハンナも喜ぶよ」
「感謝します、モニカ」
俺はそう言ってモニカの頭を胸に抱き、彼女が泣き止むまでその頭を撫で続けていた。
◯
次の日。
大学が終わって、放課後。
俺はモニカと一緒にハンナの実家へと足を運んだ。
「ハンナ……新しい友達がお見舞いに来てくれたよ。ミコトっていうの」
ハンナの両親に挨拶したあと。
俺とモニカはハンナの寝室へと入り、ベッドで眠り続けている彼女をお見舞いしていた。
「初めましてハンナ。私はミコト・イグナート・フィエスタ・シルヴェストルです」
「あはは、ミコト真面目すぎだよ。そんなフルネームで挨拶しなくても」
「おかしいですか?」
「おかしいよ。ねぇ、ハンナ」
モニカが眠っているハンナの手を握る。
プラチナブロンド、というのだろうか
ハンナは明るい金色の長髪が特徴的な女の子だった。
モニカの話によると当時はクラスで孤立しがちなアイリスをぐいぐいと引っ張っていく、行動的かつ活発な少女だったらしい。
「ねぇハンナ。おかしいよね、ハンナ……」
「モニカ」
俺はその場でうつむき悲痛な声を上げるモニカの肩に手を乗せた。
「試したいことがあります。少しだけ、下がっていてもらっていいですか?」
「……ミコト?」
俺はモニカを後ろに下がらせ、ハンナに向けて両手をかざした。