第百二十一話「乙女」
例の新発売のクレープを食べに行っていたのであろうモニカは、帰ってきた自室で俺とアイリスが話し込んでいるのを見て大層驚いているようだった。
約束通りすぐにアイリスは帰らせたが、そのあともモニカの様子は少しおかしく、心なしか不機嫌になっているように思えた。
モニカはアイリスのことが嫌いなのかもしれない。
今後はアイリスを自室に入れないようにした方がいいかもな。
◯
次の日。
俺は行こう行こうと思って今まで先延ばしにしていた冒険者ギルドへと向かっていた。
別に行かなきゃいけない義務とかは本来ないのだが、俺はモヒカン男を始めとして冒険者ギルドのスタッフには今まで結構目をかけてもらってたからな。
もう冒険者として活動するつもりがないということぐらいは報告しておくのが筋だろう。
本当だったら今日は休息日だから、今からでも実家に顔を出したいところなんだが……正直な話、万が一にでもアイリスに実家の位置を知られたくないからな。
アイリスが言う通り俺自身、今はそれほど彼女のことを嫌ってはいない。
だが、だからといって彼女のことを全面的に信用しているわけではないのだ。
ぶっちゃけアイリスと比べたら寮での同室者であるモニカの方が百倍信用できる。
もちろんそんなことはわざわざ口に出さないが。
そんなことを考えながら王都を歩き、女子寮から出て数十分後。
「なぁ、本当にやめるのか?」
「ええ、やめます」
俺は冒険者ギルドのカウンターで、モヒカン男と話していた。
「別に冒険者は貴族になったって出来るんだぞ? 何もそんな、やめるだなんて宣言しなくても……」
「ケジメですから」
「そうか……わかった。だが、うちにはギルドカードを引き取るという制度はない。それはお嬢ちゃんが持ってな。簡単な身分証明代わりには使えるだろ」
「そうですか。わかりました」
俺はそう言いながら、差し出していたギルドカードを無限袋の中に戻した。
「そういえばお嬢ちゃんにスフィの奴から伝言があるぞ」
「スフィから?」
「ああ。えーと、なになに……『週一で剣術を教える約束はどうなったのよ!』だそうだ」
「…………」
完全に忘れてた。
「あの依頼には守秘義務があったからな。お嬢ちゃんの行方をギルドから教えるわけにはいかなかったんだ」
「なるほど」
「どうする? お嬢ちゃんもスフィに伝言でも残しておくか?」
「伝言、ですか」
ううむ、そうだな。
スフィも俺がいきなり消息を断って心配してるだろうし。
「そうですね。伝言、残しておくことにします」
「そうか。じゃあこの紙に内容を書いてくれ。字は書けるだろ?」
「はい」
「秘匿性のないものであれば大銅貨一枚、あるものであれば銀貨一枚で封書にして、金庫に仕舞っておくが」
「いえ、特に秘匿性はないです。スフィが来たら読み上げてもらって構いませんよ」
「そうか。じゃあこのまま受け取るぞ」
モヒカン男はスフィへのメッセージを書いた紙と大銅貨一枚を俺から受け取ると、呆れたような、困ったような、なんとも言えない顔をした。
「あー、なんというか、お嬢ちゃん」
「なんですか?」
「これ、スフィの奴が読んだら怒るんじゃないか?」
「でしょうね」
「いいのか?」
「いいです」
ちなみに内容は『生きてます。冒険者はやめました。そのうちこっちから会いに行くので、探さないでください』と書いてある。
約束をブッチしたうえに『探さないでください』なんて普通にひどい話ではあるが、しょうがない。
しばらくの間は忙しそうだし、今はアイリスに付きまとわれているからな。
俺としては大切な人間に万が一にでもアイリスと接点を持ってほしくないのだ。
どんだけアイリスのことを警戒してるんだよって話だが、俺のトラブル巻き込まれ率から考えるに、警戒しすぎるに越したことはないだろう。
「そうか。ああ、それと念の為にもう一度聞いておくが、例の指定依頼報酬は受け取り拒否ってことでいいんだよな?」
「そうですよ。サインもしたじゃないですか」
「いや、額が額なだけにな。……しかし、本当に不思議だよなぁお嬢ちゃんは。ガッツリ金稼ぎし始めたと思ったら、今度は逆に依頼報酬がいらないとか」
「色々と事情があるんです」
例の指定依頼というのは言わずもがな、伯爵家に通って夫人の話し相手をするというものだ。
だが俺はこの指定依頼の報酬受け取りを拒否した。
伯爵は『受け取りなさい』と言っていたが、どこの世界に自分の家族と話してお金をもらう人間がいるのだ。
絶対に受け取らんわそんなもの。
つーか大体、その報酬よりも伯爵が俺の大学生活資金として渡してくれたお金の方が段違いで多いからな。
受け取ったら二重になってしまう。
まあ伯爵はそれも見越してお金を渡したのだろうが……まったく、領地経営が厳しい時なのに。
なんだかんだで伯爵も貴族体質というか、娘に甘いというか、親バカというか……。
「お嬢ちゃん、なにをニヤニヤしてるんだ? 気持ち悪いぞ?」
「ちょっと。気持ち悪いとはなんですか。失礼な」
「いや、いつもお嬢ちゃんはクールだから……そうそう、お嬢ちゃんはそうやって無愛想で無表情な顔が似合ってるぜ」
「ひどい」
え、俺そんなに今まで無愛想で無表情だった?
……少しは笑顔の練習した方がいいのかな。
そう思って微笑んだ顔を意識すると、モヒカン男が露骨に目を逸らした。
「あー、お嬢ちゃん。そんな無理に笑わなくても、お嬢ちゃんは今まで通りでいいと思うぜ?」
「なぜですか?」
「お嬢ちゃんが笑うと心臓に悪い」
「仮にも乙女に対して言っていい言葉なのでしょうかそれは」
人によってはトラウマもんの暴言だぞおい。
「仮にもって……お嬢ちゃんは乙女だよ。これ以上ないくらいにな。だから言ってんじゃねぇか」
「はい? どういうことですか?」
「いや、わからないならいい」
「なんですかそれ……」
と、そこで気づいた。
モヒカン男の耳が真っ赤になっていることに。
……まさか。
「ええと」
後ろへと振り返る。
そして俺は少し離れたところで待合席の丸テーブルを囲んでいる、冒険者の男たち三人組へと視線を合わせた。
こちらの視線に気づいた冒険者たちが笑顔で手を振ってくる。
普段だったらなるべく関わらないようにするため無視するところだが……俺は試しに三人組に向かって笑顔で手を振り返してみた。
すると。
三人組のうち、ひとりは胸を押さえてテーブルに突っ伏し。
ひとりは飲み物を吹き出し。
ひとりは「っしゃあああああ!!」とガッツポーズを取りながら立ち上がった。
それを見ていた観衆がにわかにざわめく。
『お、おい、二代目が……』
『笑った……しかも手を振って……』
『あの三人なにをしたんだ』
『アイツら生きて帰れねぇな……』
所々から聞こえてくる驚愕と戸惑いの声。
「お嬢ちゃん、遊ぶのはやめてやってくれ。思い詰める奴が出てくる」
「言われなくとも、もう二度としません……」
男にモテるとか、予想以上に嬉しくなかった。
いや、嬉しくないどころか背筋がぞっとした。
「ははっ、それでこそお嬢ちゃんだ」
「そうですか」
俺が露骨に顔をしかめていると、モヒカン男は実に愉快そうに笑った。
……って、いつまで雑談してんだ俺は。
「ごめんなさい。長話をしてしまいました」
「いや、別に構わないが……もう行くのか?」
「ええ。今日はこれで。またそのうちスフィへの伝言を残しに来ますので」
「おう、またなお嬢ちゃん。いつ現役に戻っても構わないからな。待ってるぜ?」
「戻りませんよ」
俺は不敵に笑いながらそう言って、冒険者ギルドを出て行った。




