第百十八話「引き」
「本当にごめんなさい……」
「いいのよ、別に。アナタのせいじゃないし」
保健室のベッドに座りながら、クスクスと笑うアイリス。
「あの術を使うとね、肉体の強度がいちじるしく下がるの。まさか足が折れるとは思わなかったけど」
「ご、ごめんなさい……私、気を抜いてると力の加減が効かないことがあって、多分それも原因かも……」
「そうなの? それは面白いわね」
「いえ、面白くないです……」
ちょっとぶつけた程度で人の足を折るとか、ホラー以外の何物でもない。
「……驚いた。アナタ、あれが見えてたのね」
「え?」
「私が『あの術』って言ったのは、カマを掛けたつもりだったのよ?」
「え……あっ!?」
「疑問にも思わなかったってことは、私の術を見破ってたってことよね」
アイリスは口元に微笑を浮かべながら、その両目を大きく見開いた。
金色と銀色のオッドアイが妖しく光る。
「あは……ちょうどいいわ。ねぇ、アナタのこと、色々と教えて?」
「……色々って?」
「そうね……じゃあ、アナタが『秘密にしていることを全部』、教えてもらおうかしら」
「え……イヤですけど」
「…………あれ?」
首を傾げるアイリス。
「おかしいわね……ねぇ、ミコト。アナタが『秘密にしていることを全部』、教えて?」
「いや、だから教えませんってば」
「…………?」
再び首を傾げるアイリス。
いや、そんな理解できないみたいな反応されても。
「アナタ……なんで、私の言うことを聞かないの?」
「なんでって言われても。普通、初対面の人に自分の秘密を全部話す人はいないでしょう」
「あは……あはは! アナタ、面白いわね! すごく面白い!」
「は、はぁ……どうも」
「ねぇ、どんな術を使ってるの? 私の魔眼が効かない人間なんて始めて会ったわ!」
「ま、魔眼?」
「あぁ、もしかして神器、古代魔導器かしら? それとも祝福?」
アイリスは目を爛々と光らせながら、こちらとの距離を詰めてきた。
「ちょ、ちょっと……」
「ねぇ、教えて? 教えて? 教えて?」
「いや、あの、ちょっと……ああもう、無理です!」
俺は鼻先が触れ合いそうなぐらいまで近づいてきたアイリスの肩を両手で押し戻した。
「え? なんで?」
「いやだから……」
「あぁ、そうね、初対面だからって言ってたわね。じゃあ、次に会った時は教えてくれる?」
「そういう問題じゃなくて」
俺はコホン、と小さく咳をして言った。
「秘密というのはですね、よっぽど親しい間柄でない限り普通は話さないものなのです」
「じゃあ親しくなりましょう?」
「……人は誰しも自分だけの秘密を抱えているものです。無理に聞こうとするのは人間関係を破綻させます」
「今さっきと言ってることが違うわ」
「どちらも真実ですよ。時と場合によるのです」
「詭弁だわ」
「そう捉えますか。ならばとっておきの言葉を教えましょう」
俺はアイリスの前に人差し指を立てて言った。
「秘密はですね、秘密だから、秘密と言うのです」
「……なるほど、確かにそうだわ。深いわね。深淵だわ。神秘に通じるものがあるわ」
「…………」
「で、私はどうすればアナタからその秘密を教えてもらえるの?」
俺の前に異様な輝きを放つ金色と銀色の目が迫る。
強い。
この子、強いぞ……!
「……あのですね、秘密秘密と言いますけど、正直なところ私に大した秘密なんてありませんよ」
「嘘ね」
「本当ですよ」
「嘘よ。今、アストラル体が揺らめいたわ」
「あすとら……?」
「精神体みたいなものだと思えばいいわ。厳密には違うけど……とにかく、私には嘘がわかるのよ。アナタ、『大した』秘密を隠してるわね」
そう言ってニヤリと笑うアイリス。
ううむ……精神体みたいなもの、とか言われても。
俺にとってはその精神体っての自体がよくわからないんだが。
「……どちらにせよ、あなたには教えませんよ」
「むぅ……なぜかしら? なぜ私はアナタの秘密を教えてもらえないのかしら?」
「…………」
「今まではこんな経験なかったから対処法が……いえ、あるはずだわ、きっと答えが」
「…………」
「隠蔽……保身……治癒魔法……保健室……良心……口止め……警戒心……秘密……」
「…………」
「……わかったわ!」
アイリスは満面の笑顔で俺の前に右手を差し出した。
「私たち、お友達から始めましょう!」
「お断りします」
「っ!?」
「アイリスさんのような方とお友達になるなど、畏れ多いことです。私は大したことのない人間なので、単なる一クラスメイトで十分です」
「あぁ……そういうことね。それなら大丈夫よ。私は能力や容姿、身分や血筋なんかで人を判断しないから。私の判断基準は常に、私がその人に興味あるか、ないかで決まるの」
「…………」
うわぁ……これ、すごい子に目ぇつけられちゃったなぁ……。
「ミコト? どうしたの?」
「いや……あの、申し訳ないんですけど、そういうの迷惑なんで……」
「迷惑って……ひどいわ。なぜそう思うの? 私、現時点ではアナタに大した危害は加えてないと思うけど?」
「いやもうその現時点ではって言いぶりからして、これから危害を加えられそうな気配が濃厚なんですが」
「答えになってないわ。ねぇ、なんで? アナタがそこまで警戒するのにも、なにか理由があるんでしょう?」
「くっ……」
やばい、すっげぇ面倒だコイツ。
しかも嘘が効かないから適当なことを言っても見破られる。
……なんとか上手いこと言ってこの場面を乗り切らなければ。
「……実は、ですね」
「うん」
「私、押されれば押されるほど引くタイプなんです」
「……うん?」
「だから、あなたがこう、私に対してグイグイくるのは逆効果というわけです」
「……うーん、嘘は言ってないわね」
アイリスは俺の目を見ながら呟いた。
その通りである。
それが理由のすべてじゃないけどな。
「むぅ、それだけが理由じゃなさそうだけど、まあいいわ。それなら大丈夫」
「大丈夫?」
「そうよ。私、そういうタイプに関する対策法は知識として得ているわ。確か……『押してダメなら引いてみろ』、って言うのよね?」
「……ええ、そうです」
「わかったわ」
アイリスはそう言って俺から体ひとつ分だけ離れると、目をつぶりそっぽを向いた。
「ツーン」
「…………」
「……チラッ」
「…………っ」
俺は吹き出しそうになった口を手で押さえ、顔を背けた。
「どう?」
「…………そういう、『ツーン』とか、『チラッ』とかは、自分で言うものじゃないですよ」
「そうなの? 帝国の禁書庫にある絵本には自分で言うような表現があったんだけど」
「…………」
ツッコミどころが多すぎて反応に困る。
「で、どうなの?」
「どう、とは?」
「引いてみたわよ。秘密、話したくなった?」
「全然ダメですね。『引き』が足りません」
「そうなの?」
「ええ。そうですね、少なくとも相手から話し掛けられるまでは、自分から話し掛けないだけの『引き』は必要ですね。それが本当の『引き』というものです」
少なくとも俺はそう思う。
「へぇ、そうなの」
「そうです。なので、次に私と会っても話し掛けちゃダメですよ。私から話し掛けるのを待ってください」
「わかったわ」
「よし」
「よし?」
「いえ、なんでもないです。それでは、私はこれで」
「もう戻るの? 真面目なのねミコトって」
「普通ですよ。それではまた」
「はーい、またね」
俺は手を振るアイリスに小さく手を振り返して、そのまま保健室から出ていった。