第百十九話「普通」
大学に編入学してから五日が経ち、六日目。
「ミコトー」
放課後。
帰り支度をしていると、俺の席にひとりの少女が近寄ってきた。
ゆるふわの栗色ショートカットヘアがチャームポイントであるクラスメイト、モニカ・ビュフォンだ。
「クレープ食べに行かない? 西通りのお店で新作が出たから」
「あー……ごめんなさい、モニカ。私、今日は一度実家に帰るつもりなんです。明日は休息日なので」
「そうなんだ? じゃあ今晩は寮に帰らないの?」
「ええ。今日は実家に泊まって、寮には明日の夜に帰るつもりです」
「そっかぁ、ミコトがいないと寂しいなー……わわっ!?」
モニカが突然何かから隠れるように俺の背後へと回った。
入れ替わりで、俺の前に淡い銀髪の少女が現れる。
「どうしたんですかモニカ?」
「……ねぇ、ちょっと、アナタ」
「そんな怖がらなくても大丈夫ですよ。さ、帰りましょう?」
「無視しないでよ」
「……なんですか? アイリスさん」
俺は小さくため息をついて、アイリスの方を振り返った。
「私はいつまで待てばいいのかしら。あれから六日間待っているのにアナタ、一向に声を掛けて来ないじゃない」
「さぁ、どうでしょうね。少なくともまだまだ『引き』は足りないと思いますよ」
「アナタ、私を騙したの?」
「アイリスさん」
俺は机の上に両手を置いて、まるで教壇に立った先生のようにアイリスへ向かって語りかけた。
「確かに私は『引き』が足りない、『引き』が必要だと言いました。アナタも確認した通りそのことに関して私は一切、嘘をついていません。ですが……今回、それによって私があなたに話し掛ける『時』と『場所』までは指定していません。ついでに言えば保証もしていません。それを思い出してください」
「なによそれ、そんなの……」
「つまり!」
俺はアイリスの言葉を途中で遮り続けた。
「私がその気になれば、あなたに声を掛けるのは十年、二十年後だって可能だろう……そういうことです……!」
「…………」
唖然、呆然といった感じでその場に突っ立っていたアイリスの目つきが、徐々に剣呑なものとなっていく。
「……騙したのね」
「騙してませんよ。あなたが勝手に勘違いしただけです」
「詭弁だわ!」
「事実です」
「……あの~、あたし、先に帰ってるねー」
俺とアイリスの視線がぶつかり合いバチバチと火花を散らしている横で、モニカはそろりそろりと教室から出ていった。
「クッ……ククッ……クククッ……」
「怖い笑い方しますね……なにがおかしいんですか?」
「初めてよ……」
金色と銀色のオッドアイが異様な光を放つ。
「生まれて初めて、人間に騙されたわ……この私が、偉大なるお母様の血を引いたこの私が、単なる人間なんかに……」
「まるで自分は人間じゃないみたいな口ぶりですね」
だとしてもまったく驚かないけどな。
この世界にはジル・ニトラみたいな人間形態の人外もいるし。
アイリス・ノワール・ドゥーム・レディアント。
帝国の属国であるアドリア王国出身の公爵令嬢であり、伝統ある魔術師の家系であるレディアント家のひとり娘。
通常であれば火、水、土、風の四属性でいずれかの適性があればよし。
雷、光、闇など希少属性に適性があれば尚よし。
複数の属性適性があれば『二属性使い』、『三属性使い』と呼ばれ殊更によしと持て囃される魔術師の世界で、アイリスは上記した七大属性すべてに適性を持つという。
これは歴史上、誰ひとりとして持ち得なかった適性であり、当然ながら極稀に現れる生まれながらに魔法を使える『属性持ち』よりも希少価値の高い人材らしい。
そんな彼女は世界で唯一七大属性に適性を持ち、それらの魔術を自在に操る者として世間では『七大属性使い』と呼ばれ畏怖されている。
「フフッ、私のこと、崇めてもいいのよ?」
「遠慮しておきます」
「素直じゃないのね、アナタ。私の前で素直にならない人間なんて始めてだから、新鮮だわ」
「……今までずっと、その魔眼とやらで人に言うことを聞かせてきたのですか?」
「そうよ」
俺は悪びれもせず言うアイリスの態度に嫌悪感を覚えた。
人間なんだか人間じゃないんだか知らないが、人の意思を自分の都合で勝手に捻じ曲げて、そのことに関しなんとも思っていないとは。
「あれ? なに、ミコト。怒ってるの?」
「怒ってませんよ。呆れて、軽蔑して、嫌悪しているだけです」
「なぜ?」
「答える義理はありませんね」
俺はそう言ってアイリスの横を通り過ぎた。
「ねぇ、ちょっと、待ちなさいよ。まだ話は終わってないわ」
「話すことなど何もありませんよ」
教室を出て、廊下を歩いている俺にアイリスが後ろから話しかけてくる。
「私にはあるわ。止まりなさい」
「…………」
「無視するの? なぜ? クラスメイト同士なんだから、仲良くするのが普通なんじゃないの?」
「……はぁ」
俺はため息をつき、後ろを振り返って言った。
「正直な話、最初はあなたが厄介事を招きそうだからただ単に関わりたくないと思っていました」
「厄介事?」
「ええ。ですが、今はそれだけじゃありません」
アイリスへと一歩距離を詰め、金色と銀色のオッドアイを凝視しながら言い放つ。
「私は、あなたが、嫌いです」
「……嫌い?」
「そうです。だから関わりたくありません。親しい間柄になりたいとも思いません。知ってますか? クラスメイト同士でも、嫌いな人とは仲良くしないのが人間の『普通』なんですよ」
「……普通」
「…………」
俺はキョトンとした顔でこちらを見つめるアイリスから視線を逸らして、再び廊下を歩き始めた。