第百二十話「揺れ方」
アイリスと廊下で別れたあと。
彼女が後ろについて来ていないことを確認した俺は、一度荷物を置く為に女子寮へと向かった。
そして数分後、何事もなく女子寮に到着。
どうやら無事にアイリスからは逃れることができたようだ。
「……言いすぎた、かな」
嘆息しながら自室のドアのカギを開ける。
そして部屋の中へと入りながら、俺はさっき自分がアイリスに言った言葉を思い返していた。
「はぁ……」
「どうしたの、ため息なんてついて」
「いや、ちょっとね……って、アイリス!?」
「お帰りなさい、ミコト」
部屋に入るとそこには廊下で別れたはずのアイリスが、二段ベットの上段で足をブラブラさせながらこちらに向かって小さく手を振っていた。
「……どうやって入ったのですか。ちゃんとカギは掛かってましたが」
「真っ当な魔術師にとって解錠の魔術なんて基本中の基本よ。『属性持ち』の魔法師とは違ってね」
フフン、と得意げな顔をするアイリス。
大学に入るまで知らなかったが『属性持ち』は生まれながらに膨大なアニマを持ち、自分の持つ属性の魔法を媒体無しで使える代わりに、繊細な術式が必要な魔術が使用できないらしい。
それゆえに一般的な魔術師は『属性持ち』や『魔法師』という言葉を『簡単なことしか出来ない低能』というような侮蔑の意味を込めて使うという。
まあその言葉には生まれながらにして才能を持つ者への、嫉妬とやっかみが多分に入っているとのことだが。
「そうですか」
「反応が薄いわね。まだ怒ってるの?」
「さっきも言いましたが、別に怒ってはいませんよ」
「じゃあ私のことを嫌ってるからそんなに反応が薄いの?」
「…………まあ、そうですね」
「むぅ、わからないわね。なんで私はアナタに嫌われたのかしら? 理由を教えてくれない?」
「…………」
まったくもってこたえてないなぁこの子……。
相当にメンタルが強い。
「ねぇ、なんで? どうしてかしら?」
「……人をその魔眼とやらで操って、なんとも思わないからですよ」
「なんとも思わないから? なにか思わないといけないの?」
「そりゃ普通は……いえ、なんでもありません」
普通はこう思う、とか言ったところでその人間性は変わらないだろう。
大体、個人が頭の中で何を考えていようが自由なのだ。
その頭の中を実際になんでもかんでも行動に移されると問題なだけであって。
「では結論から言います。その魔眼で人を操るのはやめてください」
「なぜ?」
「なぜって……犯罪だからです」
「え? 魔眼で人を操るべからず、なんて法律は存在しないわよ?」
「……ごめんなさい、間違えました。やめてほしい理由は、私が嫌だと思うから、です」
「なんで嫌だと思うの?」
「うぜぇ……」
「え? なに?」
アイリスが不思議そうな顔で首を傾げる。
俺はそんな彼女を前に大きくため息をついてから話の口を開いた。
「なんで嫌だって思うかなんて、知りませんよそんなの。感情に理屈なんて存在しませんよ。存在するとしても私がいちいちあなたに懇切丁寧に教えなければならない義理はありません。なんでもかんでも人に聞けばいいと思ったら大間違いですよ。少しは自分で考えてください」
「……アナタ、私のお母様と同じことを言うのね」
「はい?」
「聞いてばかりいないで、自分で考えなさいって。フフッ」
「…………」
何が面白いのか、アイリスは楽しそうに小さく笑った。
「うん。わかったわ。私、魔眼を使うのやめるわ」
「……本当ですか?」
「もちろん本当よ。絶対とは言い切れないけど、なるべく使わないようにする。もうここの禁書庫にも入る予定はないから、多分これからは使わなくても問題ないわ」
「今ちょっと何気に聞き捨てならない単語があったんですが、あなた、許可なく大学の禁書庫に入ってたんですか?」
「ちゃんと禁書庫の司書から許可はもらったわよ?」
「魔眼を使わずに?」
「魔眼を使わないと許可なんてもらえるはずないじゃない。私は王国所属の宮廷魔術師じゃないんだから」
呆れたように言うアイリス。
「……禁書庫に入ってた目的はなんですか?」
「目的? 禁書を読むために決まってるじゃない」
「いや、それはもちろんわかってますよ。だからつまり、その先です。禁書を読んで、そこから得たもので何をしようとしていたのかってことです」
「何をしようとって……特にないけど?」
「……は?」
「禁書を読むのはただの趣味だもの。知らないの? 禁書に記述されている禁術っていうのはその殆どがすごく危険なものなのよ? 代償に術者の魂や他人の魂を必要としたり、土地のアニマを根こそぎ吸い取ったり……軽々しく使ったりなんか出来ないのよ?」
「はあ……そうですか」
うーむ、どうも嘘をついてるようには見えないが……。
「なによその目。疑ってるの?」
「ええ、まあ。私の中でのあなたは、なんの躊躇いもなく禁術を使いそうなイメージなので」
「失礼ね。いくら世俗の常識に疎い私でも、さすがにそんな非常識なことはしないわよ」
「世俗の常識に疎いって自覚はあったんですね……」
なんだろう。
急にアイリスが意外とまともな子に思えてきた。
トータル的に考えたらまだまだ頭おかしい部類に入るはずなのに。
「アナタ今、失礼なことを考えているでしょう」
「そんなことありませんよ。なぜそう思うのです?」
「アストラル体がそういう感じに揺らめいていたわ」
「アストラル体って凄く便利ですね!」
微妙なニュアンス伝わりすぎだろ。
「フフッ、ミコトって不思議ね。魔眼が効かないから何を考えてるかなんて全然わからないのに、アストラル体が素直だからどんな感情を抱いてるのかすぐにわかるわ」
「そうなんですか?」
「そうよ。アナタ今、私のことそんなに嫌いじゃないでしょう?」
「……まあ、さっきよりは」
「私もアナタのこと嫌いじゃないわ。ううん、むしろ好きかも。だってこんなに他人のことが気になったのは生まれて始めてだもの。もちろんお母様にはかなわないけどね」
「そうですか」
「アストラル体がまんざらでもなさそうな揺れ方してるわね。フフッ」
「…………」
や、やりにくいなぁ……。
「ねぇ、私ミコトのこともっとよく知りたいわ。教えて?」
「大したことは話せませんよ?」
「それでもいいわ。ねぇ、ほら、隣に座って?」
自分が座っているベットの横をポンポンと叩くアイリス。
……こりゃ今日は実家に帰るの中止だな。
今から帰ったらアイリスに実家まで付きまとわれそうだ。
「わかりました。でもモニカが帰って来たら終わりですよ?」
「いいわよそれで。ねぇ、早く早く」
「はいはい」
そうして俺は同室者のモニカが帰ってくるまで、アイリスと他愛のない話に興じるのであった。